第159話 恋じゃないけど愛でもない - 02 -


「ヴィンセント、ヴィンセントヴィンセント!」


 名前連呼からのタックル、からの腕引っ張り、からの逃走――を経て、オリアナはヴィンセントと、校舎の影に座り込んでいた。


 ぜぇはぁと荒い息が絶えない。成長しないオリアナの隣で、ヴィンセントは余裕の顔だ。


「何があった?」


 ヤナとアズラクから逃げた先で偶然ヴィンセントを見かけたオリアナは、気付けば彼に飛びついていた。

 突然飛びつかれたというのに、ヴィンセントは困惑するでも怒るでも無く、ただ静かに受け止めてくれた。逃亡先で体力の限界によりしゃがみこんだオリアナの汗を、ハンカチで拭いてくれてまでいる。


「ごめん……急に……」

「かまわない。甘えに来たんだろう?」


 オリアナはぽかんとしてヴィンセントを見た。


(甘えに? 私は今、ヴィンセントに甘えてるの?)


 その通りだと気づき、顔が真っ赤に染まる。

 ヴィンセントが汗を拭いてくれている事実にもようやく思い至り、慌てて顔を下げて、手を突っぱねる。


「ごごごごめん! そういうつもりじゃ、いやつもりじゃなきゃいいわけじゃないし、むしろ良くないか! いや、待って、ごめん――」

「気に病むことは無い。僕も君に甘えさせて貰ったことが何度もある。次は僕の番なだけだ」


 穏やかなヴィンセントの声に、オリアナは顔を上げる。オリアナの顔に、またヴィンセントがハンカチを押し当てた。


「むしろ嬉しいよ。隣にミゲルもいたのに、君は僕を選んだから」


 ラーゲン魔法学校に帰ってきたヴィンセントの隣を、同じく領地から戻ってきたミゲルが歩いていたことに、オリアナは指摘されるまで気付かなかった。それほど、ヴィンセントしか見ていなかった。


「う、うあー!」


 ヤナとアズラクの結婚に衝撃を受けたとはいえ、更に、久しぶりに会ったヴィンセントにテンションが振り切れてしまったとはいえ――抑えていたはずの恋心が完全に漏れ出ているでは無いか。


 テンパるオリアナに、ヴィンセントがくすりと笑う。ヴィンセントの余裕に、オリアナは更に余裕を無くした。


「それで、どうしたんだ」

 優しく尋ねるヴィンセントに促され、オリアナは口を開く。


「ヤナとアズラクが……」

「ああ。あの二人か。無事に結婚したらしいな」

「――え! 私だってさっき聞いたのに、なんでヴィンセントがもう知ってるの!?」

「そういう話題は立場上、どうしても耳に入ってくる」


 苦笑したヴィンセントは、オリアナよりも先に、ヤナから聞いたわけでは無いのだと、言い訳をしてくれているようだった。

 いや、きっと言い訳をしてくれたのだ。自らが恥ずかしくなり、オリアナは両手で頬を覆った。


「やきもち妬いてごめん……っていうか、そうなんだよな。多分、絶対。やきもちなんだよな……」


 オリアナは手に力を込め、自分の頬をぐにぐにと揉んだ。


「私、ヤナがアズラクを好きだって、知ってたの」

「そうか」


 ヴィンセントは、オリアナと共にヤナの最終試練を、面会室で見届けてくれた。

 何故か最後の挑戦者に大抜擢されたミゲルに、オリアナと同じほどハラハラドキドキしてくれていたはずだ。


 ただただヤナの八つ当たりに巻き込まれただけのミゲルは、窓から逃亡したアズラクとヤナを見て、顎が外れそうなほど、大笑いした。


 窓から二人が消えた後は、エテ・カリマジョークでシンラ王子の第五夫人に勧誘されたり、それをミゲルとヴィンセントがにこやかな笑顔でブロックしたりしながらも、和やかな空気でソファやテーブルの位置を元に戻すという――文句の付けようのない、大団円だった。


