第139話 秋を待つ未完成な青 - 01 -


「――それで、姉の香水を少し借りたりしたこともあったんです」

「……へえ」

「すごくいい香りだったんですけど、私にはまだ、大人っぽ過ぎたかなと思って」

「……ん」

「……もっと私に似合う匂いとか、見つけたいなとは思ってるんですけど――」

「……おう」

「……あ、時間ですね。私もそろそろ」

「ん」

「では、コルテスさん」


 長い黒髪をふわりと靡かせ、マリーナ・ルロワが頭を下げる。


 そのまま逃げるように、足早に去って行くマリーナの後ろ姿を、オリアナとハイデマリー、エッダは愕然としながら見ていた。






「あああああああんたなにあれ?!」

「感じわっる。なにあれ? まじで! 信じらんないんだけど!」

「あんだけ頼み込んでフェルベイラさんに紹介してもらっといて、あれはないでしょう! あれは?!」

「ん、と、おう、しか言えてなかったよ?! ちょっと! ルシアン! 聞いてんの!?」


 エッダとハイデマリーが鬼の形相でルシアンに詰め寄っている。


 試験も無事に終わり、そろそろ本格的に肌寒さを感じる季節だ。

 授業の移動時間に、マリーナと座っていた中庭のベンチに一人で座るルシアンは、燃え尽きたように絶望に打ちひしがれている。


「しゃべれねえ……何しゃべって良いか、まっっじで、わかんねえ……」


 両手で顔を覆い、深いため息を吐いている。あまりに長すぎて、天まで届きそうなため息だ。


「あんだけ会話リードしてくれてるじゃん!? 何がほしいのかちゃんと相手は与えてくれてるじゃん!?」

「あんな初心者向けのお手本みたいな会話してもらっておいて、そんでなんであの対応しか出来ないわけ? 馬鹿なの??」


「うるせえな! 俺はしゃべると馬鹿なんだよ!」


 エッダとハイデマリーの追撃に、ルシアンは顔を上げて抗議した。だが、あまりにも内容がお粗末だ。


「言いたいことはわかるけど、ルシアンはしゃべんなくても馬鹿だよ」


「オリアナまでそういうこと言う!」


「だって馬鹿なんだもん」


 ルシアンは膝を抱え、しくしくしくしくしくと泣き真似をし始めた。


「マリーナちゃんの横いると緊張する……。俺馬鹿だから話したら幻滅される……」


「恥かきたくないから、相手にかかせんのね」

「まじで童貞ってばこれだから」


 ハイデマリーの正論にルシアンが「ぐぅ」と音を出す。


「ルシアンそろそろ――何してるんだ?」


 その時丁度、カイが現れた。いつまでも次の授業の教室に来ないので、呼びに来たのだろう。


「あれ? ルシアンはルロワさんと一緒じゃなかったっけ? なんでハイデマリー達と?」


 親友の恋路に気を利かせていたらしいカイが、訝しげに女子らを見る。


「あの様子だと、カイにもいてもらった方が良かったのかもね……」

「あー。ほんとほんと。カイさえいればもう少しぐらい、マシな会話が出来たかもだね」

 オリアナが言うと、エッダがしみじみと答えた。


「いやでも、あんな空気でカイがフォローしてたら、どう考えてもルロワさんが惚れるのは、ルシアンじゃなくてカイだわ」


「はあ?」


 ルシアンのへっぽこさを完璧にフォローするカイの姿を、オリアナは思い浮かべた。カイは傍若無人に見えて、ルシアンには甘いところがある。


「くだらない色恋沙汰に、俺を巻き込まないでくれない?」


「そうだよ。問題はカイじゃなくて、ルシアンでしょ」

 ハイデマリーが話の筋を戻す。


「ようはルシアンが、ルロワさんと話す時に緊張せずに話せるようになんなきゃってことよ」

「そうだね。あの対応、あと一回でも続いたら、私ならブラックリストに入れるわ。あと一年、顔もみたく無いリスト」


 ハイデマリーとエッダの辛口コメントに、ルシアンは顔を青ざめさせる。


「マ、マジかよっ……!」

「むしろなんでマジじゃ無いと思ったの?」

 本心から疑問に思い、オリアナは尋ねた。


「アズラクみたいに、寡黙で格好良い感じ出せてるかと……」


(あれがアズラク??)


