第150話 星の墜落 - 05 -
「ヤナ、いらっしゃい。元気にしていたかい?」
嵐がやって来たのは、アズラクの体が小さくなって、十三日後のことだった。
面会人が来ているから、アズラクと共に来るように――
そうウィルントン先生に呼び出されたヤナは、人目を避けながら面会室に向かった。途中、小さなアズラクを生徒らから隠すために無茶もしたが、ヤナ的には、概ね順調に面会室に辿り着けた。
ヤナにかばわれ、ヤナに守られ、ヤナに手を引かれているアズラクは仏頂面だ。
身を潜め、気配を消しながら一人で面会室に向かった方が早いとでも思っている顔である。ヤナはアズラクの眉間に走った皺を指でひと撫ですると、面会室のドアを開けた。
「ヤナ、いらっしゃい。元気にしていたかい?」
そして、そこにいた人物に目を見開き――アズラクを面会室の中に引きずり込むと、慌ててドアを閉じた。
「に、兄様?! 何故ここに」
「お前の危機に、兄様が駆けつけないわけが無いだろう?」
面会室のソファにふんぞり返っていたのは、ヤナの八番目の兄、エテ・カリマ国第八王子シンラだった。
「全く。どんな風に過ごせば、四年間一度も顔を見せに帰らないような薄情な妹に育つんだい?」
ヤナと同じ藤色の髪を後ろで緩く一つに束ねたシンラは、繊細で神経質な少女のような顔立ちをしている。実際は繊細でも神経質でも無いが、前触れも無くこんな場所まで来たり、虎を複数頭飼っていたりと、突飛なところがある。そんな一癖ある兄に、ヤナは昔から懐いていた。
「……オリアナにタンザインさん、フェルベイラさんまで……」
シンラの前の席には、オリアナ、ヴィンセント、ミゲルがいた。
三人が座るソファの後ろには、平凡な男が立っていた。顔を覚えてはいないが、多分あれがスィンだろう。次に会った時には忘れているような、平凡な顔――草として、恐るべき特性の持ち主である。
ソファに腰掛けたヴィンセントが、苦笑して言う。
「兄妹水入らずのところに、すまない」
「ヤナのお兄さんが校門のところで……その、ウロウロしてたの。あのままじゃ、守衛さんに捕らえられそうで……」
オリアナの言葉に、ヤナは頭を抱えたくなった。一国の王子が、ウロウロして、守衛に捕まりそうだなんて、大問題にも程がある。
「どう見てもマハティーンさんの血縁者だったから、声をかけさせてもらったよ」
「フェルベイラさんまで……ありがとう。お手数をおかけしたわね」
眉を下げてヤナが笑えば、三人はなんてことないと言う風に、にっこりと笑ってくれた。
ヤナは呆れてシンラを見た。公式な訪問となると、大がかりになり過ぎる。手順を踏まえるのを嫌ったのだろう。他の顔と名前を知っている程度の兄ならともかく、シンラの性格ならヤナはよく把握していた。
「彼女達には大変世話になったよ。お前の日頃の生活態度なんかも聞かせて貰ったしね」
血縁者に日頃の自分を知られるというのは、恥ずかしいものがある。ヤナは微妙な顔を浮かべてシンラを見た。
「アズラクも……まーあ、報告は受けていたけれど……可愛くなってしまって。こちらに来なさい」
ヤナの後ろで膝を付き、頭を下げていたアズラクが顔を上げる。短い手足を動かして、アズラクはシンラの隣に座った。
「この顔をもう一度見る日が来るとは思わなかったよ。よく顔をお見せ」
アズラクの頬に手をかけ、シンラがまじまじと幼いアズラクを凝視する。ヤナは向かいのソファでは無く、アズラクの隣に無理矢理腰掛けた。
「――本当に、アズラクだね」
「はい、シンラ様」
アズラクが無表情のまま返事をする。その顔つきと声を確認したシンラは、口の端をつり上げた。
「お前のその姿も声も、何もかもが懐かしいな」
二人は乳兄弟として育った。シンラは、ヤナでさえ知らないアズラクの顔を知っている。エテ・カリマ国の者にアズラクの現状を知られるのは避けたかったが、彼なら大丈夫だろうと思える唯一の人物だった。
替え玉の可能性を考えていたのか、アズラクを十分に検分したシンラが彼の頬から手を離す。
「さすが魔法大国、アマネセル。こんなものがまかり通ってしまえば、エテ・カリマは不老不死を求める亡者で溢れかえることだろう」
エテ・カリマの根源は「欲」だ。誰よりも強く、誰よりも誇り高く、誰よりも美しくありたいと願う気持ちは、大陸で一番強いだろう。なまじ金を持っているものだから、ある程度の無茶は金で解決しようとしてしまう。
(この四年、一度も顔を見に来たことなど無い兄様が、何故ここに? まさか、薬の効能を確かめに……?)
兄もまた、エテ・カリマ国の王子である。兄のことは信頼しているが、ヤナが傍にいなかった四年間で、彼が変わっていないとも言い切れない。薬を手に入れるために、無茶な手段に出られれば、ヤナに打つ手は無かった。
アズラクに危険が迫ることは、何よりも避けたい。
「兄様、その薬は奇跡的に出来たものよ。再現することは、不可能だと」
「安心するといい。草には全て私に報告させていたから、王宮の有象無象は薬については何も知らないよ。私に魔法の知識は無いから、アズラクを治してやることも出来ないがね」
シンラはアズラクからヤナに視線を移すと、呆れたような顔をした。
「――言っておくがヤナ。私はこの薬に興味は無いよ。魔法は胡散臭いし、薬は嫌いだ。だから、そんなに心配そうな顔をするんじゃない」
「兄様……」
ヤナの顔がそれほど悲壮だったのだろう。慈愛の籠もった声を出す。
己の我が儘という建前で、シンラは国の乱れを回避することにしたようだ。王子であるシンラとて、薬を公にするにはリスクを伴う。まだそれほど、エテ・カリマ国内であっても、彼の基板は盤石では無い。
ヤナが安堵していると、シンラはにこりと微笑んだ。
「それより、私はお前から直接、この件について聞きたかったな」
ほっとしたのもつかの間、国に報告までしなくてはならない事態だとは思っておらず、ヤナは冷や汗を掻く。
報告義務を怠ったと受け取られて、留学を強制終了されるだろうか。シンラは、その程度、簡単にやってのけてしまう男であった。
「兄様。ヤナは兄様に嫌われることが恐ろしくて、ペンを持てなかったのです」
「ヤナは兄様が大好きだからな。そうか、それは仕方が無いね――しかし」
途端に機嫌が良くなったシンラは、ぺちぺちとアズラクの頬を手のひらで叩いた。
「うん。やはり、――試練は中止しよう」
強制帰還なんて目では無い、あまりにも唐突でいて冷酷なシンラの決定に、ヤナはぽかんと口を開けた。
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