第136話 上手な微熱の逃し方 - 02 -
「最近、自習室以外にもいるようになったよね」
ヴィンセントの隣を歩きながら、オリアナが言う。
今は試験前なのでまた自習室にいることが増えているが、それでも去年の今頃に比べれば、格段に他の場所でばったりと出くわすことが増えていた。
オリアナを見たヴィンセントは、少し切なそうな顔で笑うと、前を向き直して「ここだよ」と言う。
談話室なのに扉が閉まっている。それほど生徒が使うことは少ない部屋なのだろう。扉を開けて中に入ると、少し埃臭い気がしたが、テーブルや椅子に埃が積もっていることは無かった。
暖炉の横に薪も置かれている。暖炉に灰は残っていない。あまり使われていなくとも、定期的にきちんと清掃されているようだった。
ヴィンセントは薪をくべ魔法紙を載せると、杖をかざして火を付ける。
「あ、杖結構できてるんだね」
ヴィンセントの杖を初めて見たオリアナは、彼の持つ杖をしげしげと覗き込んだ。
「複合型かぁ。っぽい」
インクと宝石の複合型だ。ヴィンセントが「見るか?」と気軽に差し出してきて戸惑う。杖とは、魔法使いの心臓と同じだ。簡単に触れていい物では無い。
「え、いいの?」
「かまわない。君にはどうせ、一度触られているからな」
何故か遠い目をして自嘲するヴィンセントに、オリアナは杖を受け取りつつ首を傾げた。
「ヴィンセントの杖、触ったことなんてないけど」
「なら、杖ではなかったのだろう」
謎かけみたいな話になってきた。
「まぁ、前の人生の話だ」
「ちょっと。前の人生のオリアナちゃんを傍若無人にするの止めて貰えない? 私だっていくらなんでも、人の杖を無理に触ったりしないよ」
人の杖を気軽に触るなんて何事だ。魔法使いの風上にもおけない。
「――緊急事態だったんだ」
「どんな」
「言えない」
「ちょっと。詰めが甘いんじゃない? 設定考えといてよ」
「どの口がっ――!」
何かとんでもない憤りを含めた声で、ヴィンセントが唸る。
「……オリアナの杖は?」
「私のは宝石型。私のもどうぞ」
懐から取り出し、ヴィンセントに渡すと眉をくいっと上げた。
「……空色」
「そう。アクアマリンにしたの。私の目の色と似てるでしょ?」
宝石型にする多くの魔法使いは、自分の目の色に似せた宝石を選ぶ。擬似的に作られた自分の目を通して、魔力を自分に馴染ませるためだ。オリアナが杖に付けた宝石は、父が大喜びでエテ・カリマ国から買い付けてきたものだった。
「ヴィンセントは……あ。やっぱりタンザナイトなんだね」
ヴィンセントの瞳の色とよく似ている宝石が、杖の先に付いている。したり顔で笑うオリアナに、ヴィンセントは苦笑した。
「君もそうだと思っていた」
「え? なんで?」
「前の人生の君が、杖にはタンザナイトを付けていたから」
オリアナは、ひゅっと喉を鳴らした。
「――え? さっきから、何その設定。口説いてる?」
「違う。そんなことは無い」
オリアナの聞き方もアレだったが、冷たい声で即答したヴィンセントもアレだ。
(自分から振っといてなんだその対応は。ノってやっただけじゃんか)
オリアナは憤慨した。かなり強めにきょどったし、かなり恥ずかしかった。苦し紛れに、強がってみる。
「仮にもし私に恋人がいても、その人の目の色の宝石を杖に付けることは無いんじゃないかなあ。恋人なんて、いつまで一緒にいるかわかんないけど、杖は一生物だし。そんなのに一々浮かれて、恋人が変わる度に宝石変えてらんないし」
「……そうか、あれは浮かれていたのか」
ぽつりと呟かれた言葉は、丁度暖炉の中の薪が落ちる音で聞こえなかった。火が強くなりすぎていたのか、ヴィンセントが火かき棒で薪を調整する。
「――タンザナイトはうちの守護石なんだ」
「そういうのがあるんだ」
「ああ。家名も、タンザナイトから取られたと聞いている」
「初めて聞いた」
「公にはなってないからな」
(だから)
そう言う話をされるたびに――特別扱いに喜んでしまう。
(ヴィンセントが”お友達”として特別扱いしてくれたんだって、ちゃんとわかってる。口説いてるのって聞いて違うって即答されるレベルだってちゃんとわかっているから……少しだけ喜ぶのを許してほしい)
互いに杖を交換し、ソファに腰掛ける。そして、決して勉強に適していない小さなテーブルに、それぞれの教科書を広げた。
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