第135話 上手な微熱の逃し方 - 01 -
「タンザインさん」
試験を目前に控えた放課後、聞こえてきた声にドキリとして、自習室に入ったばかりのオリアナは足を止める。
「もうすぐ試験ですね」
「試験勉強をなさっていたんです? 精が出ますね」
すでに勉強を始めていたヴィンセントに話しかけているのは、知らない女生徒だ。四人で、自習するヴィンセントを囲うように立っている。
あの場に合流するのも躊躇われたオリアナは、併設されている本棚の影にすすす、と隠れた。
「そうだ」
「対抗魔法学の試験範囲、今回急に広くなってませんか?」
「それに実技で杖作りも始まってしまって、どうもいっぱいいっぱいで……」
「少しだけでも試験勉強、教えて貰えたりしませんか?」
女生徒らがしなを作って話しかける。
知り合った頃に比べると、ヴィンセントは格段に声をかけられることが増えた。特にこうして、話しかける理由がある時の女生徒は強い。
「自分のことで手一杯なんだ。遠慮してほしい」
殊勝な声でヴィンセントが断るが、女生徒は引き下がらなかった。
「隣で勉強させて貰うだけで良いんです」
「私たち勝手にやる気が上がって、集中できますから」
「それほど勉強をしたいんだな」
「そうなんです。でももう他の席はいっぱいですし……」
確かに、ヴィンセントの座る四人用のテーブルだけ空席があったが、他の机は満員御礼だった。皆、ヴィンセントに遠慮して――そして、ミゲルとオリアナが座るだろうと予測して――その席を空けている。
「ならこの席を譲ろう」
ヴィンセントが教科書を閉じ、立ち上がる。慌てて止めようとする。
「えっいえ、でもっ――」
「どっちみち、四人席だ。全員は座れないだろう。僕はそろそろ切り上げようと思っていたから、遠慮無くここで勉強していくといい」
女生徒と別れ、出入り口に歩き始めたヴィンセントと、本棚に隠れていたオリアナの目がばっちりと合った。ヴィンセントは一瞬呆けた顔をする。
「今日は来られないと言っていなかったか?」
「そうだったんだけど、思いのほか早く用事が終わって――」
ジスレーヌ先生に言付けられ、占星術学の準備室の整理整頓を手伝っていたのだが、よこしまな期待を多分に持ち合わせた男子生徒達が代わってくれたのだ。彼らは今、大きなおっぱいを見放題というご褒美のもと、あくせくと働いていることだろう。
「でも、ヴィンセントはもう帰っちゃうんだよね?」
ならオリアナも、今日は大人しく寮に戻ろうかなと思案していると、ヴィンセントが気軽に言った。
「なら、談話室にでも行くか。テーブルくらいある」
「え? うん」
いいのかな。と思ったオリアナは、ちらりと女生徒を振り返った。勉強を切り上げると言って立ち去ろうとしたのに、移動して勉強をすることになっているからだ。
案の定、すさまじい勢いで睨まれている。
そりゃそうだ。一瞬で首の角度を戻したオリアナは、心でひぃーっと悲鳴を上げた。
「行こう。オリアナ」
促され、オリアナは心の中で謝罪した。
彼女達に悪いとは思っていても、この場所を手放す気は、さらさら無かった。
***
「談話室だが、一つ心当たりがある。そっちに行ってもいいか?」
ヴィンセントに言われ、オリアナはこくりと頷いた。西棟から、東棟に移動するらしい。
「もうずっと行っていないから、埃が立っているかもしれない」
「そんなに人の出入りがない談話室なの? 穴場だね」
てくてくと歩く。ヴィンセントと歩く時、オリアナは歩幅を気にしたことが無い。アズラクは後ろからついてくるが、カイやルシアンは、基本的に全く気にせずに先に歩いて行ってしまう。
だがヴィンセントは、オリアナが一番歩きやすい速度で横を歩いてくれる。
(エスコート、慣れてるんだろうな)
こんな小さな事に嫉妬して、心を揺さぶられる。オリアナは懸命に、頭から嫉妬を追い出した。
風が吹いて、オリアナの体がぶるりと震える。今日は日中雨が降っていたからか、少し肌寒い。
(結局ヴィンセントにも、ミゲルと同じお店で買ったレモンの砂糖漬けを贈ったけど――いつかは、マフラーとか贈りたいな……)
流石に身につける物を友達の間柄で贈るのはハードルが高くて同封するのを遠慮したが、マフラーや手袋なら学校でも着用出来る。自分が贈った物を身につけているヴィンセントを想像し、心がほくほくとする。
ローブの裾の中に手を入れたオリアナが寒がっていることに気付いたのか、ヴィンセントが心配そうな顔を浮かべる。
「――少し肌寒いな。ショールを取りに戻るか?」
(え、嫌だ)
女子寮に戻っている間に、先ほどの女生徒達が追いかけてくるかもしれない。先ほどヴィンセントは断っていたが、談話室くらい広ければ、一緒に勉強することを承諾することもあるだろう。
(駄目だ……見苦しい……嫉妬の鬼だ……)
ヴィンセントが誰と勉強しようが、口出しできることではない。だがやはり、嫌なものは嫌だった。ヴィンセントに気がある女の子と、一緒のスペースで勉強なんか、出来る気がしない。
「大丈夫!」
「なら、僕を風よけにすればいい」
ヴィンセントが肘を差し出してくる。ヴィンセントの腕をぽかんと見たオリアナに気付き、ヴィンセントは慌てて腕を引っ込めた。
「すまない。癖で」
癖で、こんなにも自然にリードしようとしてくれるのか。男性らしい仕草にドギマギとしたオリアナは、照れを隠すためにふふっと笑う。
「ヴィンセントにエスコートして貰える女の子は、幸せ者だね」
「――なら、幸せ者になってみるか?」
「いやいや。私、そういうの慣れてないから」
エスコートなんて、父ぐらいにしかされたことがない。そんなのでは、うっかりこれ以上ときめいてしまう。それはさすがに、もう隠せないに違いない。
ヴィンセントは「そうか」と言うと、オリアナもついて行ける程度に、少し歩調を速めた。さっさと、温かい談話室に連れて行こうと思ったのだろう。
「今日の用事は、なんだったんだ?」
「それが、ジスレーヌ先生に部屋の掃除を頼まれちゃって。でも第二の男子が代わってくれたんだよね」
「フェラー達か?」
「ううん。他の子」
「……親しいのか?」
「うちのクラスはみんな仲いいよ」
「そうじゃなくて……」
微妙な顔をしてこちらを見るヴィンセントに、オリアナは「じゃなくて?」と首を傾げた。
「……よかったな」
「うん」
彼らも今頃、ジスレーヌ先生の服から半分は出ている悩ましげなおっぱいに労られていることだろう。
皆が幸せになったため「よかったな」は当たっている。しかしオリアナはどうだろうか。先ほどから心の中でうねうねとしている際限無い嫉妬心は、決して「よかったな」と言えるものでは無い。
本心を隠し、ヴィンセントを謀っているようにも思えて、オリアナはついため息を漏らした。
「……はぁ」
「はぁ……」
何故か二人同時にため息をつき、顔を見合わせる。
「疲れたの?」
「そんなところだ。君は?」
「わ、私もそんなところ」
(恋するって、確かに疲れる)
もう一度ため息をつきそうになって、オリアナは慌てて口を閉ざした。
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