第138話 上手な微熱の逃し方 - 04 -


(僕は今、彼女をどちらのオリアナだと、思っているのだろう)


 ヴィンセントは、常々自分とヴィンスを分けて考えていた。そのため、オリアナが好きと言うのは、ヴィンスに対してのみだと思い込んでいた。


(なら、今の僕は?)


 無性に泣きたくなった。


(自分がどう感じているのか、どう感じるべきなのか――正解がわからない。未来も、恋も。君に好きだと言えば、何かわかるんだろうか)


 どちらも愛しいのに、心が切なく騒ぐ。


 今の彼女に救われているのに、救えなかった彼女を思い出してしまう。


 もう手も届かない何処か暗い場所で、ヴィンセントに助けを求めて泣いているのでは無いかと――そんなわけがないことは、ヴィンセントが誰よりもわかっているはずなのに――そんな妄想を浮かべてしまって、雁字搦めになる。


「――よしよし」


 自己嫌悪の波に呑まれかけた時、ヴィンセントの頭をオリアナが撫でた。

 頭頂部からうなじの手前まで、ゆっくりと時間をかけて動かしている。オリアナの手首の内側が、ヴィンセントの耳を擦る。


「よしよし。大丈夫。ヴィンセントは人一倍頑張ってるから……少しだけ、休んでもいいんだよ」


 柔らかい声がする。

 顔は見えないが、どんな顔で言っているのかも、わかる気がした。


「――オリアナ」

「うん?」


 オリアナの声は少し掠れていたが、明るいものだった。

 ヴィンセントの固い声にも気付かない振りをして、いつもどおりの声を出そうとしてくれる。


 ――ずっと不安で、焦っていたヴィンセントが、を生きれるようになったのは、オリアナのおかげだ。


 オリアナと話すために、彼女の友人達の名前を覚えた。オリアナと会いたくて、移動時間に第二クラスが通りそうな道を選ぶようになった。オリアナと少しでも話したくて、談話室に顔を出すようになった。


 オリアナが笑いかける度に、未成熟なヴィンセントが埋められていく。


「僕は頑張りたいことがある」

「……うん」


 ヴィンセントの頭を撫でていた手が止まる。


「だが、しんどくなる時がある」

「うん」


 オリアナがまた、ヴィンセントの頭を撫で始めた。

 ゆっくりと、力強く。


「――友達だから」


 少しの沈黙の後に、オリアナが口を開いた。


「膝くらい貸すし、頭なら撫でてあげられるから。だから、頑張れ。ヴィンセント」


 その言葉が何よりも胸に響いて、ヴィンセントは目頭が熱くなった。


(やばいな、泣きそうだ)


 顔を隠していて良かった。目をぎゅっと瞑り、なんとか涙を堪える。


「いつか全部終わったら、聞いてほしい」

「オリアナちゃんに、まっかせなさい」


 どーん! とオリアナが自分の胸を叩いたのが、振動で伝わってきた。強く瞑った。


 目を閉じると、かつて空元気に振る舞っていた、二巡目のオリアナが脳裏に浮かんだ。ヴィンセントにまとわりついてくるオリアナ。大きな口で笑うオリアナ。言い負かされた時に悔しそうな顔をするオリアナ。


 三巡目になってから、この談話室には数えるくらいしか来ていない。


 どうしても、オリアナが死んだ場所という感覚が強くて、中々訪れる気になれなかった。けれどこうしてオリアナが傍にいると、二人で過ごした穏やかな気持ちも思い出す。


(君が恋しい)


 顔を上げて盗み見ると、視線にすぐに気付いたオリアナが微笑みかける。


(――ああ、オリアナ)


 恋しくて堪らない顔で微笑むオリアナを見ていられずに、ヴィンセントは片手で両目を覆った。歯を食いしばっていなければ、涙が零れそうだった。


(君がいないと、息も出来ない)




***




 ――ギィ


 古いドアが開く、耳障りな音が鳴る。


「……ヴィンセント、オリアナ?」


 校舎の外が暗くなった頃、ぽつりと聞こえた声でオリアナは目を覚ました。睫毛を震わせ、ぱちぱちと瞬きをする。


 どうやら座ったまま眠ってしまっていたようだ。声がした方に顔を向けるが、辺りが暗くてよくわからない。

 この部屋を微かに照らすのは、オリアナ達の背の方向にある、暖炉についた火だけ。


 戸口に立つ、長身の影を見た。声から、なんとなく誰かわかっている。


「……ミゲル?」


「……やっぱりここにいた。あんま帰ってこないから、探したじゃん」


 ミゲルが大きな肩を揺らし、大げさなほどにホッとした声を出す。


「――けどまー、ドア開けるの勇気いったわぁ。真っ暗だし。友達と友達の濡れ場とか、最高に見たくないし」


 飴を咥えたミゲルがブツブツと何かを言っているが、寝ぼけ眼のオリアナにはよく聞こえなかった。ごしごしと目を擦ろうとして、手を止める。いけない。メイクをしているんだったと、指で瞼を押さえた。


「んー……おはよう……」

「おはよ。もう飯の時間だ――よって、ありゃま」


 大股で歩いてきたミゲルは、両手をズボンのポッケに入れたまま、腰を折って見下ろす。

 オリアナの膝には、彼女の腰に腕を回し、抱きつきながら眠るヴィンセントがいた。


「あんだけ俺が言っても休まなかったくせに……オリアナってば、さっすが」


「えっへん。おかげで勉強は全く出来てない」

「そんな日があってもいいって」


 ミゲルがヴィンセントの肩を持ち、揺り動かす。


「おーい。起きろー。オリアナがひもじがって泣いてるぞー」

「えーん。ひもじいよー、早くご飯が食べたいよー」


 オリアナが泣き真似をすると、ヴィンセントが勢いよくガバリと起き上がった。おかげで、ヴィンセントを起こそうと覗き込んでいたミゲルの額と、ヴィンセントの頭が衝突する。


「っつぅ……」

「痛っ――! ……なんだ? ミゲル? いやそれよりも、今オリアナが泣いていなかったか?」


「ご、ごめんなさい……」


 何もかもがごめんなさい。オリアナは両手を合わせて謝ると、ミゲルの額とヴィンセントの頭を必死に撫でた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る