第157話 巡る夜と死んだ朝 - 02 -
「……紫竜? ならば、己も見たと言うのか」
――友が死ぬ姿を。
掠れた声は、言葉になっているかも怪しいほどに小さかった。だが、ヴィンセントは確かに前緑竜公爵が続けた言葉を聞いた。
背筋を伸ばしたヴィンセントの隣で、ミゲルがただ静かに前緑竜公爵を見ている。
「友では無く、愛する女性が死にました。そして僕も」
「そうか」
声色から、ヴィンセントに向けていた不信感が消えていた。前緑竜公爵は立ったままのヴィンセントとミゲルを見上げると、「かけなさい」と言う。二人は素直に椅子に腰掛けた。
そこには長年、人として認められなかった老人では無く、八竜の一人として生きてきた老年の男性がいた。
「好奇心で、話を聞きたがる者は数多いた。だが、同じ目に遭った者を見るのは、君で二人目だ」
前緑竜公爵の過去について、社交界ではタブー視されている。
強い影響力を持つ八竜の一人が精神の病気にかかっているなど、若い世代で知るものは一人もいない。もしかしたら、どんな世代であれ、ほとんどの貴族が知らないかもしれない。
だが、秘密は漏れるものだ。
前緑竜公爵が語る竜木の話をどこからか聞きつけた学者や記者が、心ない言葉で彼を傷つけてきたことは、閣下の漏らした少ない言葉からでも窺えた。
「……二人目、とは?」
「この人生以外の時を生きた者――死に戻った者の数だ」
死に戻り、とヴィンセントは唇を動かした。
「死に戻った一人目は、友を失い惑う私に、道を授けてくれた者だった。その者も、八竜の一人だった。彼は、”竜の審判”を乗り越えた」
「”竜の審判”――というと、神話の?」
アマネセル国に伝わる神話に、”竜の審判”という話がある。
竜木を傷つけたことで竜の怒りを買った男女に、竜が苦難を与える話だ。
二人の男女は力を合わせて困難を乗り越え、愛を確かめ合い、竜に認められる。
竜木を調べるにあたり、神話の話ももちろん浚っていた。しかし、神話は神話だと思っていたヴィンセントを、前緑竜公爵は真っ直ぐに見た。
「そうだ。書物には、共に死ぬ恋人をさし二人と記されているが――実際は三人だ。竜木は、三人殺す」
ぞくりと、ヴィンセントの体に震えが走る。
これまでずっと、ヴィンセントとオリアナだけが、この終わらない日々の中にいるのだと思っていた。
「私も、かつての八竜の者も、三人目だった。八竜の者が担う役は――竜。つまり、我らは”審判役”だ」
「――僕が、竜の代理人ということですか? 神話に準えれば、恋人らを判ずる立場にあると?」
「そうだ」
「ですが僕は……いつも恋人と、共に死んでいました。記憶が残るのも、僕であったり、恋人であったりと不確かで……」
「不思議なことだ。基本的に記憶が残るのは八竜である審判役のみ。――もっとも、私も竜そのものから聞いた話では無いため、どれほど信憑性があるのかは定かでは無いがな」
前例が少なく、この話をすれば狂っていると蔑まれるため、記録もほとんど残っていない。ヴィンセントとハインツ先生が研究に難航していたのも、信憑性のある資料があまりにも乏しかったためである。
ヴィンセントの隣に座っていたミゲルが立ち上がった。
ドアの方に行くと、先ほどの使用人がトレイを持ったまま立ち往生していた。込み入った話をしていたため、入室するのを躊躇っていたのだろう。
気が利くミゲルがトレイを受け取り、前緑竜公爵とヴィンセントにカップを配る。
「タンザイン。君は何度死んだ」
「……恋人の話を加味すると、二度です」
「ならば、まだあと五回ある」
「五回?」
「八つの竜の心臓の数だけ、審判は繰り返せる。しかし、八度死ねば、後は無い」
アマネセル国は八匹の竜に守られている。
ヴィンセントのカップを配るミゲルの手が強ばり、サイドテーブルに置こうとしたカップとソーサーが、カチャリと音を立てる。
「友とその恋人は死に――私は二度と、やり直すことは出来無かった」
