第166話 「ああ、そう言っている!」 - 02 -


「――このままだとまた寝てしまう。何か話しかけてくれ」


 眉根をぎゅっと寄せたヴィンセントが、眠気覚ましを催促する。

 先ほど頭から消え失せてしまった「ヴィンセントと会ったら話そうと思っていた項目」を、記憶の隅からオリアナは無理矢理引っ張り出した。


「もう結構前になっちゃったけど……ヴィンセントはお休みの間、何してたの?」

「オリアナのことを考えてた」

「へえーそうなんだーありがとう」

「……軽くないか?」


 眠そうに顰めていた顔の表情を緩め、どこか愕然としたように言うヴィンセントの鼻を、オリアナはきゅっと指で摘まんでやった。


(軽く言わなきゃ、流せないんだよ)


 いつも動揺するのは、自分ばかりだ。馬鹿みたいな冗談を言わないでほしい。こっちはもう、先ほど抱きしめられたのと、膝枕で、いっぱいいっぱいなのだ。


「それで、何してたの?」


 鼻を摘ままれたヴィンセントは、信じられないようなものを見る目でオリアナを見た。生まれて初めて鼻を摘ままれたような顔をしている。おかしくなって笑うオリアナに、ヴィンセントは不服そうに口を開いた。


「――去年、王都で好き勝手過ごした分、今年は父に、あちらこちらに連れ回されていた。君は?」

「友達が誘ってくれるパーティーとかに出かけるだけで、後は家でだらだら過ごしてた」

「誕生日は?」


 ドキリとして、一瞬口ごもる。


「――変わったことは無かったよ。いつもと、一緒」


 思い違いかもしれない。けれど、花束のことを聞いてみたかった。どう聞こうか迷っているオリアナに気付かずに、ヴィンセントが笑って言う。


「今年はパジャマパーティーをしなかったんだな」

「パジャマパーティー?」


『一度目の人生で、君は僕だけを仲間はずれにして、このメンバーでパジャマパーティーをしていたよ』

『えっ……一度目の人生のオリアナちゃんが非道ですみません……』

『全くだ』


 夏の夜に、星空を見上げながらした会話を思い出し、オリアナはくすくすと笑った。


「ヴィンセントを仲間はずれにしたって言う、例の?」

「そう」

「私の誕生日だったんだ。そんなこと言ってさー。本気にして誘ったって、来てくれないんでしょ?」


 学校では学友として親しくしてくれているが、長期休暇中のヴィンセントは完全な紫竜公爵家の嫡男だ。

 去年、オペラ劇場で公爵家の跡取りとしての彼と会った時、オリアナはすげない態度を取られていた。あのヴィンセントに招待状を送る勇気は、流石に無い。


「いいや。君の招待状が届いたら、何を差し置いてでも行ったね」

「じゃあ、来年はおニューのパジャマ用意しておくから、ちゃんと来てね」


 嘘はつかないようにしていると言ってくれたが、ヴィンセントも冗談は言う。こう返すのが一番だろうと、オリアナは凪いだ心で言った。


(どうせ来年は、もう――)


 顔すら見られない。名前すら、きっと呼べない場所にいる。

 こんな風に、膝枕をすることなんて、絶対にありえ無い関係になる。


 このラーゲン魔法学校の中でしか、オリアナはヴィンセントとの繋がりが無い。学校を卒業してしまえば、公爵家の嫡男と、ただの商人の娘だ。万が一にも社交場で会えば無視はされないだろうが、パジャマパーティーの招待状を持って訪ねられるような立場で無いのは、目に見えていた。


「ああ、必ず」


 優しい声がオリアナの感傷に染み渡る。

 考え事をしているのを悟られないように、オリアナはヴィンセントの頭を撫で続けた。オリアナの手の中で、ヴィンセントが体の力を抜く。


「……もう五限はサボろう」

「優等生のヴィンセントから、サボろうなんて言葉を聞ける日がくるなんて……」

「優等生ぶっていたわけでは無い。必要なことをしていただけだ。でも君に触れて、限界だったことがよくわかった」


 はあああ、とヴィンセントがまたため息をついた。先ほどまでのため息とは少し違い、その息には苛立ちが乗っている。


「ダンスレッスンのこと、ごめんね。手伝えなくて」

「君のせいじゃない」


 男子の人数が足りなくなった理由を、ヴィンセントは既に知っているだろうか。知った時、オリアナに腹を立てはしなかっただろうか。


(――ほんの少しでも、嫉妬してくれたり、しなかったかな)


 オリアナはした。めちゃくちゃに嫉妬した。

 自分が傍にいない時に、他の女子はヴィンセントの傍にいたのかと思うと、悔しくて堪らなかった。


「……なんで、そこまでしたの?」

「何?」

「確かにヴィンセントが頑張ってた企画だったけど……今までだったら、断ってたじゃん」


 女子の集団に杖の相談に乗って欲しいと言われた時も、自習室で勉強を教えてくれと強請られた時も、いつもヴィンセントはすげなく断っていた。なのに今回は、ヴィンセントは素直に女子らの要望を聞き入れた。


「――これだけは、どうしても全うしたかった。君にも手伝って貰ったし……発案者が僕では無かったから。大切にしたかった」


 オリアナの膝に抱かれながら、遠い過去を惜しむような、恋い焦がれるような目をして言うヴィンセントに、オリアナは堪らずに尋ねた。


「……ビーゼルさんと、立ち上げた企画だったの?」


「は?」


 ヴィンセントが体を起こした。突然だったため、オリアナは対応しきれなかった。撫でていた手を掴まれ、鼻と鼻が触れあいそうなほど顔を近づけられたオリアナは、驚きに息を止める。


「違う。シャロンじゃない。――何故シャロンが出て来た? 今度はどれだ。もう彼女とはしばらく個人的に会ってもいない……まさか、シャロンに何か不当なことをされているのか?」


 オリアナは大慌てで首を横に振った。オリアナだって、あのデートの夜以来シャロンとは会ってもいない。

 首を振っただけでは不十分なのか、ヴィンセントはオリアナの目から視線を剥がさない。ヴィンセントの気迫に押され、オリアナはおずおずと口を開いた。


「だって……ヴィンセントがそれだけ頑張ってたってことは、好きな人のためかなって」

「……それで?」

「それで? それで……つまり、その……言っちゃっていいの?」

「ああ」


 何故か「言えるものなら言ってみろ」とばかりに凄まれ、オリアナは戸惑ったまま続けた。


「――ヴィンセントの好きな人って、ビーゼルさんでしょ?」


「はあ?」


 ヴィンセントの紫色の瞳が、大きく見開かれる。


「……君はっ、じゃあ、僕が、っ――!」


 オリアナの手首を握るヴィンセントの手に力がこもる。鬼気迫る顔をしたヴィンセントを、オリアナは驚いて見つめた。


「好きな相手が他にいるのに、こんなことを、誰にでもしていると思っていたのか!」


「……だって……友達だから」


 オリアナの手首を握るヴィンセントの手から、力が抜ける。愕然としたヴィンセントが、顔を青ざめさせた。


「……正気か? まさか、本気で『友達だから』と……?」


 ヴィンセントは苦しげに顔を歪め、ソファから立ち上がる。


「それほど軽薄な男に見られていたとは……何も、通じていなかったんだな」


 ズボンのポケットからくしゃくしゃの手紙を取り出したヴィンセントが、乱暴にオリアナの手の平に載せる。


「え? ちょ――」


「僕は行く。それは、煮るなり焼くなり、好きにすればいい」


「え? ヴィンセント?!」


 ヴィンセントは振り返りもせず、談話室を出て行った。オリアナが呼び止める声が、小さな談話室に空しく反響する。


 突然の展開に戸惑う。まだ頭を整理出来ていないが、シャロンの話題に触れて、彼が怒ったのはわかった。オリアナが彼を勘違いしたから、怒っていることも。


(だって、待ってよ。待ってよ……だって、そんなの)


 駄目なのだ。


 オリアナは、自分が可愛い。

 自分の幸せを追い求めてしまう。


 彼の行動の意味を、どうしても自分本位に、受け取ろうとしてしまう。


 オリアナは、ヴィンセントに半ば強制的に押しつけられた手紙を見た。封筒の四隅は丸まり、色んな皺が出来ている。まるで、ずっとポケットに忍ばせていたように、皺だらけだ。あれほど几帳面なヴィンセントらしくない。


 震える手で、封筒を開く。便箋から、ほのかにシダーウッドが香る。



――――――――――――――――――――――――


 オリアナへ――


 元気にしているだろうか。

 僕は、君の姿が見られずに、侘しい日々を過ごしている。


 あまりにも覇気の無い僕を見かねたのか、

 料理長が朝食に、レモンのマフィンを出して来た。

 子どもの頃の好物をいつまでも

 覚えられているのは気恥ずかしいものだな。


 オリアナ、

 お誕生日おめでとう。


 君は今年も、賑やかに祝われているのだろうか。

 その場に僕がいないことが、少し淋しい。


 十七歳のオリアナが、

 誰よりも幸せな女の子になるよう祈っている。


――――――――――――――――――――――――



 オリアナは手紙を読むと、封筒の中に便せんをしまうことも忘れて、駆けだした。




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