第144話 番外編 / 不透明な明日の僕ら - 03 -


「手、繋ぐ?」


 放課後、女子寮への帰り道。

 差し出された手とほんのりと赤く染まったまなじりに、ハイデマリーは五秒ほど息を止めた。


 息と共に動き求めていたハイデマリーは、眉根を寄せ、差し出してきたカイの手を睨み付ける。


「なんですごむの」

 あまりにも強く見つめすぎていたハイデマリーに、カイは鼻から息を抜くように笑った。


(笑った……この顔、すんごい好き……)


「いや、すごんでは……」

「ガンつけられてるのかと思った」


 カイが、また笑う。

 カイは表情に乏しいわけでは無いが、男友達以外に笑うのは稀に思えた。女の子と接す時、カイは必要以上に冷たくなって、相手を見下すような言い方をする。


(でも、私にだけは共犯者みたいに笑ってくれるところが、好きなんだよな)


 ルシアン達をお守りをする立場が同じで、ハイデマリーが過度に女性らしく振る舞わないように気をつけていたおかげだとわかってはいるが、そんな小さな特別扱いでさえ、ハイデマリーは有頂天になった。


(そんなことで喜んでたのに、手。最近のカイは、パンチが強すぎる)


 校舎から女子寮まで送ってくれたり、隣を歩いてくれたり、夕食を一緒にとってくれたり、荷物を持ってくれたりと、たりが足らずに発注せねばならないほど、彼氏力の大盤振る舞いだ。


(凄いな。カイにこれまで彼女が何人かいたのは知ってたけど、彼氏になるとこんな尽くしてくれるのか……)


 普段のカイを知っているだけに、こんな風になるとは、完全に想像していなかった。

 これまでのカイの恋人は皆、ハイデマリーとは真逆の、ふわふわした優しそうな女の子達だった。


 これまでの彼女と接す彼氏力の高いカイを想像して――やきもちを妬いていいレベルにも達していないことに、落ち込む。


「ハイデマリー?」


 カイの手を見つめたまま考え事をしていたハイデマリーに、声がかかる。顔を上げると、近くに顔があった。いつの間にか歩を詰めていたのだろう。カイとハイデマリーの身長差は、五センチほどなため、近付くだけですぐ傍に顔が来る。


 なんとなく落ち込んでいたところに、急激に距離を詰められ、ハイデマリーの心はしっちゃかめっちゃかになった。全身にぶわりと汗を掻く。近付くのも恥ずかしく、手汗を感じられるのも嫌で、ハイデマリーは持っていた荷物を両手で抱えると、ブンブンと首を横に振った。


「……私、今日荷物多いから、大丈夫!」

「は? 持つよ」


 何言ってんの、と言わんばかりのカイに、ハイデマリーは慌てて言い募る。


「このくらい、自分で持てるから!」


 いつもより荷物が多いのは、教室に置いていた私物を、長期休暇前に自室へ持ち帰ろうとしていたためだ。


 ハイデマリーは両手でがっしりと荷物を持った。なんなら、あまりにも強く握りしめすぎて、教科書で手汗を拭うレベルだ。


 ハイデマリーの気迫に押されたのか、カイは若干引き気味に「そ、そう」と言って手を引っ込める。


「――なら、はいこれ」


 冷たい響きを忍ばせ、どこかぶっきらぼうに言うと、カイはハイデマリーの荷物の上にポケットから取り出した何かを置いた。二つのわっかが絡み合い、知恵の輪のようだ。


「何これ」

「ピアス」

「え? カイ穴開けてたっけ」

「なんでルシアンとおんなじこと言ってんの」


 笑うカイの耳元を見ると、見やすいようにか、カイが顔を寄せて耳を見せてくれた。頭を振り、両の耳も見せてくれたが、穴はどちらもあいていなかった。


「どうしたの、これ。拾ったの? 私のじゃないよ」


 ピアスを返そうとすると、カイがげんなりとした顔をする。


「なんでそうなんの。彼氏から彼女へのプレゼントでしょ。どう見ても」


 どう見ても、プレゼントでは無い気がする。


 ラッピングもリボンも無い、裸のままの手のひらの上で転がるピアスを三秒見続けたハイデマリーは、急速に顔に集まる熱を感じた。


「あっ、そ、そう」


 平常心を保とうと思えば思うほど、顔が赤くなっていく。


(やばい、嬉しい。静まれ……静まれ。普通に、カイみたいにいつも通り冷静に、ありがとうって……)


 言おうとして、口ごもる。確かに、冷静になれた。


 ―― 一喜一憂するハイデマリーと違い、カイは、いつも通りだ。


(それはそうだ。だってカイは、まだ私の事が好きじゃ無い)


 プレゼントなんて、慣れているのだろう。手汗を気にしてわたわたしている自分とは、そもそもステージが違う。


「……あー、ごめんね! ありがと。贈り物とか無理しなくっていいからね」


(無理されて、友達以下にはなりたくない)


 好きでも無い相手への贈り物など、何を買うべきか考えるのも面倒だったかもしれない。


 そう思うと悲しくなって、ハイデマリーは極力、友人だった頃と同じように、元気な振りをして言った。




***




 夜、自室のベッドの上でカイは天井を見つめていた。

 放課後から、何かモヤモヤとしていた。いつもと違うところなど、何も無かったはずである。


 ごろりと寝返りを打つ。カイの黒髪が流れ、頬に当たる。鬱陶しくて、手で払いのけると、自分の耳に指先が触れた。


 今日、ようやくあのピアスをハイデマリーに渡した。


 初めて買ったプレゼントをいつあげるか悩んでいる間、カイはそこそこ楽しく過ごしていた。渡せばもっと楽しくなると思っていたのに、何故か気分が晴れない。


 ハイデマリーはカイに礼を言った。気遣いまで見せた彼女に、いつもハイデマリーには密かに感じていた信頼感のような気持ちが、間違っていなかったのだとも思った。


 なのに、何故か気分が晴れない。


(なんか、違った)


 そう、何かが違った。プレゼントをあげることで、カイは何かをハイデマリーに期待していた。それは、気遣いでも、礼でも無かったのだろう。


 寝転んだまま、腕を目に押し当てしばらく考える。


「あ」


(喜ばなかったんだ)


 思い至った答えに納得して、カイは呟いた口を塞ぐように、指で覆った。


(俺が優しくしたのに)


 拗ねたような顔をしていても、ハイデマリーが喜んでることはすぐにわかった。照れ隠しなのだとわかるくらいは、傍にいた。


 そのハイデマリーが冷静に、カイに対応した。


(え。なんで。やっぱ大きいピアスは好きじゃ無かったとか? それとも、身につけるのは自分で買いたい派?)


 自分があげれば何でも喜ぶと思っていた慢心ぶりを突きつけられた。カイは両手で顔を覆って、反省モードに突入した。



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