第163話 作戦H・L - 03 -


(オリアナに会えない)


 ヴィンセントは憔悴しきっていた。

 自室の小さなサイドテーブルに教科書を開き、定期試験に向けた勉強をしている目は淀んでいる。


 ここ最近、あまりにも周りが騒がしすぎて、自習室に寄ることもままならない。


 何があったのか知らないが、長期休暇明けから、ヴィンセントは地獄のような日々を送っている。二巡目の時とは違う周りの対応に、ヴィンセントは心底困惑していた。


 ――そもそもの始まりは、ダンスレッスンについて、女子に相談を受けたことだった。あれからずっと、ヴィンセントの周囲は慌ただしい。だが、ダンスレッスンに関して手を抜こうとは思わなかった。


 ダンスレッスンは元々、二巡目のオリアナが取り組んでいたものだ。


 ヴィンセントは彼女の手がけたレッスンをもとに、三巡目でも彼女のしたかったことを叶えた。


 ヴィンセントにとってダンスレッスンは、二巡目の、そして三巡目のオリアナとの共同作業とも言えた。


 オリアナがしたかったことを、オリアナから引き継いだことを、オリアナと共に作り上げたものを――ヴィンセントが蔑ろに出来るはずも無い。


 大幅に抜けた男子の穴埋めをするため、ヴィンセントは西へ東へ奔走していた。

 その間も、何処へ行くにも女生徒達に付きまとわれた。多少厳しく突き放しても、徒党を組んでいるせいか全く意に介さず、ヴィンセントから離れない。


 身体的に拘束されているわけでは無いが、なんだかんだと理由をつけられ、四六時中誰かが傍にいる生活は、明らかにヴィンセントを疲弊させた。


 どれだけ探しても、ダンスレッスンの参加を希望する男子は集まらなかった。結局ヴィンセントは、男性役を一挙に引き受けた。二巡目ではあれほど「ヴィンセントとは踊れない」だなんだと抵抗されていたというのに、人が変われば対応も変わるのか、ヴィンセントはレッスンの期間中ひっぱりだこである。


 そんなヴィンセントを見かね、ヴィンセントと四六時中一緒に過ごしている生徒代表ミゲルも、レッスンに参加してくれることになった。ヴィンセントと共に女生徒との練習相手を担ってくれているミゲルに、ヴィンセントは下げた頭が上がらない。


 魔法道具の開発は中断しているとはいえ、ダンスレッスンのアクシデントの補填、休み時間の度に頼まれる不必要な急用、悪あがきのための定期試験での勉強――さらには”竜の審判”のことも考えなくてはならないのに、捻出する時間も余裕も見つけられなかった。


(もう無理だ。会いたい。オリアナに膝枕をしてもらわなければ、僕は春の中月しがつの十七日を待たずして、死ぬ)


 あまりにも自分の周りが騒がしいため、落ち着くまでオリアナに近付くのはよしておこうと気を遣っていたのだが、会えなさすぎてもう辛抱ならなかった。


 休暇明け、ヤナとの話を聞いた後に「時間を取ってくれ」と言ったのはヴィンセントだったのに、自分こそが全く時間を取れていない。


(オリアナは淋しいと、思ってくれているだろうか)


 そのぐらいは思ってくれていると、自惚れていたい。


 休み時間や休憩中の談話室に会いに行っていたのは、いつもヴィンセントだった。オリアナから、用事も無いのに近付いてきたことは無い。

 それが、ヴィンセントとオリアナの埋められない感情の差だろうと、わかっている。


 けれど最近では、顔を合わせれば笑みを向けてくれるし、親密な触れ合いも増えてきた。心の距離がぐっと縮んでいると感じているのは、ヴィンセントだけでは無いはずだ。


(ああ……もう寝なければ。明日も早い)


 窓の外で輝く星を見て、ヴィンセントはペンを置き、窓に寄りかかった。


 このところヴィンセントは疲れた体で早起きをして、こっそりと森へ行く。まだ日も昇りきっていないような、誰も起きていない時間しか、ヴィンセントが自由に動ける時間は無かった。


 自生している花を摘み、小さなブーケを作っては、オリアナの住む女子寮まで運んだ。玄関の前に置いている花束は毎日消えているため、誰かが女子寮の中に入れてくれているのだろう。

