第137話 上手な微熱の逃し方 - 03 -


『最近、自習室以外にもいるようになったよね』


 ヴィンセントはペンを動かしつつ、先ほどのオリアナの言葉を思い出していた。


 自分でも気付いていなかった変化を言い当てられた事に、戸惑いと、喜びを感じていた。


(そうか。僕はもう、を生きれてるんだな)


 人生をやり直し始めてから、ヴィンセントはずっと不安だった。


 この選択が正しいのか、このまま生きていて問題は無いのか、どうすればオリアナは死なずに済むのか。


 隙間時間があれば、何かしていないと不安だった。勉強は、手っ取り早く飢えを満たせた。


 新しいことを詰め込めば、何かオリアナを助ける手段に繋がるかもしれないと思える。復習して頭にたたき込めば、一位を取るために必要な作業だったと思える。


 思えばミゲルはその間、何も言わずに傍にいてくれた。いつも勉強に付き合ってくれていたわけではない。それでも、文句の一つも言わずに傍に居続け、ヴィンセントがしていることを「間違っていない」と思わせてくれたのは、ヴィンセントにとって力強い支えになっていた。


 何度やっても、何時間机にかじりついていても安心できずに、ただずっと勉強し続けた。


 オリアナとの付き合いの中でもヴィンセントは、いつも自分を律していた。


 求めすぎないよう。

 求められてもないのに与えすぎないよう。


 それは思っている以上に、難しいことだった。困っていたら一番に手を差し伸べたい。けれど、友達以上のことは出来無い。何かと理由をつけて、彼女の傍にいることしか、今の自分には出来なかった。


 いくらも進んでないのに、ヴィンセントはペンを置いた。大きく長いため息が、二人きりの談話室に響く。


「……疲れた?」

 ペンを置き、ため息をついたヴィンセントに、オリアナが尋ねる。


「そうだな」


(勉強に、未来に、過去に、少しだけ疲れたのかもしれない)


 それにここ最近、試験に向けての勉強を夜遅くまでやっていた。更に、ハインツ先生に命じられた魔法道具作りも続けている。昨日もミゲルに、冗談交じりに早く休むように言われたばかりだった。


「疲れている。膝枕でもしてほしいぐらいに」


 ヴィンセントは笑って冗談を言うと、オリアナが黙ってしまった。


「……」

「……」


(ミゲルとは、こういう他愛も無い軽口をいつも交わしていたから……)


 だから自分も許されるのでは無いかと期待していたことに気づき、焦る。


(何か言い訳をした方がいいのだろうか? いや、そのほうがわざとらしいのでは……?)


 不慣れなことをすべきでは無かったとヴィンセントが反省し始めた頃、オリアナがペンを置き、腰をもぞもぞと動かして、座り直した。


「私のでもかまわない?」

「……は?」

「あいにく初めてだから、乗り心地の保証はないんだけど」

「……いいのか?」

「うん。どうぞ」


 ぺんぺん、とオリアナが自分の太股を叩く。


 ヴィンセントは愕然とした。だが、「やっぱり止めた」と言われる前に、絶対にその膝に頭を乗せなければならなかった。遅くなれば遅くなるほど不信を生み、ヴィンセントが本気でしてほしがっていることが伝わってしまう。


「なら、遠慮無く」


(なんてことのない調子を、保てていたと言ってほしい)


 長椅子に座っていたオリアナの隣に腰掛け、ヴィンセントは体を倒した。自分の体の長さが把握できておらず、頭と腿の距離が大分離れている。

 腰をずらして、位置を調整した。足はソファから半ば落ちそうだったが、そんなこと何の問題も無かった。


(……これは、駄目だな)


 思っていた以上に、恥ずかしい。


(心臓が飛び出しそうだ)


 想像よりもずっと、ダイレクトにオリアナを感じる。スカートの生地から香る匂いを嗅ぐことに罪悪感を覚え、できる限り浅く呼吸する。


 座るオリアナと同じ方向を向いて横になったが、このままではまずい。顔が赤くなるのがすぐにばれてしまう。

 完全ににやけた顔を隠すことも出来ないし、最悪なことに、オリアナの温度と柔らかさとぬくもりで、下半身に違和感が出て来ている。


(黙れ。また杖だと言い張るつもりかっ――!)


 いつもなら黒歴史と冷静になる二巡目の舞踏会の夜を思い出したが、今に限っては逆効果だった。下半身の違和感が強くなり、慌てて腰を引く。


 彼女の香りを嗅ぎ、ぬくもりに触れながら、あの親密な距離を思い出すのは最高に最低な行為だったことを思い知る。


 全てを隠すために、ヴィンセントはソファの背もたれの方――オリアナの腹の方に顔を動かした。


 回転するヴィンセントの頭が、オリアナの太股をぐりっと押した。


「んっ……」


 二人の呼吸が同時に止まる。


「ごっ、ごめん、くすぐったくて」


「あ、ああ」


 慌てて言い訳するオリアナに、わかっているからと何度も頷く。頷くヴィンセントの頭を、オリアナが常に無い強さで掴んだ。


「わああっ……! いっぱい動かしちゃ駄目!」


「すまない――!」


 くすぐったいと言われたばかりだった。ヴィンセントは石のように固まった。


 鼻先にオリアナの制服が当たる。匂いとは別に、彼女の体から立ち上る熱気が、ヴィンセントの鼻に入り込んでくる。


(やめておけば良かった……)


 今すぐ離れるべきだと思う理性と、どうしても離れたくない本能がせめぎ合う。


(腰を抱いて、服をめくって、腹に唇を押し当てて。柔らかな肌に歯を立てたい。舐めて、吸って、味わい尽くしたい)


 淫らな本能を自覚した途端、熱くなる体とは反対に、心は不思議と凪いだ。


(僕は今、彼女をどちらのオリアナだと、思っているのだろう)




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