第158話 恋じゃないけど愛でもない - 01 -


(ヴィンセントを好きになる前は、はやく学校が始まってほしいと思う日が来るなんて想像もしてなかった)


 この長期休暇中、オリアナはヴィンセントに会いたくて仕方が無かった。

 三ヶ月間、一度もヴィンセントに会えなかったのだ。


 長期休暇の間、学友に招待されたパーティーには全て出かけたが、ヴィンセントと顔を合わせることは無かった。パーティー会場に入って、シャンパンを飲みながら招待客を見渡し、何度ため息をついたか知れない。


(偶然を装って、一目会うことも出来無いなんて)


 オリアナの家格ではヴィンセントと同じ催しに参加することは出来無い。

 社交界デビューしていないオリアナが出られる催しは、身内向けのパーティーくらいだ。そんなところにヴィンセントを誘える学友がいれば――三年生の時、オリアナがヴィンセントに話しかけられたぐらいで、学校中がどよめいたりするはずも無い。


 よく考えなくても、わかりきっていることだった。それでも、一パーセントでもヴィンセントが来る可能性があるのなら、逃したくなかった。


 ヴィンセントが気安く声をかけてきたことで学校中が大騒ぎしたのも、もう随分と前のことに思える。


(あの時、ヴィンセントが諦めないでくれて、よかったな……)


 当時は、こんなに親しくなるとも、こんなに好きになるとも思っていなかった。住む世界が違うと突き放してばかりいたオリアナを、ヴィンセントは追いかけてきてくれた。友達になって欲しいと、実直に訴えてくれた。


 毎年誕生日に届く、野草の花束についていたカードが、花束と共に窓辺に飾ってある。

 今年も届いたら、贈り主を探してみようと思っていたが、贈り主をはっきりさせたくなくて、結局止めた。


 そのカードに書かれた「お誕生日おめでとう」という文字までも、ヴィンセントの筆跡に似ているように見え始めるなんて――恋とはなんて、度しがたい。




***




「――ええっと。アズラクさん?」


 長期休暇明け、国に帰っていたヤナと久しぶりに会ったオリアナは、ラーゲン魔法学校の門扉を抜けてすぐにある広場で顔を引きつらせた。


 国から帰ってきた服のまま、門扉では無く校舎の方から、ヤナとアズラクは歩いてきた。無事に元のサイズに戻ったアズラクが、いつも通り二人分の大荷物を持っている。


 それはいい。それについては、見慣れた光景だ。


 だが、オリアナはおよそ初めて――アズラクがヤナの隣を歩いているのを見た。


「どうした、エルシャ」

 いつもは必ずヤナの一歩後ろを歩いていたアズラクが、ヤナの隣を当たり前のように歩きながら、オリアナに近付いてくる。


「ど、どうしたっていうか……?!」


(どうしたっていうか、完全に、距離が近い)


 近いというか、なんというか、距離が無い。ヤナの右側が、完全にアズラクの左側にくっついてしまっている。ヤナの腰には、アズラクの手が回っていて、オリアナはその生々しさを直視出来なかった。

 これまでの二人とは、徹底的に距離感が違った。


 帰省後、友人らと束の間のお喋りを楽しむために広場にいた他の生徒達が、ざわざわとこちらを見ている。


 ヤナとアズラクは、ラーゲン魔法学校で有名だった。


 ――他国の王族で、留学生で、とんでもない美人で、試練の褒美。

 目立つなと言う方が無理である。


 試練のことは大々的に発表していたわけでは無いが、年を追うごとに生徒に広まった。最終学年となる五年生になった今、新入生以外のほとんどの生徒が、ヤナとアズラクの関係を知っているだろう。


 そんな二人の関係性が変わったのは、漂う甘い空気から、火を見るよりも明らかだ。そのことに生徒達は、オリアナ同様衝撃を受けていた。


 ヤナの試練が、誰も想像もしなかった形で終わったことにも、気付いただろう。


 オリアナがヤナを見ると、ヤナは微笑んだ。照れ笑いのような、あまりにも可愛い表情だ。


(何その顔、初めて見た。え、何、その顔。何)


 衝撃を受けるオリアナに、ヤナがはにかみながら口を開く。


「今、先生達に報告に行っていたのよ」

「ほ、報告……? 報告とは、何の……?」


 先生にまでしなければならない報告だなんて、ただ事では無い。緊張から出た生唾を飲み込んだオリアナの喉が、ゴクリと鳴った。


「と」

「と?」

「嫁いだの」


(トツイダ――とついだ? 嫁いだ?)


 耳をそばだててオリアナ達の話を盗み聞きしていた周囲の生徒が、途端にざわめき立った。数人の生徒が走り出したのを、視界の隅で感じる。きっと伝書鳩のように、生徒らは縦横無尽にラーゲン魔法学校を走り回り、このめでたい報を広げまくってくる気だろう。


 オリアナはヤナとアズラクを交互に見た。

 どもりながらも結婚の報告を果たしたヤナを見下ろすアズラクの表情は、慈しみに溢れていた。彼は笑わないわけではないが、いつもどこか作ったようなニヒルな笑みを浮かべるだけだった。そんなアズラクの、素の表情を盗み見る。

 アズラクの太い腕が、抱き慣れた仕草でヤナの体を自分に寄せる。


(ひえええ……明らかに、俺の女扱いしてるぅうう……。っていうか、アズラクのこんな顔も初見なんですけど……!)


 オリアナは衝撃を受けすぎたせいで、足がふらふらになった。


「嫁いだ、お嫁さん、奥さん? 妻??」

「オリアナ……」


 顔を真っ赤に染め上げて、ヤナは両手で顔を伏せた。いつも凜と前を見据えているくせに、恋には逃げ腰で奥手だったヤナは、明らかにこの事態に慣れていない様子だ。


(いや、展開早すぎない??)


 在学中でも、婚約を結ぶ貴族がいることは知っている。恥ずかしがっているが、戸惑っている様子は無いので、もしかしたらエテ・カリマ国ではこれが普通なのかもしれない。


 ヤナの恋心を知っていたオリアナは、試練の結果に心底安堵した。

 突然現れたヤナの兄や、小さなままのアズラクとの試合など、驚愕する場面は多々あったが、収まるところに収まった――いや、多分あの掴み所の無いヤナの兄が、なんとか収めたのであろう――二人に、大喜びした。


 元のサイズに戻れたというアズラクと、試練の結果を報告しに国に戻ると手紙を受け取った時も、心の底から祝福した。


 なのに――


「……ご結婚、おめでとうございます」


 思っていたよりもずっと、声が低くなってしまった。


 だがヤナは、オリアナが驚いているせいと思ったのか、微笑んだまま頷く。


「ありがとう。オリアナにはどうしても、直接伝えたかったの。言えて良かったわ」


 オリアナの胸がキュンとする。

 ちらりとアズラクを見ると、彼は笑みを浮かべていた。


「エルシャ。ずっとヤナを支え続けてくれたこと、感謝している」


 この三ヶ月の間に――夫婦となった二人には、沢山の会話があったのだろう。その中で、オリアナがヤナの恋愛相談を受けていたことを、アズラクも知ったのかもしれない。


 夫ならば、妻を支えた友人に礼を言うのは、おかしいことでは無い。


 だけど、オリアナは、ムッとして。


 ものすごく、ムッとしてしまって。


 ――ヤナの荷物を持つため迎えに来たはずだったのに、オリアナはヤナを置いて、走り去ってしまった。




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