第149話 星の墜落 - 04 -
試練は次の長期休暇までの休止が決まった。
休暇明けまでに、なんとかアズラクを元の体に戻さなくてはならない。
生徒らには、アズラクは怪我の手当のために街の病院に入院すると伝えている。アズラクが大きな棚に押しつぶされ、ガラス瓶が大量に降ってきた場面を見ていたクラスメイト達は彼の回復を祈った。
見舞いに行きたいという彼らの厚意を断るのも、心配させるのも忍びなかったが、ヤナはいつも通りの毅然とした態度でクラスメイトらに対応した。
「アッズァ。いい子にしていた?」
子どもの頃の彼の呼び名を口にするのは、何年ぶりだろうか。
星の光のように柔らかな声が風に乗る。
ずらりと並べられた鉢植えのそばにしゃがみ込み、小さな手を泥まみれにしていたアズラクは、げんなりとした顔を見せた。
「……ヤナ様。子ども扱いは止めてくださいと申しておりますに」
「ごめんなさい。懐かしくって」
(こんな顔を見るのも、本当に久しぶり)
こんな風にまた本音を見せてくれるようになったのは、幼い体に引きずられるからなのか、それとも護衛としての職務に縛られていないからなのかは、ヤナにはわからなかった。
ただ、アズラクの取り繕っていない顔が嬉しくて、ヤナは笑みを浮かべる。
――アズラクが子どもの姿から戻れないまま、六日が経った。
その間、アズラクは男子寮で寝泊まりするわけにもいかず、事情を知るハインツ先生の管理する温室に世話になっていた。ハインツ先生にも教職員の自室があるが、彼は往来ずぼらな性格なため、温室で夜を明かすことも珍しいことでは無いようだ。
ハインツ先生の雑務を肩代わりしつつ、元に戻るための解除薬の開発を手伝っている。アズラクが小さくなったことを知っている生徒は、ヤナ、オリアナ、ヴィンセント、ミゲルだけだ。温室で授業が行われる際は、身を潜めているらしい。
もちろん、それほど傍を離れているのに、ヤナの護衛など務まるはずも無い。
そもそも、竜の名のもとに平等を謳うラーゲン魔法学校は、たとえアマネセル国の王族であれども、護衛の随行を許可していない。
アズラクはあくまでも、一生徒としてヤナのそばにいただけだ。そのため、大々的に新たな護衛をつけることは出来ない。スィンのように、
「今日は何をしていたの?」
「鉢の植え替えと、芽を間引いていました」
ヤナの質問にアズラクが答える。物心ついてからずっと、寝る時以外はほぼ一緒にいたヤナにとって、アズラクの一日を把握していないのは不思議な感覚だった。
幼いアズラクは、ヤナと会話をしながら、植木鉢の作業に戻る。今、彼はヤナの護衛では無い。ヤナが隣にいても手を動かしているということは、新たな職務であるハインツ先生の助手であることを優先させているのだろう。
小さな手には、小さな爪が付いている。ヤナの半分ほどしかない爪が、可愛くて、愛しくて仕方が無い。爪の隙間に入った泥を、一本一本掃除してやりたかった。
(幼い頃は、いつも手を繋いでいたのに――そういえば、いつから繋ぎ始めたのだったかしら)
王女として目まぐるしい日々を送っていたヤナは、幼い頃の記憶が曖昧だ。しかし、アズラクは小さな時から、鷹のようにしなやかで美しかったことを鮮明に覚えている。
幼いアズラクを見ていると、ヤナは自分までもが童心に戻る気がして心が躍る。
(こんなに小さいのに、いつだってアズラクは私よりも大きかった)
大きくて、頼りになって、いつでもヤナを守ってくれたアズラク。そんな彼が、これほど小さかったなんて、ヤナは知らなかった。
「ヤナ様。如何なさいましたか?」
無機質な声だが、表情は僅かに不安げだ。六歳のアズラクは、十八歳のアズラクよりもずっと、表情を隠すのが下手らしい。
「お前が可愛くて見つめていたの」
「ヤナ様は何故それほどに頑固なのか」
子ども扱いをするな、と言ったアズラクの言葉を聞かないヤナに、アズラクがため息を吐いた。
ヤナが頑固なのは、筋金入りだ。
なんと言っても、好きな相手との結婚話を蹴るほどである。
アズラクが立ち上がる。服はサイラス先生が調達した、簡素だがサイズの合った物を着ている。アズラクが中腰になり、しゃがんだアズラクと同じほど大きな植木鉢に手をかける。
「お待ち。お前、それを運ぶ気?」
「もちろんです」
「私がするわ」
腕まくりをするヤナを見て、アズラクが驚愕に顔を染めた。
「お待ちください、ヤナ様。そのような戯れ言を――」
「戯れ言ですって? こんな小さなアッズァに持たせるわけにはいかないわ」
「口が過ぎました。どうか貴方のアズラクを信じてください」
