第152話 星の墜落 - 07 -

「だから、兄様とアズラクの望み通り、彼に試練を受けて貰います」


 ヤナの気持ちを蔑ろにし、何もかもを自分達で決めてしまおうとするエテ・カリマ国の男に対し、腹が立って仕方が無かった。


「……」

「……」


 シンラとアズラクが、無言でヤナを見ている。


 シンラは自分の思い通りの道筋にいかなかった故の、傲慢な驚き。

 そしてアズラクは、ミゲルとヤナの関係が、友人以上のものでは無いと知っているためにだろう。ヤナの嘘に対し、怒りを孕んだ視線を向けた。


「ヤナ、お前は冷静であろうと表面を取り繕っているが、気分屋で癇癪持ちなところは幼い頃から変わらないよ。お前をよく知る兄様が言う。いい加減に素直に――」


「受けて立ちましょう」


 呆れたシンラがヤナを諫めようとすると、小さなアズラクがソファから立ち上がった。羽のように軽く、地面に飛び降りる。その動きから、今のアズラクの体がどれほど小さいのか再認識する。


「……えええ? まじで?」


 アズラクの了承の声に一番戸惑ったのは、ミゲルのようだった。突然の大抜擢に、いつも飄々としているミゲルが、珍しく戸惑っている。


 この顔を見るに、状況は正しく把握しているようだ。何の説明もせず、勝手に目の前で兄妹喧嘩を始めたというのに、流石に頭の回転が速い男である。


「わかった。アズラクがその気なら、止めはしない。その代わり、これが最後の試練だよ。彼が負けたら、お前は国に戻って、アズラクに嫁ぐ」


「そんなこと、あるはずが無いでしょう? 私は愛する者と結婚する。――兄様とアズラクが望んだ通りに」


 ヤナがぶち切れていることが伝わったのだろう。シンラが勝ち気な瞳を曇らせる。


「ヤ、ヤナ。お前ってばまさか、本気で兄様に怒ってるわけじゃないよね……?」


「あら、不思議。兄様ったら、私に怒られるようなことをしたの?」


「ヤナ、ヤナ~? ヤナちゃん……?」


 か細い声で名前を呼ぶシンラを、ヤナは無視した。傍目にもわかるほどわかりやすく、シンラがショックを受けている。

 一言もフォローしてやることもせず、ヤナはミゲルを面会室の隅っこに連れて行った。


「……流石にびっくりしてるよ」


 壁に背をもたれさせたミゲルが、呆れた笑みを浮かべて言う。ヤナは両手を合わせ、小声でミゲルに謝る。


「ただ居合わせただけなのに、巻き込んでしまってごめんなさい、本当に。貴方が試練に勝っても、私を嫁にすることが出来ると言うだけで、権利を放棄することはもちろん出来るわ。その場合、私に出来る限りのお詫びはさせて貰います」


 真剣に謝るヤナを見て、ミゲルは腕を組んで「んー……まさかこの展開は読めなかったなぁ」と唸った。


「じゃあ、教えて。なんでこんなことしたいの? ……マハティーンさんは――」


 ミゲルは言葉を切ると、アズラクがいる方向を見た。ヤナは、振り返れない。

 アズラクがどんな顔をしていても辛いと思った。それに、全くこちらを見もせず、微塵の興味も抱いていなければ、より辛い。


「――好きなんでしょ?」


 声を抑え、ヤナの耳元まで口を寄せ、小さな声でミゲルが尋ねる。

 ヤナは泣き出しそうになり、ぎゅっと両手を強く握った。


「ええ、そう。だから――結婚したく無いの」


 納得はして貰えないだろう。

 そう思ったのに、ミゲルは「なるほど」と呟いた。ミゲルがヤナの頭に手を乗せ、くしゃくしゃっと髪をかき乱す。


「いいよ、わかった」


 いつも通りの軽い口調で請け負うミゲルに、ヤナは「ありがとう」と慌てて頭を下げる。


「俺は、恋する女の子の味方だからなー」


 ミゲルは笑って、またヤナの頭をかき乱す。


「ヤナ様」


 大人しく髪をわしゃわしゃにされていたヤナは、びくりと体を震わせた。小さな体の幼い声に、これほど恐怖を感じるなんて思わなかった。


(振り向くのが怖い)


 けれど振り向かないわけにもいかず、ヤナはゆっくりと首を動かして、アズラクを見た。


「どうしたの」

「少しお話が」

「私には無いわ」


 ヤナはミゲルから離れ、テーブルとソファを移動させ始めた。シンラは面会室の外へ移動は出来無いし、この小さなアズラクを他の生徒が見える場所に連れて行くことも出来ない。必然的に、最後の決闘はここで行われることが決まっていた。


 ソファを押すヤナを押し止め、ミゲルやヴィンセントが率先して家具を動かす。手持ち無沙汰になったヤナはアズラクに腕を引かれ、問答無用で面会室の隅に連れて行かれた。


「試練の中止に関しては、私がシンラ様に掛け合います。当てつけはお止めください」


「掛け合わなくて結構。お前達が画策していた通り、今日で終わりにすればいいわ」


 アズラクの顔を見られない。声も、どうしてもふて腐れたような物言いになってしまう。もっと上手に心を隠せていたはずなのに、次々と降ってくる出来事に、頭も心もついて行けていない。


「――フェルベイラを……愛しているなど、本音では無いのでしょう?」

「本心よ。お前に言っていなかっただけ」

「そのような虚言、アズラクに通じるとお思いか」


 息を呑むほど強い口調で言われ、ヤナは恐る恐るアズラクを見た。幼いアズラクは、雛のように可愛かったのに、今はとんでもなく大きく、怖く感じる。


「ほ、本当よ。フェルベイラさんを……ミゲルを、愛しているの」


 目を合わせたまま言うことは出来ずに、視線を逸らして言った。ヤナの腕を持つアズラクの手が、かたく強張る。


「使節団はよろしいのですか。ヒドランジア伯爵家に入れば、方々に飛び回る生活など出来ませんよ」


「お前の妻になってエテ・カリマに戻るよりはずっとマシよ」


 何もかもが、最悪だった。


 こんな勝ち方をしても、何の意味もない。ミゲルは実力でアズラクには勝つわけではない。


(アズラクが仕方無く、私を手放すわけじゃ無い)


 かといって、父とアズラクに愛される母のそばで、アズラクの妻になるなんていう滑稽な未来は絶対にごめんだった。考えるだけで震えが走る。


「――貴方は私に、勝て・・と言った」


「負けようとしていたのは、お前でしょう」


 先に信頼を壊したのは、アズラクだ。ちぎれそうな痛みを感じる体を、ヤナはぎゅっと抱きしめると、小さなアズラクに向き合った。


(こんな小さな体に、無理をさせるわけにもいかない)


 どうせ負けようとしていたのだ。言う必要も無いだろうが、ヤナは口を開いた。


「私、ミゲルが好きなの。わかってくれるわね?」


 暗に負けろと、アズラクに告げる。

 毅然と言うつもりだったが、失敗した。顔がくしゃりと泣き笑いのように歪んでしまう。


 アズラクは形容しがたい表情を浮かべたかと思うと、ヤナに返事をすること無く、背を向けて立ち去った。





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