第161話 作戦H・L - 01 -


「オリアナちゃん。試験勉強やんの? 俺が教えてあげよっか」

「おい、エルシャ。席取っといてやったんだから、こっち座れよ」

「なぁなぁ。今度の実ノ日ニチヨウ、一緒に街行かね?」


 オリアナは真顔で男子達を見返す。


 人生最大のモテ期に、ただただ心を虚無にした。







「あー。舞踏会前だもんねぇ」


 そんな一言で説明がついてしまう現象である。オリアナは温かい紅茶のカップを両手で包み、頷いた。


 場所は女子寮の談話室。ハイデマリーとヤナと、ソファの一角に陣取っている。最近では、こんな場所ではければおちおち会話も出来ない。


「ヴィンセントには全然会えないし、意味わかんないくらい話しかけてくるし、贈り物は絶えないし、ヴィンセントに会えないし、女子寮から校舎に行くまでも男子が迎えに来るし、移動教室もめっちゃかまわれるし、ヴィンセントに会えないし、それから逃げてると授業に間に合わないし、授業を受けようと思ったら両隣は男子に座られるし、ヴィンセントに会えないし、談話室に一歩でも入れば群がってくるし……」

「どんまい」

「大変ねぇ」

「どうせ、ペアが決まってるヤナとハイデマリーにはわかんない苦労だよっ!」


 わーん、とオリアナは泣き真似をした。


 ――冬が明けると、ラーゲン魔法学校最大の行事、舞踏会がある。


 春の中月しがつに行われる舞踏会は、最終学年である五年生に参加する権利がある。五年生に誘われれば、下級生でも参加することが出来る――が、男女ペアでの出席が義務付けられている。


 この舞踏会は、ほとんどの魔法使いが初めて参加する本格的な舞踏会だ。誰もが気合いを入れ臨む。


 ペアに望まれる女の子の条件は、愛嬌があってほどほどに可愛くて頭が空っぽで、きちんと身だしなみを整えるだけの財力があり、将来の自分の結婚の邪魔にならなそうな、そこそこの女の子であることだ。


 つまり、オリアナは条件を全て満たしていた。


 通知表なら、オール優だ。


「”最も都合のいい女ベストオブラーゲン”に選ばれるなんて、ほーんと光栄だわー」

「この紅茶、誰かブランデー入れた?」


 ハイデマリーが談話室を見渡しながら声をかけるが、誰もオリアナ達に近付こうとはしない。オリアナが完全にやさぐれているのを知っているからだ。


「今まで皆、仲のいいクラスメイト達だと思ってたのに、まじで人間不信になりそう」


 オリアナは、しらけた顔をして紅茶をすする。近付いて世話を焼きたがる男子達の魂胆がモロ見えなため、モテ期に浮かれるどころか、心は完全に冷めていた。


 長期休暇明けすぐから十日間、オリアナは日常生活に支障を来している。


「そろそろいい子のオリアナちゃんでもキレる。キレて許される」


「中には本気で誘ってる男子もいるかも、とか思わないわけ?」


「いるわけないじゃんー。見たらわかるじゃんー。誰もオリアナちゃんなんて見てないじゃんー。エルシャさんしか見てないじゃんー」


 横に並んでも恥ずかしくない程度の顔がついた、成金娘。自分に飾るのに丁度いいと男子らに思われているのは、態度でわかった。


 簡単に落とせると思っていたオリアナが中々靡かないからか、「俺ならいけるんじゃないか」と勘違いした男子達から、一種の力試しのように扱われている気配さえ感じる。


 オリアナは今、普段なら全力で相手にされないような、顔が整った家柄のいい全校男子からモテモテなのである。


「恋愛経験値ゼロが偉そうにおっしゃいますなぁ」

「ハイデマリーだって、好きな人と付き合ったの初めてじゃん」

「な、なんでわかんのよ!」

「そんなの、今までの彼氏との態度の違いを見てたら、普通にわかりますけど?!」


 これまでハイデマリーには三人彼氏がいた。基本的に年上で、どういう付き合いをしていたのかはわからないが、ハイデマリーは恋人に対して、割とドライな態度を取っていた。

 それが、カイと付き合い始めた途端、カイに話しかけられるだけで貝のように黙り込んでしまうのだ。あのハイデマリーが!


