第140話 秋を待つ未完成な青 - 02 -


 生徒達はその廊下を、通り抜けられなくなっていた。


 それを見た誰もが皆、一瞬思考が停止する。

 頭が働き出すと、「そんなわけがない」と無意識に今見たものを記憶から排除しようとするが、上手く行かずに二度見する。


 そして、あり得ない光景に、ぽかんと立ち止まってしまうのだ。


 それは――廊下の片隅でさつまいもの皮を剥く、次期紫竜公爵ヴィンセント・タンザインだった。




***




「男は、これと決めた女がいたら贈り物をすべきよ。毎日だっていいわ」

 オリアナ、ルシアン、ハイデマリー、ヤナ、は錬金術学の教室に集まっていた。これから、ルシアンがマリーナに渡すための手作りお菓子を作るのだ。


「受け取って貰えなかったら、恥ずかしくね?」

「差し出したことも無い人間に、受け取って貰えなかった時のことを考える権利は無いわ」


 にこりと微笑んで言うヤナに、ルシアンは既に瀕死状態だ。


 エテ・カリマ国は男性が強い権力を持つ国だ。

 だがそれだけ、自分の所有物を大事にする国としても知られている。


 女として生まれれば父の所有物となり、結婚後は夫の所有物となる。しかしその一生を、何よりも大事に守られる。


 そんなエテ・カリマ国の女性にとって、恋の貢ぎ物を受け取るのは普通の習慣らしい。


「まずルシアンは、恥の掻き方を覚えるところからよ。女に下手に出るのも、女にすげなくされるのも、格好悪いことじゃないと、きちんと覚えなくては」


 恥は、女性の代わりに男性がかいてやる。大きな器を示さなければ、エテ・カリマ国の女が男に靡くことは無い。


「今日受け取って貰えなければ、明日受け取って貰えればいいだけ。ルシアンにはそれが出来るだけの強さがあると、私は思っているわ」


 ヤナがにこりと微笑むと、先ほどまで死にかけていたルシアンは顔を赤くして「そ、そっかな」と言う。


「けど私、好きな男が他の女と一緒に作ってきたお菓子って、だいぶ貰いたくないんだけど」

「すすすすす好きなってお前」

「いや、今おめーの話ししてねーから」

 カイがいればすかさず「口が悪い」と言われそうな言い方で、ハイデマリーはルシアンに言う。


「後でアズラクも合流させるわ。そうすれば、クラスメイトと作ったクッキーになるでしょう? 問題無いわ」


(え? ほんとに? でも、無いと言い切られちゃったら、無い気もする)


 アズラクは現在、用務員の仕事の手伝いをしていて不在だ。ヤナの護衛をするためには、周囲とも友好な関係を築いておく必要があるらしい。


「それで、何を作るのかしら?」

 発案者とは思えないほどすがすがしい笑顔で、ヤナが尋ねる。


 このメンバーの中で調理経験があるのはハイデマリーとオリアナだけだった。

 ヤナの手には、厨房から借りてきた調理器具と布巾が握られていた。厨房からこの錬金術教室に移動するまでに付いた埃を、ルシアンと共に水で洗い流し、布巾で拭いている。


「サツマイモのクッキーでも作るか。胃も気持ちも重たくなりすぎないし」

 厨房で貰えた材料を見ながら、ハイデマリーが作る物を決めた。さすがハイデマリー姉貴。口の悪さとは対照的に、面倒見の良い娘である。

 綺麗に拭いたテーブルに、水気を取った調理器具を並べていく。


 錬金術学室はテーブルが大きく、窓辺には捻ると水が出てくる蛇口のついた水道具すいどうぐと呼ばれる魔法道具がある。製薬に使うオーブン付きの暖炉は料理にも使えるため、生徒が個人的に調理したい時など、申請すれば貸し出してもらえる。