「試練の結果に、心からおめでとうって思ってたのに……」

「ああ」

「ほら、あの時はアズラクってば、ちっちゃかったじゃん?」

「そうだな」

「だからなのかな。全然なんか、現実味が無かったというか……おめでとう! としか思えなくて。でも、大きなアズラクがね……ヤナの隣にいると、すごい様になって――ヤナも幸せそうで。幸せを祝ってあげなきゃいけないのに、あーヤナとアズラクはもう恋人……じゃなくて、夫婦なんだなあって……私そんな二人を見て――」


 めちゃくちゃ淋しくて。


 自分で言って自分にドン引きしてしまった。


 深いため息をつくオリアナの隣に座っているヴィンセントは、校舎の壁に背をつけ、空を見上げる。


「仕方無いんじゃないか?」

「え?」

「オリアナは、僕から見てもマハティーンさんと親しかった。あれだけ互いに必要としあっていたのだから、淋しく思うのも当然だろう」


 否定されても、うざがられても仕方が無いと思っていたオリアナは、あまりにも当然のように肯定してくれたヴィンセントに、ぽかんとしてしまう。


「……ほんと?」

「ああ」

「ほんとのほんと?」

「僕は出来る限り、君には嘘をつかないようにしている」


 慈しむような言い方に嘘は見えなくて、オリアナは顔をぱぁと輝かせた。


「そっかぁー……ヴィンセントにそう言って貰えると、ほっとする」

「君を甘やかせたか?」

「すんごく」


 ならよかった、と言ったヴィンセントがオリアナの頭を撫でる。


(え……。なにこのご褒美……)


 今までのヴィンセントであれば、軽率に女子の体に触ったりはしなかった。

 長期休暇前に、頭を撫でたり膝枕をしたりと、身体的な接触があったせいで、距離が縮まっているのだろうか。


(これも、甘やかす・・・・一環……?)


 だとすればかなり、度が過ぎたご褒美だ。

 撫でられることは、素直に嬉しい。けれど、緊張が増す。

 のべつ幕無し、こういうことをする人では無いと知っている。だからこそ、撫でてくれる手のぬくもりの意味を、邪推したくなる。


(ヴィンセントには、好きな人がいるって知っているのに)


 頭と心が急速に冷める。

 冷静さを取り戻したオリアナは、無邪気を装って笑う。


「じゃあヴィンセントも、ミゲルに恋人が出来たら淋しくなっちゃうね」

「は?」


 心底驚いた、という顔をするヴィンセントに、オリアナは首を傾げる。


「……僕は男だから、そういう気持ちにはならないんじゃないか?」

「あんな仲いいのに?」

「そういう自分は流石に気持ち悪い」


 男の子同士はそんなものなのかもしれない。オリアナは「へぇ」と頷く。


「オリアナは……マハティーンさんらが一緒になれたことを淋しくも思っているが、喜んでもいるのだろう?」

「……うん」


 オリアナはしっかりと頷いた。やきもちを妬く卑しい自分とは別に、全力で二人を祝福しているオリアナちゃんも確かにいるのだ。


「なら、君達は大丈夫だ」


 ヴィンセントが柔らかく笑って、オリアナに言う。なんの根拠も無いのに、ヴィンセントにそう言われると心底安心した。


 温かくて柔らかいものに包まれているかのような、体中の力が抜けそうな感覚がオリアナを襲う。これ以上、慈愛に満ちたヴィンセントの微笑みを見ていては、泣いてしまうかもしれない。オリアナは慌てて立ち上がった。


「話、聞いてくれてありがとう! ヤナ達のところに戻るね」

「そうか。頑張れ」

「うん!」


 オリアナが足を踏み出すと、ヴィンセントが「オリアナ」と、呼び止めた。


「ん?」


「マハティーンさんのことが落ち着いたら、少し時間をくれないか」


 オリアナの隣に座っていたヴィンセントが、立ち上がりながら言った。マナーにうるさい彼にしては珍しく、ズボンのポケットに手を入れて立っている。


「? わかったー」


 小首を傾げた後、オリアナは大きく頷いて、ヴィンセントに手をふりふりした。





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