第134話 泣き顔は見せないで - 04 -


「……それで、何の話をしていたんだ? 本人ということは、僕の話だったんだろう?」


 ここぞとばかりに、オリアナがヴィンセントの髪の感触を味わっていると、突然ヴィンセントがそう言った。


 ヴィンセントの頭から手を離し、そーっと体を引く。しかし、手首をまたがっしりと掴まれ、動きを封じられた。


「いや、ここで逃げるのは無しだろう」

「そ、うだよねえ。はは、ははっ……」


 空笑いを浮かべつつ、オリアナはヴィンセントの手を見た。

 節くれ立った指で、しっかりとオリアナの手首を掴んでいる。


 オリアナを痛み付けようという意思がないからか、大きな男の手のひらなのに、全く怖くない。それどころか、捕まえられていることに喜びさえ感じてしまう。


(離しても逃げないよって言ったら、離されちゃうのかな)


 離してと言わなくても支障は無い気がして、オリアナは言うのを止めた。


「最近よく、ぼうっとしていたことと関係があるのか?」


 ありまくりである。

 誤魔化したかったが、難しいだろうなと思った。ここずっと、ヴィンセントを意識しすぎているのに、こんなに近い距離にいる。上手く躱せる自信が無かった。


「……ミゲルに、飴をあげたの」

「へえ?」

「パパがすごく美味しい飴を手に入れてくれて。私よりもミゲルの方が美味しく食べるんじゃないかなーって思って」


(駄目だ。早口すぎる。もうちょっと落ち着いて話さないと、気取られてしまう)


「それで……ヴィンセントにも何かプレゼントを贈りたくて」

「おこぼれに預かれるというわけか」


 おこぼれは完全にミゲルの方だったが、オリアナはぶんぶんと首を縦に振った。


「ヴィンセントは何が好きかなって、ここ最近考えてたっていうか……結局わからなくて、ミゲルに聞いてたの」

「だから、僕に聞けばいいじゃないか」

「ほんとに、その通りで。これからはそうします……」

「そうしてくれ」


 何故かヴィンセントには遠慮してしまう自覚はあった。他の人には頼れることでも、ヴィンセントに頼るのは申し訳無い、という感情が先に湧く。


(好きだから、なんだろうけど……)


 けれどヴィンセントは、拗ねながらも言ってくれた。友達として蔑ろにされたとまで思っていただろうに、オリアナを切り捨てるのでは無く、ぶつかってきてくれた。


(そして今も、聞きに来いって言ってくれる。……たいした用事じゃなくても、来てもいいって言ってくれてる)


「しかし、好きな物か……。考えたことが無かったな。次に会うまでに考えておく」


「えええ?」


 ヴィンセントの放った問題発言に、オリアナはきゅんとしていた心を遠くに投げ捨てた。


「考えるって、何を?」

「好きな物だろう?」


 好きな物とは、考えるような物だったろうか。


 真顔のオリアナを見て、何が言いたいのか伝わったのか、ヴィンセントが苦笑した。


「自分のことを、あまり気にして無かったと伝えたことがあっただろう? ……馬鹿みたいだな。好きな物さえ、すぐにわからないなんて」


 公爵家の嫡男として生まれたヴィンセントの生き方を見る度に、オリアナはどうにかしたくて堪らなくなる。

 具体的に言えば、好きな食べ物を目一杯、口に詰め込んでやりたい。


「ここ最近は特に、忙しくて無駄なことはあまりしてこなかったから――少しわからないだけだ。考えたら、きっと何か出てくる」


「なら、今から一緒に考えよ」

「退屈させるよ」

僕に聞いて・・・・・いいんでしょ?」


 ヴィンセントは曖昧な笑みを浮かべた。自分自身に踏み込まれることを躊躇しているようだった。しかしオリアナは気付かないふりをして尋ねた。


(ここに踏み込む許可を、さっき貰ったんだもん)


「最後に無駄なことをしたのって何?」

「いつだったかな……最後……」

「じゃあ、一番思い出に残ってる無駄なことは?」


 オリアナの質問に、ヴィンセントは真剣に考え出した。その間、ヴィンセントの邪魔をしないよう、オリアナはじっとして待っている。


 黙っているとどうしても、掴まれている手に意識がいってしまう。ヴィンセントはもう、オリアナの手を掴んだままなことなんて、忘れているようだった。


 思い出してほしい。

 でも、思い出したら手を解かれてしまう。


 結局、オリアナはヴィンセントの意思に委ねた。自分からこの温度を手放すことは、出来そうになかった。


「……手紙かな」


 思い至ったのか、ヴィンセントがぽつりと言った。


「手紙?」

「ああ。手紙を書いた」

「手紙って無駄なことなの?」


 尋ねるオリアナに、ヴィンセントが笑う。掴んだままだった手に、少し力が入った気がした。


「特に急用は無かったんだ。だが書きたくて、返事を書いた」


 手紙とは本来そういうものな気もするが、ヴィンセントにとって、それは「無駄」に分類されるのだろう。


 返事と言うことは、送ってきた相手がいる。

 オリアナは何の気なしに、ヴィンセントを見て、後悔する。


(――シャロンだ)


 手紙の相手がシャロンだと、オリアナはすぐにわかった。横を向いて窓の向こうを見るヴィンセントは、見たこともないほど甘い顔をしていたからだ。


 好きな相手を思い出しているのだと、すぐにわかる。


(私だって、手紙くらい書くのに。何通でも、何十通でも書くのに)


 だがオリアナには、もしかしたら無駄な返事は来ないかもしれない。

 伝えなくてはならない用事がある時にだけ、返事が届く自分を思い浮かべ、泣きそうになる。


「――手紙に」


 ヴィンセントは空を見つめたまま続けた。


「その日の朝食のマフィンの上に、レモンが載っていたことを書いた。どうしても無駄にしか思えず、書こうか書くまいか迷って……結局、書くことにした。書いたら――喜ぶかと思って。彼女の喜ぶ顔を思い浮かべながら、書いた」


 柔らかく、心地よい声に、オリアナは頷くふりをして俯いた。


(好きな相手がいる人を好きになるっていうのは、こういうことなんだよ)


 胸が苦しい。痛くて堪らない。オリアナが知ってるよりも多くのことを、シャロンは知っているのだろう。


 けれど、彼を好きじゃ無かった頃に戻りたいとは、どうしても思えない。


「……マフィンは好き?」

 声を震わせないように、必死に平静を保って聞いた。


「普通かな」


「じゃあ、レモンは?」


「……好きかもしれない」


 初めて、魔法を成功させた少年のような笑顔で、ヴィンセントがオリアナを見た。オリアナも、彼の笑みに恥じないように、顔に笑顔を載せる。


(悔しいなあ)


 きっと、オリアナがどれほどレモンをあげても、その日のレモンの味には絶対に叶わないに違いない。


(あーあ。レモンなんて、大っ嫌い)


 せっかく見つけた好きな人の好きな物だったが、オリアナはもう二度と、あの黄色い果物を見たくも無くなってしまった。



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