第156話 巡る夜と死んだ朝 - 01 -
ラーゲン魔法学校が長期休暇となるこの日、駅は学生達でごった返していた。家族とほぼ一年ぶりに再会を果たした生徒達の顔は緩んでいる。重い荷物を引きずりながら、地方出身の生徒らが魔船路に乗り込んだ。
ヴィンセントも、いつものローブを脱ぎ、帽子を深く被って魔船路に乗り込んだ。
予約をしていなかったため、いつも座る特等席には座れない。空いている一等席のコンパートメントの扉を開き、棚の上に荷物をあげていると、後ろからひょいと見慣れた赤毛がやってきた。
「よっ」
「……何をしているんだ、ミゲル。反対方向だろう?」
「ははっ。よく言う」
笑いながらミゲルも自分の荷物を棚の上に上げた。ヴィンセントはミゲルに反論できず、渋い顔をして椅子に座る。ヴィンセントこそ、反対方向の魔船路に乗っているからである。
「僕を追いかけてきたのか?」
「そう。ヴィンセントのこと大好きだから」
「帰れと言っても無駄なんだろうな」
「さすが、よくわかってる」
にまーと笑うミゲルに、ヴィンセントはこれ以上何も言えなくなった。コンパートメントの扉が開き、見知らぬ生徒達が入ってきたからだ。
コンパートメントは四人席だ。終業式の今日、何処のコンパートメントも満杯だろう。
ミゲルとヴィンセントが乗り合わせていたことに、入ってきた女生徒は目を白黒させ、顔を真っ赤にして喜んだ。相席に異論は無いことを伝えると、ミゲルとヴィンセントは窓側の席を女生徒らに譲り、目的地まで静かに揺られた。
魔船路に揺られ、馬車を乗り継ぎ、なんとか辿り着いた先は、人里離れた田舎の屋敷だった。
丁寧に手入れはされているが、古くて小さな民家である。小さな煙突からもくもくと煙が見えることから、ちゃんと人が住んでいることが窺え、ヴィンセントはホッと胸を撫で下ろす。
「中にまでついてくる気か?」
「大丈夫大丈夫。何もしないから」
ミゲルの軽い物言いに、ヴィンセントは引っかかった。
(何もしない? こういう時は普通「邪魔はしない」では無いか?)
なんとなく気にかかったが、あえて突っ込むようなことでも無い。手に抱えていた重い荷物を足下に置くと、ヴィンセントは隣に立つミゲルの顔を見た。
ヴィンセントは、ミゲルに人生をやり直しているという事情を話したことは無かった。いつも植物温室に行くのも、ハインツ先生に協力を頼まれたから魔法道具の開発を手伝っている、としか伝えていない。こんな曖昧な説明で、ミゲルは四年間も傍に居続けてくれた。
ずっと、話すか話すまいか、ヴィンセントは迷っていた。
話せばミゲルを巻き込むことになるだろう。しかし、一番の友人に秘密を持ち続けるのも、心苦しかった。
いい機会だと、こんな時でも無ければ勇気を振り絞れない自分に内心笑って、ヴィンセントは口を開く。
「中まで来るのなら、先に話しておく。ミゲル、僕がハインツ先生と取引をしていることは感づいているな?」
「まあ、うっすらとは」
ミゲルの加えているキャンディの棒が、ぶらぶらと揺れる。
「僕は竜木について調べている。魔法植物に詳しいハインツ先生にも協力を仰いだ。その見返りとして、僕はハインツ先生の研究を手伝っている」
「へえ」
ヴィンセントが勇気を振り絞っているというのに、ミゲルはどこ吹く風だ。
「……ミゲル。僕は人生を――」
「それ、聞かなきゃ駄目?」
興味の素振りも湧かない顔をして、キャンディを摘まんで口から離したミゲルが呟く。
「さっき言った通り、なんもしないよ、俺。ヴィンセントに事情を話されても、協力もしない。それでも俺に言う?」
いつもの飄々とした顔に、微かな軽薄さを滲ませる。ミゲルを友として好いているし信頼もしているが、ヴィンセントにはまだ、こういう時のミゲルが何を考えているのか読めないでいた。
「君はいつまでも、踏み込ませてくれないな」
協力なんて、してくれなくてもいい。だが、ただ知っておいて欲しいという気持ちを重荷だと言われては、引き下がらないわけにはいかなかった。
いつでも隣にいるくせに、いつだって遠く感じる。親しくなったと感じ手を伸ばせば、姿をくらます野良猫のような幼馴染みに、ヴィンセントはため息を漏らした。
***
「遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました。ご連絡は頂いております。どうぞこちらへ」
出迎えた年老いた老婆が、家の中を案内する。その厳めしい表情からは、歓迎している様子は見えなかった。
部屋が五つほどしかない、小さな家だ。ここに住んでいるのは、家の主と彼女だけだと聞いている。この家の主の元々の身分を考えれば、とんでもない冷遇だった。
面識も無いラーゲン魔法学校の生徒が突然尋ねるのは不審なため、ハインツ先生が事前にアポイントメントを取ってくれていた。ラーゲン魔法学校で教鞭を執るということは、魔法使いにとっては何よりも身元の保証に繋がる。
しかし、そのハインツ先生ですらかなりの苦労の末に、約束を取り付けたようだ。ハインツ先生がこの家の主人のことを教えてくれたのが、一年以上前であることを考えると、その苦労が窺える。
「ご主人様、今日は随分と若いお客様がいらっしゃいましたよ」
「やかましい。お前の声は頭に響く」
主人の寝室を開けた使用人は、悪態を付く主人に慣れているようだ。相手もせずに部屋の隅にあった椅子を運ぶと、ヴィンセントとミゲルに頭を下げ、部屋を辞す。
「なんだ。小童どもの宿題の題材になるために、生き長らえてるわけではないぞ」
ベッドの上に、枯れ木のように痩せ細った男が座っていた。
生気の無い目は落ちくぼんでいて、頬はそげ落ち、茶色く変色した歯は欠けている。
彼の元の身分も知らない近隣の住民から、彼は狂人と呼ばれていた。
「お目にかかれて光栄です。閣下」
「私をそんな風に呼ぶ者は、もういない」
「ここにおります。私は紫竜公爵の息子、ヴィンセント・タンザインと申します。彼は魔法学校の友人で――」
「ヒドランジア伯爵の息子、ミゲル・フェルベイラと申します。私の事はどうぞ、お気になさらず」
「本日は是非お話を伺いたく、馳せ参じました」
折り目正しく礼をする二人の学生を見もせずに、老人は乾いた音を立てて舌打ちをした。
「小僧に話すことなど何も無い。去れ」
「僅かな時間でかまいません。何卒ご寛恕くださいますよう、お願い申し上げます……前緑竜公爵閣下」
緑竜の名前を出すと、ミゲルは流石に驚いたように軽く目を見開いた。
(よくもまあ、僕の面会相手が誰かも知らずに、こんな辺鄙な場所までついてきたものだ)
ヴィンセントが心の中で笑う。そのくせ事情は知りたくないなどと言うミゲルの前世は、さみしがり屋の猫に違いない。
前緑竜公爵は幾度となく妄言を繰り返し、度々錯乱状態に陥ることから、脳の病気と判断され、こんな片田舎に隔離されていた。高貴な生まれ故に、精神病院では無く屋敷と召し使いを与えられ、余生を過ごしている。
狂人と蔑まれ、長年人から隔離された男性は、淀んだ目でヴィンセントを見た。
「……紫竜? ならば、己も見たと言うのか」
――友が死ぬ姿を。
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