「うるさい。見るな」

「何も言ってないけど」

「顔がうるさい」

「ヤナー。えーん。ランドハイムさんちの娘さんに顔がうるさいって言われたー」

「あらあら。うるさいのは顔だけじゃないって、ちゃんと教えてあげなさい」

「えーん。マハティーンさんちの娘さんがいじめるよー」


 彼氏持ち―― 一人は夫持ち――に挟まれたオリアナが咽び泣く。ヤナは長期休暇中にザレナ家に嫁ぎ、臣籍降嫁した。在学中はこれまで通り、ヤナ・ノヴァ・マハティーンという名前を使い続けるらしい。


 オリアナが男に囲まれるイコール、ヤナも男に囲まれる現状を、アズラクは全く好意的に受け止めていない。

 これまでの護衛ポジションとは違い、ヤナの夫となったアズラクは非常に独占欲が強い。


 オリアナは意識的にヤナと寮外で接する時間を減らそうとしたが、ヤナにも、そしてアズラクにも怒られてしまった。


 結果、アズラクが睨みを利かせてくれているおかげで、強引に空き教室に連れ去られたりする心配は無くなった。


 もう大昔のことに感じるが、父の弟子リスティドにストーカーまがいのことをされていたオリアナは、欲を見せる男子に苦手意識がついていた。そのため、アズラクが傍にいてくれることが、実を言うともの凄く心強かった。


(かといって……いつまでも甘えているわけにはいかないし)


 どうにかしなければと思いつつも、あのアズラクに睨まれても悪ノリを止めない集団に対抗する手段が思い浮かばず、悶々とした日々を過ごしている。


「ハイデマリー。恋愛経験値の高い貴方が、実体験を踏まえてオリアナに色々と教えて差し上げて」

「うっ……」

「そうだそうだ」

「いや。今は、私の話じゃ無い」

 逃げたハイデマリーを、オリアナはじと目でねめつける。そして、おほんと咳払いをして、聴衆の耳を傾けさせた。


「恋愛経験値ゼロだゼロだって言いますけどねえ、わ、私だって、す、好きな人ぐらい、いるんですけど」


 照れを拭いきれず、少しどもってしまったが、思い切って告白したオリアナに「あー」とハイデマリーが頷いた。


「そうそう。タンザインさんの方も大変みたいね」

「ヴィ、ヴィンセントだなんて言ってないけど!?」


 好きな相手の名前まで言っていないのに、ピンポイントでヴィンセントの話題が出て来て、オリアナは大いにきょどった。


「大変ってどうかしたの?」

「え?! ヤナまで無視?!」


「なんかどうもねぇ。うちのクラスの馬鹿も含め、男女で結託してるっぽいんだよね」

「結託?」

「タンザインさんの周りは、もう近付くどころか、顔を見ることも出来ないぐらい、女が埋め尽くしてる」


 ハイデマリーが顔を顰めて言った。オリアナは先ほどまでの衝撃も忘れ、「ひぃ」と悲鳴をあげる。女に埋め尽くされているヴィンセント。簡単に想像できるだけに、一種のホラーである。


「実際問題、空き時間のほとんどをダンスの練習に借り出されてるらしいよ」

「ダンス?」

「ほら、タンザインさんが主導してたダンスのレッスンあるじゃん?」

 オリアナは軽く頷いた。舞踏会のためのダンスレッスンなら、ヴィンセントのためにオリアナも奔走した覚えがある。


「あれ。オリアナを追いかける男子がレッスンに出なくなっちゃって、女子があぶれてるらしくてさ。それに、本番前だから毎日やりたいって女子が言い出したらしくって……タンザインさんが企画したことだからって、女子が詰め寄ったんだって」


「えっ! じゃあヴィンセント自ら、女子のダンスの稽古つけてるの!?」

「そうらしいね」


 オリアナは愕然とした。そんな羨ましすぎること、――実際にヴィンセント・タンザインを練習台にする勇気があるかどうかはともかく――オリアナだって是非お願いしたかった。


 何人もの女子がヴィンセントの手を取り、体をくっつけて踊っているのかと思うと、悔しさと嫉妬で心がぐしゃぐしゃになりそうだった。けれどオリアナには、嫉妬する権利は無い。あるとすれば、シャロン・ビーゼルだけだろう。


 嫉妬を押し殺し、オリアナはハイデマリーに尋ねた。


「――その女子達の嘆願を、ヴィンセントは素直に聞き入れてるの?」

「聞いてるみたい。タンザインさん、興味あること以外は割とドライなイメージあったけど……なんでだろうね?」


(本当に、なんで?)


