第160話 恋じゃないけど愛でもない - 03 -
「ヤナ!」
ヤナとアズラクは食堂にいた。身軽なため、持っていた大荷物は片付け終えたようだ。二人とも、見慣れた制服とローブに身を包んでいる。
走り寄るオリアナを見て、ヤナが席を立った。パタパタと走って来たヤナが、ぎゅっとオリアナに抱きつく。
「さっきは驚いたわ」
オリアナが急に逃げてしまったため、ヤナを不安にさせていたようだ。オリアナはヤナを抱きしめ返すと、席に座ったままこちらを見ていたアズラクに言った。
「ねえヤナ。ちょっとアズラクと話してもいい?」
「ええ、もちろんよ」
聞きたいことは沢山あるだろうに、ヤナは笑顔でオリアナから離れた。オリアナはじっとアズラクを見つめる。アズラクは席を立つと「外でいいか?」と尋ねてきた。
オリアナは軽く頷き、二人で食堂の外に出る。
「……」
二人になり向き合っても、オリアナは中々口を開くことが出来なかった。話さなければ、と気ばかりが急いて、うまく言葉にならない。
「エルシャ」
「ふぁい」
痺れを切らしたのか、アズラクがオリアナの名前を呼んだ。いつの間にか俯いていたオリアナは、焦って顔を上げる。
「謝らせて欲しい」
首を折り曲げてこちらを見下ろすアズラクが、静かに口を開いた。
「先程のことだ。エルシャを不快にさせたかったわけではない」
『ずっとヤナを支え続けてくれたこと、感謝している』
オリアナが逃げ出すきっかけになった、アズラクの台詞を思い出す。
謝罪され、悔しさと恥ずかしさと申し訳なさがない交ぜになる。なんと言っていいか迷って、くしゃりと下手くそな笑みを浮かべた。
「私もだよ。アズラクに、気を遣わせたかったわけじゃないの。結婚したって聞いて……ちゃんと、ヤナはアズラクのものになったって、理解してるし――」
「そういう意味では無かったんだ」
アズラクが、こんな風にオリアナの台詞を遮ったのは、多分初めてだ。
これまで、ヤナの従者としての立場を崩そうとしなかったアズラクの気持ちが変わったのか、よほど訂正したかったのかまではわからないが、オリアナは黙って話を聞いた。
「――伝えるつもりは無かった。エルシャが不快に感じなければいいが……俺はエルシャを、同志のように感じていた」
「同志?」
アズラクの男らしく凜々しい顔に、苦笑が浮かぶ。
「共にヤナを守る者として――信頼を置いていた。勝手にすまない」
ヤナを守るアズラクに、オリアナは勝手な親近感を抱いていた。
だが、アズラクのような本職にはまるで及ばない稚児の遊戯のようなものだ。傍にいて、話を聞いて、慰め合って、支え合って――そんな、おままごとのようなヤナとの関係を、アズラクが認めてくれているなんて、思ってもいなかった。
オリアナの心が、春になったかのようにぶわりと温かくなる。
「……ありがとう。それは……すごく、光栄」
「だから、報告したかった。俺からも――感謝を告げさせてくれ」
いつも余裕綽々なアズラクらしくない、どこか照れくさそうな表情だった。
心に湧いた僅かな疑問を、オリアナは勇気を持って口に出した。
「……アズラク、もしかして、私のこと、友達だとも、思ってくれてる?」
「エルシャが許してくれるなら」
オリアナは笑った。アズラクも笑った。きっと二人とも、これまで互いに見せた中で、一番下手くそな笑顔だった。
「……友達なら、しょうがない。ヤナとの結婚、許してあげる」
「それは嬉しいな」
アズラクが、いつもの皮肉っぽい笑みを浮かべた。ふふっと笑って、オリアナは言った。
「お友達なら、お願い。聞いてくれるよね?」
「なんだ?」
「たまには、ヤナを私にもちょうだい」
「俺はこれから、毎晩我慢しなくてはならないのに?」
あけすけな言葉に、オリアナはローブの裾でバシッとアズラクを叩いた。
(け、結婚してるんだから、そういうことはあるかもとは思ってたけど、けど言うなよ! 言うな!!)
顔を真っ赤にさせたオリアナに、アズラクは余裕の顔を向ける。
「絶対もらうって、今決めた」
「エテ・カリマの男の嫉妬深さを知っているか?」
「引かないよ。友達だからね」
オリアナが睨み付けると、アズラクは腹から声を出して笑った。初めて聞くアズラクの笑い声に、オリアナはぽかんとする。
(アズラクも、声をあげて笑うんだ……)
人間だから当然なのに、オリアナはそんなことを思ってしまった。これまで、彼は徹底的に「護衛」としての顔以外を、オリアナに見せなかった。こんな風に、アズラク自身の感情を見せて貰ったことは、もしかしたら無かったかもしれない。
「――困った友人だ」
言葉とは裏腹に、どこか嬉しそうにアズラクが言った。オリアナは満足して、ヤナの元に戻ろうとする。
「エルシャ」
背後から呼び止められ、オリアナはアズラクを振り返った。
「エルシャのような友人がヤナにいることを、誇らしく思う」
最上級の褒め言葉に、オリアナは唇をむぐぐっと噛みしめて、喜びを堪えた。
***
「ヤーナー!」
先ほどとは打って変わり、明るい声でオリアナはヤナを呼んだ。
食堂で待っていたヤナは、オリアナを見てほっとしたような笑顔を見せる。
「内緒話は上手くいったかしら?」
「やきもち? やきもち妬いてる?」
ヤナの細い腕にくるりと腕を回したオリアナが、体を寄せる。後ろからやって来たアズラクが、女子二人の戯れをいつもの顔で見守る。
「私だって、やきもちくらい妬くわ」
「どっちに?」
「もちろん、アズラクに」
悠々と言ってのけたヤナに、オリアナはぎゅっと抱きついた。
(これが嘘でも、いいんだ)
ヤナは今、オリアナを優先してくれた。
それが事実には変わりない。
(そして、私がヤナをずっと好きなことも、変わらない)
「ヤナ」
「どうかして?」
「結婚、おめでとう」
心からの気持ちが溢れ出し、自然と言葉がこぼれていた。
同時に、ヤナの漆黒の瞳からも、涙がポロリとこぼれる。
驚いたオリアナは、ヤナの腕から離れようとした。しかし、ヤナの細い指がそっとオリアナの手を掴む。
離れないでほしいと言われているような微かな指の力を感じ、オリアナはまたヤナに抱きついた。
「……アズラクにね、ヤナの事、たまには私にも独り占めさせてってお願いしちゃった」
「まあ……ふふ」
「駄目って言われたけど粘った」
「ふふっ」
「粘り勝ちしたよ!」
「ふふふっ」
オリアナにしがみついたヤナが、泣きながら笑う。あまりにも幸せそうな笑顔で、オリアナの心まで満たされる。
アズラクを見ると、心底幸せそうな顔をして、愛しくて仕方が無いとばかりにヤナを見ていた。
(ああ、なんだ)
この顔が見たくて、許してくれたんだな。そう思うと、もっとヤナを笑わせなくてはと思い、オリアナはヤナをぎゅうと抱きしめた。
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