 アズラクの安心する相づちと、要所要所で発揮される魅惑の笑みを思い出したオリアナは、呆然と目の前の童貞を見た。


「こんの童貞が~! そんなだから童貞って言われんのよ! 格好ばっか付けて! 人の皮被って勝負なんか出来ると思ってんのか、この皮かぶり!」

 エッダが言うと、ルシアンが泣く。

「大きな声で言うのは止めてください!! お嫁に行けなくなっちゃう!」


「正論はその辺にして――それでも会ってくれてるんでしょ? うわあ、マリーナちゃんまじ天使」

「天使に悲しそうな顔させてんじゃないわよ」


 オリアナとハイデマリーがルシアンを見下ろす。しくしくしくと、泣きながら蹲っていたルシアンの肩がピクリと揺れた。


「正直あんまアドバイスもしたくない。私がルロワさんの立場だったら微妙。ちょっとでも気になってる男が、自分より親しい他の女にアドバイスもらって実践してくるとか、まじ割と殺意レベルで無理」

「ハイデマリーって、嫉妬深くて心狭いよね」

「うっさい。普通だわ。他の女のアドバイス受けてくるぐらいなら、どんだけ腹立っても、そのままでぶつかってきてくれた方が全然まし」


 ハイデマリーがエッダの頭を小突く。オリアナはハイデマリーの顔を見た。


「ハイデマリー、そういえば好きな子いたもんね」

「……これはまあ、たとえというか。一般論というか」

「そうだった! ねえ! 誰なの!?」

「エッダうるさい。今は私の問題じゃない。だから――細かくうだうだアドバイスはしてあげたくない、って話。大体ルシアン、あんた元々愛嬌だけはあるんだから、自信ときっかけさえあれば、ちゃんと私ら相手みたいに出来んでしょ」

 腰にへばりつくエッダを、ぐいぐいと腕で押しのけながらハイデマリーが言う。ルシアンは目を輝かせて体を起こした。


「……ハイデマリー。お前も天使だったの?」

「大聖母と呼びな」

「大聖母ハイデマリー! どうか俺に自信ときっかけをください!」


「しょっぱな人に頼るところで、まず駄目なんじゃない?」

 カイに言われ、ルシアンは再び落ち込んだ。


「あんた恥かくの怖がってるだけでしょ」

 ハイデマリーが腕を組んでルシアンを見下ろす。


「拒否られたらかっこ悪いって思ってんのよ。童貞のくせに、いっちょ前言いやがって。童貞なら童貞らしく、当たって砕けとけ!」


 ハイデマリーが、ルシアンの蹲るベンチをガンッと足で蹴った。蹲っていたルシアンが、そのままぴょんっと五センチほど体を浮かせる。


「ハイデマリー。はしたないよ」

 カイに諭され、ハイデマリーはルシアンを睨む。


「あーんーたーのーせーいーでー!」

 異国のおとぎ話に出てくるハンニャ・・・・のような顔をして、ハイデマリーはベンチに足をかけたまま、ルシアンに体を近づけた。


「スカートの中が見えるだろ。そんなもん見せるなよ」


 顔を顰めて嫌そうに言うカイに、オリアナはぎょっとした。よくこんな怖い顔をしているハイデマリーに物を言えたものだ。オリアナは、エッダやハイデマリーが騒いでる時は、割と聞き役に回ってしまう。


「……ていうか。なんでハイデマリー、そんなに必死なの?」


 エッダがぽろりと零す。


「え、まさかハイデマリーの好きな人って……え?」


 ルシアンとハイデマリーを指さしたエッダが、にやーっと笑う。オリアナは更にぎょっとした。


 蹲ったまま顔を上げていないルシアンは状況が掴めていないし、ハイデマリーは地獄の使者のような顔をしているし、カイは意外そうな顔をしてハイデマリーを見ている。


「ちがうって言ってっ――」

「みんな、何をしているの?」


 否定しようとしたハイデマリーにかぶさるように、ヤナの声がした。


 後ろから、トンと体が押されたかと思うと、オリアナの腕にヤナが巻き付いていた。ヤナの後ろにはアズラクもいる。

 試練で呼び出され、アズラクとヤナは決闘に行っていたのだ。こんなに早く帰ってこられたということは、ほんの数分で終わったのだろう。今回の挑戦者も、味気なかったに違いない。


「あらあら。どうしたの? この蓑虫くんは」


 ローブに包まり、ベンチの上で蹲るルシアンをヤナがツンツンと突くと同時に、チャイムの音が鳴る。そろそろ本当に移動しなければやばいだろう。


「ひとまず行こっか」

「そうだね」


 オリアナが言うと、カイが頷いた。ルシアンはよれよれとベンチから立ち上がると、とぼとぼと歩いた。その後ろ姿は切ない。


「まあ。美味しそうな匂い。ねえアズラク? 私達がいない間に何があったのかしらね」


「吐かせましょう」


 得意ですよ、と言わんばかりのアズラクに、オリアナは慌てる。クラスメイトが拷問にかけられるのは阻止しなくては。


 歩きがてら、かくかくしかじかとオリアナが説明すると、ヤナはにっこりと微笑んだ。


「私、いい案があってよ」




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