 オリアナの知るヴィンセントなら、適当な理由を付けて断るはずだ。そういう場面を幾度も見てきた。女生徒の言うことを唯々諾々と聞いているなんて、ヴィンセントらしくない。


(……ビーゼルさん絡みかな)


 ヴィンセントは物事に優先順位を付けられる人だ。そのヴィンセントが大人しく言うことを聞いているとすれば、彼にとって余程優先順位の高い人が絡んでいるのだろう。


「……ていうか。そんな困ってるなら、私に言ってくれればいいのに」


 シャロンのようにヴィンセントの心の支えにはなれなくとも、以前同様、オリアナだって手を貸すことは出来るはずだ。ヴィンセントの企画書の通りに、ウィルントン先生にかけあったのはオリアナである。


「いやだから、あんたとタンザインさんを引き離すために、こうなってるんだって」


「へ?」


 要領を得ていないオリアナに、ハイデマリーが両手の親指と親指を立てる。そして二本の親指をくっつけ、離す動作をした。


「あんた達が、どう考えても最有力パートナー候補じゃん、お互いの。だから、タンザインさんを誘いたい女子と、オリアナを誘いたい男子で、利害の一致があったってわけ」


「へああ~?」


 オリアナはカップをテーブルに置いた。このままでは零してしまいそうだったからだ。


「パートナー? ヴィンセントと? 誘われても無いし、考えてもみなかったよ?!」

「なんでよ。あんたは考えなさいよ」

「いやだって――」


(ヴィンセントは、ビーゼルさんが好きだし)


 その気持ちを知っているオリアナが、ヴィンセントを誘えるわけが無い。


「……え。っていうことは、ヴィンセント、まだペア決まって無いの?」

「だからこんなに膠着状態が続いてるんでしょうが。オリアナかタンザインさんのどっちかのペアが決まっちゃえば、あとはこっちのもんよって多分皆思ってるのよね」


(ヴィンセントはまだ、ビーゼルさんにペアを申し込んで無い?)


 同じクラスのシャロンとさえ話せないほど、女子に包囲されているのだろうか。なら、オリアナが最近全く話せていないのも仕方が無いと言える。


 生真面目で清廉とした孤高の月のようだったヴィンセント。オリアナと接し始め、随分と人間らしくなってきた彼に、生徒達は隙を感じているのだろう。所謂ギャップ萌えである。


 そして、月が地上に降りている最後のチャンスを、決して逃してなるものかと殺気立っている。


「だから、ヴィンセントとこんなに会えないのかっ……!」


 学校内で、遠目にチラリとヴィンセントを見ることはあった。

 しかし、第二クラスと特待クラスでは基本的に行動範囲が違うため、故意に会おうとしない限りは中々会えない。移動教室の途中などで運良く顔を合わせて、挨拶をしようとしても、互いに誰かに話しかけられたりして、ことごとくタイミングが合わなかった。


 舞踏会前は皆浮き足立つため、学校中の雰囲気が日頃と変わる。四六時中傍にいる男子達に苛々もしていたため、淋しさは感じつつも、違和感に気付くことが出来なかった。


「まあ。私、大事なものがこけにされるの、性に合わないわ」

「んー。このままってのもねぇ」


 ヤナが優雅に微笑み、ハイデマリーが顔を顰める。どちらも、敵に回したくないタイプである。


 ハイデマリーはカップをソーサーに置くと、すっと立ち上がった。優雅な身のこなしは、さすが男爵家の令嬢と言える。


「ごっそさん。帰るわ。遅くまでお邪魔しました」

「出口まで送るー」

「ん」


 オリアナも立ち上がり、とてとてとついて歩く。らせん階段を数段降りたところに、オリアナ達の住む女子寮の入り口がある。


 ハイデマリーがドアを開ける。外はすっかりと暗く、吐く息は白い。ドアを開けた際に冷気が入り込み、オリアナは暖を取るため、ルームウェアの襟元を引き延ばした。


「オリアナ」

「ん?」


 顔を半分隠したオリアナを、ハイデマリーが睨み付ける。


「任せときな」

「は、はい」


 男気溢れるハイデマリーに、思わずオリアナが頷く。ハイデマリーは「んじゃ」と片手をあげて去って行った。ハイデマリーの住む寮までは徒歩数秒だ。


「……私達の前じゃ、あんなに男前なのにねぇ」

「ねぇ?」


 いつの間にやって来ていたのか、ヤナがオリアナの腰に抱きつきながら、肩に顎を載せた。ハイデマリーの後ろ姿を、二人で見送る。


「でもヤナだってそうじゃん。あんなにアズラクを我が物顔でこき使ってたのに」

 オリアナが意地悪を言うと、ヤナは顔を赤くしてオリアナの肩に顔を埋めた。


「わ、私……私から触れるのは慣れていても、アズラクから触れられたことなんて無かったんだもの……」


(可愛い。きゅんとした。絶対にアズラクには見せてやんない)


 腕を後ろに回して、オリアナがぎゅっとヤナを抱きしめる。ヤナもオリアナを抱きしめた。


(――皆きっと、誰かの前でだけ、乙女なんだ)




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