第142話 番外編 / 不透明な明日の僕ら - 01 -


「ずっと好きだったの。これ、貰ってくれないかな」


 差し出されたのは、甘ったるそうな菓子。


(あ……、これ)


 少し震える指先。真っ赤な耳の先。揃えられたつま先。


(断ったら、もう二度と話しかけたりしてこないやつだ)


 友達だから、すぐにわかった。いつもは気丈な声が、かわいそうなほどに震えていた。


 夏の終わりがけの、少しひんやりとした風が二人の間をすり抜ける。煉瓦で舗装された道に伸びる影は長い。


 俯いているせいで、相手の表情は見えなかった。肩で切り揃えられている濃い金髪がさらりと揺れて、更に顔を覆い隠した。


 カイは手を伸ばし、パウンドケーキを受け取る。


「いいよ、付き合おうか」


「えっ」


 ハイデマリーが、弾かれたように顔を上げた。その表情は喜びよりも戸惑いの方が大きく、カイは少しばかりムッとした。


(何。離れるつもりで、告白したってこと?)


 ハイデマリーの考えそうなことならわかる。伊達に四年も友達をやっていない。カイにとってハイデマリーはこれまで気の置けない友人だったが、求められて悪い気はしなかった。告白されれば付き合うのは十分アリな方だ。


「――これ、帰って食う。さんきゅ」


「ん」


 ハイデマリーが頷いた。少しふて腐れたような、決まりの悪そうな顔をしている。赤く染まった頬が彼女のこれまで隠していた気持ちを伝えているようで、カイも同じほど決まりが悪くなる。


 これ以上何をしゃべっていいかもわからず、カイはぶっきらぼうに「……じゃあ」と言うと、踵を返した。


「――カイッ」


 背を向けて歩き出そうとしたカイを、ハイデマリーが呼び止める。


「何」


「……これから、よろしく」


「うん」


 よろしく、と言って片手を振る。

 ただそれだけだったのに、ハイデマリーはくしゃりと笑って、嬉しそうに手を振った。




***




 カイ・フェラーは特別モテるというわけでも無いが、全くモテないわけでも無い。


 中性的で、そこそこ整った顔立ちをしている。体つきは平均だが、いつも大柄なアズラクの傍にいるせいで、他の生徒よりも貧相に見える事を知っていた。


 これまでに、恋人は二人いた。

 どちらも数ヶ月続いたが、お互いに不満が溜まっていき、別れた。

 相手も自分も、まだ他人を大切に出来るほど大人では無かったことを痛感させられる、幼稚な付き合いだった。


(ハイデマリーとも、たった数ヶ月で別れんのかな)


 出来れば彼女とは末永く友達でいたかった。女生徒なのに言いたいことを言い合える、貴重な友人だったからだ。

 けれど、告白を断れば、プライドの高いハイデマリーは自分との付き合いを絶つことくらい、想像に難くなかった。

 それならば――いずれ別れるにしろ――その別れを引き延ばすために付き合うのは、悪く無いと思った。

 その程度には、カイはハイデマリーを気に入っていた。




「ハイデマリー、今日の帰り、送るから」


 告白された、次の日。休憩時間にエッダとコンスタンツェと笑い合っているハイデマリーの隣を通り過ぎ様に、カイは声をかけた。


 それまで周りの生徒が引くほど大きな声で会話をしていたハイデマリーが、ピタリと話すのを止める。それどころか、身振り手振りをしていた体の動きまで、完全に動作停止してしまっていた。


 返事が無いことを訝しんだカイは、眉を顰めてハイデマリーを振り返った。


(は? 何それ)


 ハイデマリーはカイを見ることさえ出来ず、目の前のエッダに視線を合わせたまま、顔を真っ赤にして固まっていた。


(なんで急に、そういう可愛いことになってんの?)


 いつものハイデマリーとあまりに違いすぎて、カイはたじろいだ。自分が声をかけただけで、あのハイデマリーが顔を真っ赤にして動きを止めるなんて、思ってもみなかった。


 これまでハイデマリーを恋愛対象に見たことは無かったが、自分の一挙一動をこれほどまでに意識されると、カイの心もぐらりと揺れる。


「……え、ちょ、ハイデマリー……?」


 ハイデマリーの前の席に座っていたエッダは、ハイデマリーとカイを交互に見たあと、たらりと冷や汗を垂らす。


「昨日言ってた、告白って……」

 オリアナが目をキラキラとさせながら、口元を覆った。女子同士ではそういう話もしていたのか、と居心地が悪くなる。


 固まってしまって、何一つ反応が出来なくなっているハイデマリーは、カイと付き合いだしたことはまだ伝えていなかったのだろう。エッダの隣のコンスタンツェも、ぎょっとした顔でカイを見ている。

 ハイデマリーは机の上で両手の拳を握りしめたまま、顔を真っ赤にして動かない。先ほどの自分の質問を聞いていたかもわからなかったので、カイはもう一度ハイデマリーに聞いた。


「わかった?」


「わ、わかった」


 エッダ達のうるさい視線を無視してハイデマリーに言うと、普段の五億倍しおらしい声で頷かれた。

 借りてきた猫が大きすぎやしないかと、カイはそのまま教室を出る。「きゃー!」と、オリアナとヤナが両手を握り合って黄色い悲鳴を上げた。


「カイ! どこ行くんだよ!」

「トイレだけど」

「待てって! 俺も行く!」


 ルシアンが大慌てでついてくる。男同士で、こんな話をわざわざしたいほうじゃない。ついてきても、簡単な報告しかする気はなかったが、カイは走ってくるルシアンを大人しく待った。


 教室を出る際、コンスタンツェの「いやだ……! 嘘……! 信じたくない……! 私、絶対に聞きたく無い話題の香りがしますわっ……!!」と咽び泣く声が、カイのもとにまで届いた。




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