「もちろん信じているわ。でも、今のお前には持たせられない」
ヤナが植木鉢を抱えようとすると、アズラクが血相を変えて植木鉢とヤナの間に体をねじ込む。
「お戯れを。絶対に、ヤナ様に持たせるわけには参りません」
「お前もよほど頑固じゃないの」
呆れた顔で言うヤナに、これ以上止めるのは無理だと悟ったのか、アズラクは甘く幼い顔に、決意を秘めた顔を浮かべる。
「ヤナ様――手を引いてくださるのならば、このアズラクの身、今日に限りご自由にお使いください。どうぞ、ヤナ様の望むままに」
幼くとも、やはりアズラクはアズラクだった。ヤナの扱い方を、世界中の誰よりも心得ている。
「……望むままに?」
「望むままに」
「手をふにふにしても?」
「ええ」
「お耳をふにふにしても?」
「もちろんです」
「……お膝抱っこもしていいのね」
「ご随意に」
渋い顔でアズラクが頷く。ヤナも不承不承身を引いた。
あれほどアズラクが嫌がっていた子ども扱いを差し出してまで、ヤナに力仕事をさせたくなかったのなら、ヤナはアズラクの主人としてその言葉を聞いてやる義務がある。
(――決して、お膝抱っこに惹かれたわけではないわ)
「仕事が一段落つくまで、どうぞどこかで休まれていてください」
「お前は、何処に行っても働き者ね」
いつの日か、アズラクはヤナの元を去る。
その日が一日でも、一秒でも遠ければいいと思ってはいるが、一生を彼の傍で過ごすことは出来ない。
ヤナと別れたアズラクは、国に戻っても、こうして元気に生きていけるのだろう。
(私とは、違って)
そう思うと、胸がしくしくと泣いた。
***
夕日が差し込む植物温室で、死んだ魚のような生気の無い目をして、アズラクがヤナに抱かれている。
反して、アズラクを膝に乗せたヤナは有頂天だった。緩みっぱなしの頬をアズラクの髪に押しつけ、ぐりぐりと動かす。幼く柔らかなアズラクの髪の感触が頬をくすぐる度に、愛しさが全身に行き渡る。
「ヤナ様……まだでしょうか」
「まだよ」
幼いアズラクを、ぎゅううと抱きしめた。十八歳のアズラクはどこもかしこも筋肉だらけで可愛さの欠片も無いが、今のアズラクは可愛さしか残っていない。可愛くて堪らなくて、ヤナはアズラクを抱きしめたまま、頬と頬を寄せた。幼い体から、ぞくりとしそうなアズラクの汗のにおいがして、ほんの少し心がかき乱される。
「ヤナ様。日が沈む前には帰ると、お約束ください」
「今日なら好きに触れてもいいと自分から言い出しておいて。情けないと思わないの?」
「ヤナ様の危険が減るのであれば、世界一情けない男でもかまいません」
幼い顔立ちに似合わない、達観した表情だ。体の大きさは逆転しても、いつもアズラクばかりが余裕な関係性は変わらない。
「今後、遅くなる場合は必ず、タンザインかフェルベイラを共につけてください」
「オリアナのようなことを言うのね」
今日、一人で植物温室に向かおうとした際に、オリアナにもミゲルかヴィンセントを連れて行くかと聞かれていた。ミゲルには用事があるからと断られたが、ヴィンセントはアズラクがこうなった原因を感じているらしく、温室までの同行を買って出た。
しかし試験は終えたとはいえ、ヴィンセントはいつも忙しそうにしている。そんな人物を、ただの送迎に使うのは気が引けた。
それに、個人的にはさほど親しいとは言えない。気まずい空気を吸いたくなくて、ヤナは丁重に断っていた。
「ヤナ様が、何よりも一番大事ですから」
声変わり前の、ただただ純粋にヤナが慕っていた頃の声で、アズラクが言う。
(ならどうして、お前の心を占めるのは私ではないの)
胸が苦しくて、ヤナはアズラクを抱く手に力を込める。
アズラクが嘘を言っているとは思っていない。アズラクは真心を明け渡してくれている。
(ただ、私に恋をしていないだけ)
恋以外の、その他全てをきっとヤナに捧げてくれている。愛も、忠誠心も、庇護欲も。それで十分だと、満足していると、笑っていられる内に手放さなくてはならない。
感傷を追いやるために、ヤナは告げる。
「今が、生きてきた中で一番幸せだわ」
幸せだと言い切ったヤナに、アズラクの体がびくりと揺れる。
「とっても可愛いわ、アズラク。ずっと傍にいてね」
普段はひたすらに隠している恋心を、六歳のアズラクには曝け出してもいい気がした。
ヤナがアズラクに体重をかける。
「可愛い。可愛いの。とっても」
「好き」を「可愛い」という言葉に代えて、何度も何度もアズラクに伝える。アズラクはただじっとして、寄りかかるヤナの体を支えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます