第145話 番外編 / 不透明な明日の僕ら - 04 -


 ハイデマリーは食堂でレポートの仕上げをしていた。

 いつも行く談話室では、いつも通りエッダ達が騒いでいるので、レポートを仕上げるには相応しい場とは言えない。かといって、わざわざ図書室まで足を運ぶのも面倒くさくて、あと少しだからと食事後に、そのまま食堂に居座っていた。


 そういう生徒は少なく無い。食堂のテーブルは広いし、食堂ならお茶をもらいに行くのも近い。


 だがハイデマリーは、飲み物を飲んでいなかった。

 机の上にはカップが一つ置かれている。中に入っているのは、カフェオレだ。生徒のために食堂のカウンターに置かれているガラスポットから、ミルクティーと間違えて、注いでしまった。


 往来しっかり者のハイデマリーは、あまりこういったポカをしない。そして、偶にするポカで、割と落ち込む。失敗し慣れていないのだ。


 一口飲んで中がカフェオレと気付いたハイデマリーは、それから怖くてカップの方を見ることさえ出来なかった。コーヒーを飲んだあとの口の中がもったりとしている感じが、どうしても好きになれない。かといって、口をつけた物を返すわけにもいかず、捨てるわけにもいかず、どうしようか考えあぐねていたのだ。


 ひとまずカフェオレは置いておき、レポートを仕上げようと躍起になっているわけである。


「あれ。ハイデマリー、カフェオレ飲んだっけ?」


 レポートにかじりついていたハイデマリーの後ろに、カイが立っていた。手に教科書を持っていることから、彼もここでレポートを仕上げようとしているのだとわかる。


「あ、ううん……」

「だよな」


 そう言うと、カイは教科書をハイデマリーの横の席に置く。ぽかんとして見上げていると、カイが「あ」と呟いた。


「ピアス」

「ん?」

「つけてんじゃん」

「え、つけてるけど」


 何、なんで。とハイデマリーは思わず自分の耳を触った。そこには、カイがくれたばかりのピアスがぶら下がっている。


「朝つけてなかったから」

「み、見たの?」

「あげた次の日なんだから、そりゃ見るだろ」


(わあああっ――つけに帰ってよかった)


 今日一日、カイは普通に接してくれていたため、チェックされていたなんて全く気付いていなかった。ハイデマリーは赤くなる顔を隠すために、下を向く。


「授業中は、先生にばれて、没収されたりしたら嫌だから」

 ラーゲン魔法学校が外見の個性を制限することは無いが、模範とされる規律はある。教師陣の機嫌の善し悪しで難癖を付けられることも、本の偶にだがあり得た。


「は? いつもピアスしてんじゃん」

「いや、いつものと違うでしょ、これは」

「大きいから?」

 カイの声の調子は、少し低い。


 ハイデマリーが顔を伏せているというのに、物ともせずカイはハイデマリーの耳を触った。正しくは、耳の下で揺れているピアスを触ったのだが、指の腹が一瞬耳に確かに触れた。


「そ、そう。大きいからバレやすいし、これ没収されたら、凄いへこむ」


 動揺していたせいで、口を滑らせてしまった。そこまで素直に言うこと無かったのにと、ハイデマリーは自分をひっぱたきたかった。


「へぇ。そう」


 カイがハイデマリーのピアスをひと撫でする。その声は、何処か安堵したような響きを伴っていて、ハイデマリーは思わずカイの方を見た。しかしカイは既に立ち去っていて、後ろ姿しか見えない。飲み物を取りに行ったのだろう。


(ここでやる気?)


 そりゃあ恋人になったのだから、離れてやるほうが変なのかも知れない。けれど、今までなら正面の席に座っていただろうカイが、隣の席を選んだ。隣の席に置かれた教科書を見るハイデマリーを、言い知れない羞恥と喜びが襲う。


(しっかしぱっと見ただけで、カフェオレとミルクティーの違いなんて、よくわかったなぁ……)


 ハイデマリーは見ない振りをしていたカップを見た。しげしげと見ても、見た目からは全然違いがわからない。


「ほら」


 戻って来たカイが、カップを突き出す。反射的に受け取ると、カイはハイデマリーの隣に座った。そして、ハイデマリーが持て余していたカフェオレのカップを、自分の席に引き寄せる。


「え、ありが……」


 とう、と言いかけて、はたと気付く。


 カイがミルク入りのコーヒーを飲んでいるところを、ハイデマリーは見たことが無かった。そもそも、自分にとって価値がないものを、人に押しつけるのってどうなのかと考えていると、目がぐるぐるとした。


「いや、大丈夫……! 今日はカフェオレ、飲みたい気分だっただけだから!」


「えっ、そうなん?」


 まじか、はずっ。と小さな声で続けたカイが、手の甲で口元を覆う。


「え? はずい? 何で?」

「いや、ハイデマリーが間違えたんだと思って」

「や、実は間違えたんだけど」

「は? じゃあ何なわけ?」

「……え。カイ、カフェオレ飲んだっけ?」

「別に、普通に飲めるけど」


 片眉を上げて言うカイの物言いは、喜んでカフェオレを飲む態度では無かった。ということは、やはり好きなわけではないのだろう。


(私が間違えたと思ったから、わざわざいつも飲んでるミルクティー持ってきてくれた? じゃあここは、貰っておくべき?)


「え……なんでそんな優しいの? カイってそんなことまでしてくれたっけ?」

「は? 彼氏なんだから、優しいのなんか普通だろ」


(やばい、太刀打ちできない)


 また目がぐるぐるとなりそうだったため、ハイデマリーはミルクティーを抱えたまま、頭を下げた。


「あの、じゃあ、貰う」

「何なわけ」


 声の冷たさとは反対に、カイは眉を下げておかしそうに笑っていた。

 唐突に、カイが自分のためにミルクティーを持ってきてくれた実感が湧き、顔が熱くなる。


(カイがまだ、私の事を好きじゃなくても……いい。今、カイがこうしてくれてるのは多分、私だけだから)


 ほてりを冷ますように、冷たいミルクティーのカップを真っ赤な頬に当てる。


「……今日、熱いね」


「そうな」


 随分と涼しくなった秋の始月くがつの夜にそんなことを言ったのに、カイは何故か満足したように笑うので、ハイデマリーは悔しくなって、テーブルの下でカイの足を蹴った。






- 不透明な明日の僕ら -  おわり



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る