 会えない代わりにせめて、自分の摘んだ花をオリアナの傍に置いておきたかった。


 本来は、二巡目の記憶があることを前提に、贈っていた誕生日の花束。

 毎年、山ほどのプレゼントを貰うだろうオリアナが、ヴィンセントの作った質素な花束に気付くとは思えない。


 だが、一度贈り始めると、止めることも出来なかった。

 花束を贈るのを諦めることで、ヴィンセントの気持ちまで途絶えたのだと、自分を含めた誰にも――天から見守る竜神にさえ――思わせたく無かった。


 父に連れ回され、オリアナに会いに行く自由も無かった長期休暇中、ヴィンセントは手紙を書いていた。

 オリアナの誕生日に書いた手紙は、未だに渡すことも出来ず、ずっとズボンのポケットに入れっぱなしだ。


「ん、ヴィンセント。まだ起きてんの?」


 ベッドのカーテンを開け、ミゲルがヴィンセントを覗く。普通にしゃべれていると言うことは、まだ起きていたのだろう。


「ああ、もう寝る」

「っそ。俺はトイレ」


 寝間着の裾に手を入れて、ミゲルが腹をかきながらベッドを降りる。ボサボサの長い髪を揺らしながら、ミゲルはふらふらと部屋を出て行った。


 トイレから帰ってきたミゲルが、ヴィンセントの教科書を覗き込む。


「なー。今、廊下でターキーに会った」

「ターキーに?」


 こんな時間まで起きているのは意外だった。彼も定期試験に向けて、勉強していたのだろうか。


「こっちに来る予定だったみたい」

「何故だ?」


 デリク・ターキーは素朴で気立てのいいクラスメイトだ。今年は監督生も担っている彼を信頼はしているが、個人的に部屋を行き来するほど親しくは無い。


「それで思い出したんだけど、俺、パートナー決まった」

「何故今の流れでパートナーを思い出すんだ? ……まあ、いい。誰に決まったんだ?」


 自分がまだオリアナを誘えていないため、少しばかり焦りと嫉妬の滲んだ声になってしまった。


「ベルツ」

「……ベルツ騎士団長の? コンスタンツェ・ベルツか?」

「そうそう」


 オリアナの友人である前に、アマネセル国騎士団の団長を務めるベルツ騎士団長が先に出てくるのは、貴族であり、年頃の男の子であれば仕方の無いことだ。アマネセル国の男子は皆、杖よりも前に一度、剣に憧れる。


 娘のコンスタンツェは、一目見ると忘れられないような人物である。

 剣のように真っ直ぐな姿勢と、美しい顔つき。しなやかな長身の彼女は、男子にとって理想的なプロポーションをしているため、男子同士の下劣な話題によく上っている――が、彼女と会話をする前とした後では、評価がガラリと変わる。

 コンスタンツェは情熱的で熱狂的な恋愛信者だった。


「……大丈夫なのか?」

「何が? 別にヤリ捨てしようってわけじゃないんだから、刺されたりせんよ」


 ミゲルが笑いながら言う。率直な言葉にヴィンセントが眉をしかめていると、ミゲルは肩をすくめた。


「ただパートナーになっただけだって。あっちも背が高いの探してたし。俺もあの身長は踊りやすい」


 コンスタンツェは女生徒の中で一番目線が近い。百七十センチは超えているだろう。


「そうか。よかったな」

「ん。ヴィンセントは? 誘ったか?」


 誰をなんて、言わないミゲルに苦笑する。

 ヴィンセントは教科書を閉じた。もう勉強に戻れる気がしなかったからだ。


(オリアナに会えないのだから、誘いたくても、誘えやしない)


 心の中で独りごちるが、そんなもの、言い訳に過ぎないことは自分が一番よくわかっていた。


(ただ、臆病風に吹かれているだけだ)


 オリアナと接点を持ってすぐの頃に比べれば、自分への評価もましになっているはずだ。一考の余地ぐらいはあるだろう。


 デートもした。行き違いがあったが、仲直りも出来た。頭を撫でられたこともあるし、膝枕もしてもらった。第二クラスの男子と比べても、自分が一番オリアナに近いと感じている。


 だがヴィンセントは踏み出せなかった。


 ことあるごとに、オリアナに「友達だから」と言われるせいだ。


 あの言葉を言われる度に、深い交流を許される安堵と、大きな失望が同時にヴィンセントを襲う。


 頭を撫で合ったり、膝枕をしたり――こんな親しさを、文字通り、「友達」としての触れ合いだなんて、いくらオリアナでも思っていないはずだ。


 誰がどう考えても、ヴィンセントとオリアナの触れ合いは、ただの友達には過ぎたものだ。


 ――だが、「建前上、友達だから、触れ合っても許されるよね」なのか、「友達だから、今日はギリギリ許してやる」なのかを、量り損ねている。


「早く誘わないと、大人気だぞ。オリアナ」

「……何?」

「最近会えてないだろ。あれ、オリアナを狙ってる男子に妨害されてるせいだって」

「何だと?」


 ヴィンセントは愕然とした。

 以前にも、定期試験のせいでオリアナと二週間ほど会えない時期があった。今回は折り悪く、試験と舞踏会が重なっているせいで、こんなにも会えないのだと思い込んでいたのだ。自分の浅はかさに目眩がする。


「ダンスレッスン、大量に男子抜けただろ。あれ、全部オリアナのところにいるらしい」

「……つまりオリアナは今、僕と同じような状況にあると?」


 それはイコール、オリアナの周りに常に男がいるということだ。


 ――自分以外の誰かが。


 猛烈な怒りがヴィンセントの胸を焦がした。


(もし躊躇している間に、オリアナが他の誰かをパートナーにしたら?)


 決して、あり得ないことでは無い。二巡目のオリアナは、あれほどヴィンセントに好意を伝えていたくせに、あっさりとヴィンセントを見限り、デリクを誘おうとした。


 みぞおちの下のところが、しくしくと痛む。


 まだ冬の中月いちがつだからと、悠長にかまえていた。ヴィンセントは拳を握りしめ、真剣な顔で窓の向こうを見る。


種ノ日げつようびの放課後、必ず談話室に行く。あそこで、待っててくれないか』


 二巡目でヴィンセントは悠長に構えていた。

 その結果は、わざわざ思い出さずとも、よく覚えている。


「……明日、何としてもオリアナに会いに行く」


「ギリギリ許してやる」のほうでも、もうかまわなかった。

 誰かに取られるぐらいなら、振られる覚悟で誘いに行く。


「やる気出してくれて助かったわ。実はさっき、ターキーから手紙預かったんだよな」


 ミゲルが一枚の封筒を見せる。


 そこには、女性の文字で「H・L」と書かれていた。





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