第141話 秋を待つ未完成な青 - 03 -

 ヴィンセントの参戦により、作る菓子はクッキーからサツマイモたっぷりのパウンドケーキに変更された。クッキーでは、一度に沢山焼けないからだ。


 芋の皮を剥くことなど、もちろん初めてだったヴィンセントだったが、一つ剥き終わる頃にはこつを掴んだらしい。廊下に椅子を並べ、二人でナイフを動かして芋の山を剥く。


(廊下に出てラッキーだったな)


 ナイフを扱うのだからくしゃみが出ては危ないと思い、なんとなく移動しただけだったが、堂々と二人きりで剥く口実になった。るんるん気分で、オリアナはサツマイモを手のひらで回す。


「上手い上手い」

 隣に座るヴィンセントの手を覗き込む。いつもペンを持っている長い指は、サツマイモを器用に動かし、ナイフを握っている。美しい指の先っぽには、少し平べったい、男性的な爪がついていた。


「精神統一にいいな」

「精神統一に、芋の皮を剥く次期公爵って」


 オリアナが笑いながら言うと、ヴィンセントも芋を見ていた視線をこちらに向けた。そのまま、ゆっくりと顔をほころばせる。


(わっ……めっちゃ柔らかい)


 甘ささえ感じるような笑みを直視出来ず、オリアナはそっと視線を剥がして立ち上がる。


「芋、お願いしてていい? ちょっと中、見てくる」

「ああ。かまわない」


 快諾を得ると、オリアナは教室の中に戻った。


 ヴィンセントと二人で剥けることに幸運を感じていたはずなのに、肘が触れあいそうなほど近くに座ったこの距離が、急に息苦しくなった。


(……なんか最近、すごい、空気が重い。いや重苦しくは無いんだけど、なんか、なんかわかんないけど、密度が重い……)


 きっと、以前よりもずっと優しいのだ。元々優しかったが、何だか、ものすごく優しくなってきている気がする。それは、口調であったり、視線であったり、仕草であったり、語尾の柔らかさであったり――言葉にするには曖昧で、けれどオリアナが感じ取れる程度には、二人でいる時の空気が違う。ヴィンセントから何かが大量に漏れ出ている気がして、落ち着かなくなる。


 ハイデマリーが立って生地を混ぜている。その背中に、オリアナは飛びついた。


「ん? どうした?」

「ちょっと、ちょっと心の休憩させて」

「は?」


「あらあら」と座ってお菓子作りを見ていたヤナが目を細める。オリアナはハイデマリーの背にしがみつきながら、大きく深呼吸する。


 そして次に廊下に出た時に――大勢の生徒に見守られながら、ヴィンセントがサツマイモの皮を剥いているという、史上最高にわけのわからない場面を目撃するのだった。




***




「お前ら、あんがとな! 行ってくる!」

「素直に渡しなさいよ! 格好付け禁止! あんたにアズラクは無理だからね!?」


 ハイデマリーが最後の念押しをすると、ルシアンが「おう!」と手を振った。

 可愛く包んだパウンドケーキを持って、満面の笑みでルシアンが教室を出る。


「止まりなさい、ルシアン・コルテス! 廊下を走っていい校則が新しく追加されたという話は聞いていませんが?」

「ゲッ……! ウィルントン先生!」


 廊下から出てすぐのところで、ルシアンはウィルントン先生に呼び止められていた。オリアナとハイデマリーとヤナが、ドアから顔を出してこっそりと覗く。

 廊下でルシアンが、ウィルントン先生に叱られている。ウィルントン先生は、ラーゲン魔法学校一、礼儀作法に厳しい。


「こちらにいらっしゃい。罰則として、職員室の窓ガラスを拭いて貰います」

「そ、そんな……! 先生、俺今から大事な用事が……!」

「そうですか、残念ですね。急がば回れ、という言葉の意味を、今ほど痛感した時はないでしょうね」

 有無を言わせぬ口調で、ウィルントン先生はルシアンを睨み付けた。ルシアンはがっくりと肩を落として、歩き出したウィルントン先生の後に従っている。


 マリーナにパウンドケーキを届けるのは、きっと二時間は遅れるだろう。


 オリアナ達は顔を見合わせると、ウィルントン先生にバレないように、そーっとドアから体を離す。


 ウィルントン先生が廊下からいなくなったのを見計らって、ハイデマリーが切り出した。


「私も、じゃあこれで」


 ルシアンと同じく、可愛く包んだパウンドケーキを抱え、ハイデマリーが立ち上がった。

 後片付けまでしっかりと協力してくれたハイデマリーに、オリアナとヤナが手を振る。


「お疲れ様。今日は楽しかったわ」

「私も。あ、道具はうちらで返しとくから大丈夫だよ」

「よろしく」


 ヤナとオリアナが笑いかけるが、ハイデマリーは笑わなかった。硬い表情に、オリアナとヤナが顔を見合わせる。心なしか、ハイデマリーは緊張しているようにも見えた。


「ハイデマリー?」


「……私も渡してくることにした」


 何を? と尋ねる必要は無かった。パウンドケーキの包みをぎゅっと包み、眉根に皺を寄せ、心底恥ずかしそうな顔で、ハイデマリーが零す。


「偉そうなこと、ルシアンに言っちゃったし。私も恥、かいてくるわ」


 オリアナが立ち上がった。ガタガタッと椅子が鳴る。


「ちょ、えっ――?! ……が」


 急展開だ。ハイデマリーの好きな人すら聞いていないのに、まさかのもう告白に行くと言うのか。何もかもについていけていなかったが、オリアナは拳を握った。


「がんばれ!」


 力強く言うと、ハイデマリーはほんの少しほっとした顔をして笑う。


「んっ!」


 にかっと笑って教室を出て行くハイデマリーを見送ったオリアナは、ヤナを見た。ヤナも目を輝かせて、口元に手を当てている。


「あんなに可愛いハイデマリーに愛を渡されるのは、一体誰かしらねえ」

「ヤナでもわかんなかったの?」

「私、それほど聡くは無いのよ」


 ハイデマリーは男兄弟の中で育ったため、少しばかり口が悪いが愛情深い女性だ。彼女なりの優しさでいつも見守ってくれている。


「上手くいくといいね」

「そうね」

「知ってる男子だったらどうしよ」

「彼女がしょうもない男にひっかかりそうも無いけれど……愛とは、わからないものだから」

「そうだよねえ」


 もしかしたら、ダメンズの世話を焼くことに価値を見いだす方かもしれない。それはそれで、ありそうな可能性だ。


「少し淋しくなっちゃうわね」

「ねー?」


 話をしていると、後片付け後、掃除道具を仕舞いに行ってくれていたヴィンセントとアズラクが戻ってきた。


「みんな帰ったのか」

「うん。焼いたケーキ、談話室で食べない?」

「では、調理器具を返すついでに、食堂で茶をもらいましょう」

「そうね」


 テーブルの上に置かれていたパウンドケーキや調理器具を持ち、四人は錬金術学室を後にした。



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