第133話 泣き顔は見せないで - 03 -
先ほど何を話していたのか。オリアナは泣いていたのか。
彼女を傷つけないように言葉を探せば探すほど、胸が切なく疼く。
(ちくしょう)
口にしたこともない言葉を、胸の内で吐き出した。
ミゲルとオリアナは、いつでも仲が良かった。二巡目に、ミゲルに本気で嫉妬しなかったのは、オリアナの視線がいつもヴィンセントにあったからだ。
(けれど、今度は違う)
オリアナは誰でも好きになれる。誰を好きになっても不思議では無い。そしてミゲルは、オリアナが好きになっても仕方が無いほど、いい男だった。
「ええとですね……これはその……」
オリアナが敬語で話し出す。
もちろん、軽いノリで話そうとした彼女なりの工夫なのだということは理解出来た。
(けれど、オリアナは知らない)
どれだけ長い間、ヴィンセントが彼女に普通に話してほしいと望んでいたのか。どれほど、普通に話してもらえるミゲルに嫉妬していたのか。
ヴィンセントがオリアナの手首を握った。常に無い乱暴なヴィンセントに、オリアナが息を呑んだ気配がした。
そのまま談話室を出て、ヴィンセントは階段を上った。何処でも良い。何処か人目の付かない場所に行きたかった。
「ヴィ、ヴィンセント?」
無理矢理引っ張られているオリアナの抵抗らしい抵抗は、このかけ声一つだった。
ヴィンセントの手を振りほどくでも無く、足を止める事さえ無かった。ヴィンセントが手を引くまま、同じ歩調で付いてくる。
四階まで上ると、普段は使っていない空き教室を見つけた。
ヴィンセントに手を引かれたまま、オリアナも教室に入ってくる。彼女が入った瞬間に、ヴィンセントはぴしゃりとドアを閉めた。
閉められたドアを数秒見つめたオリアナは、おずおずとヴィンセントに尋ねる。
「お、怒ってる?」
「怒っている」
何かを考える間も無く、素直に口から出てしまった。
オリアナが「ぴえっ」と小さな悲鳴を上げる。
「大体、君はいつもいつも――っ!」
「はいぃ!」
オリアナがびくりと体を震わせた。ヴィンセントの胸を、突き刺すような痛みが襲う。オリアナの手首を掴んでいた手を離した。
「……君はいつもいつも、僕では無く、ミゲルに言う」
あまりにも、子どものような事を言ってしまった自分に、ヴィンセントは戸惑っていた。こんなことを、自分が言うなんて信じられなかった。
オリアナはなんと言っていいのかわからないのか、戸惑っている。けれどヴィンセントも、筋道立ってこの感情を説明する余裕が無かった。
「今回はその、たまたまそういう感じに……」
「たまたまで、君はミゲルには泣き顔も見せるんだな。僕にはあれほど、見るなと言っておいて」
悪態が次々と口をつく。オリアナは顔を赤らめ、ふるふると震えながら反論した。
「あれはだって……! っていうか、私別に、ミゲルの前で泣いてない」
「さっき泣いていたじゃないか。友達だと思っていたのは、僕ばかりだ」
「泣いてないってば!」
オリアナがヴィンセントの両腕を掴み、ぐいっと引っ張った。身をかがめさせられ、虚を突かれたヴィンセントは、至近距離にあるオリアナの目を覗き込む。
「見てよ! 泣いた痕、無いでしょ? 泣いたらメイクよれちゃうから!」
そんなことを言われても、メイクがどうなっているかの知識が無いヴィンセントは、判断が付かなかった。ただ、可愛いとだけしか思えない。
しかしこれほどオリアナが言うのであれば、本当に自分の勘違いだったのだろう。
「……すまない」
オリアナの顔を見続ける資格も無くした気がして、ヴィンセントは顔を背けた。
素直に非を認めたヴィンセントに、オリアナは満足げに鼻を鳴らす。
感情のままに動いた不甲斐なさと、彼女への申し訳なさ、そして恥ずかしさで動けなくなっているヴィンセントの二の腕を、オリアナがちょいちょいと更に引っ張った。
「ちょっと、しゃがんで」
言われるがままに、ヴィンセントは膝を折った。このまま床に額を付けろと言われれば、言われるがままにするつもりだった。
項垂れたままのヴィンセントの頭に、ぽんと手のひらが乗る。
そのまま、手のひらは上下に動いた。
「よしよし」
何をされているのか、瞬時に理解出来なかった。
何度も往復される内に、自分がオリアナに頭を撫でられていることに気付いた。
「えっ……?」
顔を上げると、オリアナがいた。膝を抱えてしゃがみ込み、ヴィンセントの頭を撫でている。
慌てて顔を俯けた。
とてもじゃないが、直視していられなかった。制御出来ない波が、カッとヴィンセントを揺さぶる。
(顔が、熱い)
驚きと同時に、心は喜びを感じていたようで、じわりじわりと全身に幸福が行き渡る。
「ほら、ちゃんと撫でられて。よしよし」
一体何をされているのか、全くわからなかった。ただわかるのは、自分が今、途方も無い幸せを感じているということだけだ。
オリアナの手はしばらく止まらなかった。何度も何度も撫でる。最初はぎこちなかった手つきも、回数を重ねる内に手慣れてきた。今では手のひら全体で、頭の丸みを追うように撫でている。
撫で始めてしばらく経った時、オリアナが口を開いた。
「ヴィンセントも、ちゃんとお友達だからね」
至極ゆっくりと、オリアナは言った。拗ねた子どもに言い聞かせるような柔らかな口調だ。だが、むぐぐと口を噛みしめた後、ぎこちなくオリアナが続けた。
「……ちゃんとって言うか、男友達で、一番仲いいと思ってるから。そ、そこんとこよろしく」
照れた早口が、彼女の本心を保証していた。友達という言葉が不服なくせに、彼女の中で一番を貰えているのだと思うと、嬉しくて仕方が無い。
ヴィンセントは顔を上げる。
今は、上手く笑える気がしなかった。
だから歪んだ笑顔で、泣きそうになりながら、一言だけ伝えた。
「――ああ」
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