ヴィンセントは苦しそうに話す前緑竜公爵に胸を痛める。
「人生をやり直すためには、三人分の命が必要なのだと思っていた。だが、君と話して考えが変わった。君は八竜が故に、審判役と同時に、男役を担っているのかもしれない」
「……なるほど」
「男役なら大丈夫だろうが――十分に気をつけろ。審判役は、”竜の審判”に手を加えてはならない。私はそれに気付かずに、失敗した」
二巡目にも、そして三巡目にも、自分達以外に記憶がある素振りを見せた者はいない。三人目がいるなんて可能性すら、ヴィンセントは考えたことは無かった。
(そしてきっと、二巡目のオリアナも――)
ヴィンセントはミゲルが注いだお茶を手に取り、口に含んだ。自分でも気付かないくらい、口の中が乾き切っていた。
前緑竜公爵の話が一段落付いたことを見計らい、ヴィンセントはゆっくりと口を開いた。
「ずっと、面会を拒まれていると聞きました。何故、これほど丁寧に教えてくださったんですか」
「言ったろう。私に、道を授けてくれる者がいたと」
座っていることに疲れたのか、前緑竜公爵はヴィンセントらに断りを入れると、ベッドにゆっくりと体を横たえた。
「竜の気まぐれに振り回され、友と、友の愛する者に何度も目の前で死なれた。救う手立てを、ついぞ最後まで見つけられなかった。これほどの死に損ないが生き続ける意味があるとすれば、誰かの愛する友とその恋人を、救う手助けをすることだと――そう思い、生き長らえた」
主人が横たわったことに気付いた使用人が、気配を殺して部屋に入ってくる。サイドテーブルにあるカップを決まった位置に置き直し、くしゃくしゃに丸まっていた毛布を前緑竜公爵の胸まで引っ張る。
窓辺から差し込む柔らかい光に照らされた前緑竜公爵は、目を瞑って、穏やかに言った。
「私がおめおめと生き延びたのは、今日この日のためだったと胸を張れる。死ぬ前に、こんな機会をくれた君に、感謝しかない」
言い終わると同時に、前緑竜公爵は糸が切れたように眠った。使用人が頭を下げる。
「申し訳ございません。これほど長くお話になったのは、久しぶりのことでして……」
「いえ、私どもこそご体調も考えず、長々と失礼致しました。お暇致します。前緑竜公爵閣下には、感謝の念に堪えません。どうぞよろしくお伝えください。また後日、お礼に伺います」
ヴィンセントは立ち上がり、手短に挨拶を済ませると家を出た。ミゲルもひょこひょことついてくる。
家の前で待たせていた馬車に乗り込むと、使用人は馬車が見えなくなるまで頭を下げ続けていた。
田舎道は舗装などされておらず、馬が走る度にガタガタと馬車が振動する。揺れる車内で、ヴィンセントは正面に座るミゲルを見た。
「面白かったか?」
「んー。眠たかったから、あんましっかり聞いてなかった」
あくまでも、聞かなかった振りを貫くらしい。言っていたとおり、面倒ごとは避けたいのだろう。ヴィンセントはゆっくりと頷いた。
「そうか――街に着くまで寝ているといい」
「あんがと」
ミゲルは礼を言うと、小さな車内で器用に身をかがめて眠る姿勢をとった。
飴を口に咥えたままでは危ないと、ヴィンセントがスティックキャンディの棒を摘まみ、ミゲルの口から引きずり出した。
ミゲルは不満そうに眉をしかめヴィンセントを見たが、再び目を閉じると、すぐに寝息をたて始めた。
飴を持ったまま、ヴィンセントは車窓から外を見た。
(……”竜の審判”、八竜という竜の代理人、八度のタイムリミット)
そして――三人目。
(本当に、僕が二役を担っているのだろうか。もし、三人目がいるとしたら――)
「……それは、誰だ?」
車窓から入り込んだ日差しに照らされ、ヴィンセントの摘まんでいたスティックキャンディがキラリと光った。
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