「サツマイモ、何個くらい剥く?」

「かなり貰ったねぇ。四つぐらいでいいよ」

 厨房からもらったサツマイモの山を見ながら、オリアナは頷いた。残った芋は返しに行こう。


「じゃあこっちで用意してて。私、粉とかすぐくしゃみ出ちゃうから、あっちでサツマイモ剥いてくる」

「りょうかーい」

 

 オリアナがボウルに芋と包丁を入れて、廊下に出ようとする。その時、廊下を歩いていたヴィンセントとばったりかちあった。


「あれ、ヴィンセント? こんなとこで何してたの?」

「ああ。先生に用事を頼まれて。――それは?」


 オリアナが持つ芋と包丁を不思議そうに見たヴィンセントに、「芋だよー」とオリアナは答えた。


「今からクッキー作るんだ」

「相変わらず仲が良いな、君達は」

 教室の中にいるハイデマリー達を見たヴィンセントは、微笑ましそうにオリアナに言う。


「おやや。仲間に入りたそうですね?」

「手伝えば、おこぼれぐらいには預かれるかな」

「手伝って貰わなくっても、作ったら元々ヴィンセントにはあげるつもりだったよ」


 味の保証は出来ないけどね、と笑うオリアナに、ヴィンセントはびっくりするほど嬉しそうな顔で笑う。


(ひええ、すごい破壊力……)


 一瞬、呼吸も出来なくなったオリアナは、ボウルをヴィンセントに無理矢理手渡す。皮剥きを手伝って貰うつもりで、教室の中から椅子を二脚引っ張り出していると、目ざとくこちらに気付いたルシアンがパッと顔を輝かせた。


「ヴィンセントじゃん! なんでいんの? 俺の手伝いに来てくれたん?」


 小麦粉を扱っていたのか、両手を粉だらけにして駆けつけてくるルシアンが、ヴィンセントに抱きつこうとする。オリアナは両手を広げ、ズイッと前に出た。


「なんだよ。オリアナ」

「まさかと思うけど、抱きつこうとしなかった?」

「そうだけど。何? お前もハグしたかった?」

 ルシアンの馬鹿な発言に、オリアナの背後でヴィンセントがピクリと眉を上げる。しかしオリアナは、そんなルシアンの返事をする価値も無い発言を完全に無視して、真顔でルシアンを見つめた。


「その格好で? あのヴィンセント・タンザインに?? よく考えて。駄目に決まってるでしょ?」


 駄目なんだよ。と静かに首を横に振る。いつもハイデマリー達がルシアンを窘めている時に強く言わないオリアナの、頑なな態度にルシアンがたじろぐ。


「え……オリアナ、厳しくね?」

「厳しくもなります。オリアナちゃんセキュリティです。抱きつくならオリアナちゃんにしなさい」


 ヴィンセントは、オリアナの思い人である以上に、ラーゲン魔法学校の誇りだ。入学以来一位を取り続ける類い希なる成績優秀者であるのみならず、品行方正で生徒からも教師からも信頼が厚い。そんなヴィンセント・タンザインが、小麦粉だらけになる姿など、許せるはずも無い。


(――なんて建前で、抱きつくなんてずるい。どんどん仲良くなってくれちゃってさ? 私だってまだ一回……ノリでいけただけなのに。私の目の黒いうちは、ベタベタするの許してやんないんだから)


「オリアナ」


 むぎぎ、とルシアンを睨んでいるオリアナを、背後からヴィンセントが呼ぶ。

 オリアナは途端に表情を和らげて、後ろを振り返る。オリアナが犬ならば、耳はピンと立ち、尻尾は暴れんばかりにぶんぶんと振られていただろう。


「何?」

「それは、いけない」


 ヴィンセントが、ゆるくかぶりを振った。ヴィンセントは笑顔を浮かべているのに、たったのそれだけで最終通達を送られたような気分になるほど、しんと冷えた声だった。


 オリアナは威嚇するように広げていた両手を下げる。先ほどまで立っていたはずの架空の耳は、きっとしょんぼりと垂れ下がっているに違いなかった。



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