第129話 朝焼けに雫 - 01 -


「あ、丁度良いところに。ヴィンセント、ミゲル。ピクニックしない?」


 夜の食堂はいつもより賑やかだった。今日は流星群が流れると、占星術のジスレーヌ先生が言ったためだ。

 こういう日は、占星術の特別授業扱いで、夜中まで星の観測が許される。


「いい場所取れたん?」

「そうなの。アズラクとヤナが夕方から取ってくれてて」


 身を乗り出して聞くミゲルに、オリアナは笑顔で言った。

 夕方に早めの夕食を取った後、三人で東棟の屋上にいたのだが、オリアナだけ軽食を取りに戻ってきていた。


「持とう」

「ありがとう、ヴィンセント」


 果物がたっぷり載ったブレヒクーヘンが入ったバスケットをヴィンセントが、茶器の入ったバスケットをミゲルが持ってくれた。


「来る? ならカップ追加してくる。待ってて」

「僕も行こう」

「いってらー」


 ヴィンセントを従えて、オリアナは食堂に戻った。こういう日のために貸し出している、割れない木のカップを二つ追加で貰う。


「オリアナ、カップはあるが湯はどこに?」

「わっすれてた。ありがとう。おばちゃん、ポットも追加でちょうだいー!」


 あいよー、と食堂のおばちゃんが返事をして、紅茶の入ったポットを渡してくれる。火傷しないよう、ローブの裾を挟んで、底を支える。


 ポットとカップを持ってミゲルのもとに戻ると、ミゲルが持っていたバスケットにカップを突っ込んだ。

 そして、三人で並んで、魔法灯に照らされた夜の道を、東棟まで歩く。


「珍しいね。こういうのはザレナが行きそうなのに」

「アズラクには最後まで渋られたんだけどね。私が無理矢理一人で来たの」

「なんで?」

「えー。内緒~!」


 ヤナの恋心を聞いてから、オリアナはなにくれとなく、世話を焼いていた。日中は常に傍にいる二人も、夜ともなればそうはいかない。日頃と違うロマンチックな時間を、二人で過ごせるのではないかと思ったのだ。


「やーだ。オリアナちゃんやらしー顔」

「えっへっへっへ」


 堪えきれない笑みを指摘され、盛大に照れる。ヤナのためにも気を引き締めねばならない。


「いい感じになってるといーね」

「えっ、な、なんのことかなー?」


 オリアナはミゲルとは反対方向を向いて、必死に何も知らない振りをした。




***




 ブランケットに包まり、温かい紅茶の匂いを嗅ぎながら、五人はシートに座っている。シートの上には一応占星術の教科書が広げられていたが、誰も見ている者はいなかった。


「エテ・カリマでは、流れ星はルフの涙と呼ばれているわ」


 竜を神と崇めるアマネセル国とは異なり、エテ・カリマ国は鳥を神聖視している。

 その中でも、強大な力を持つルフと呼ばれる鳥は、エテ・カリマ国に様々な逸話を持つと言う。


「ルフの涙を飲み干した者は、永劫の富が約束される。ルフの涙を受け取った者は、子宝に恵まれる。ルフの涙が落ちる前に願いを祈れた者は、その願い事が叶う」


「面白いね。流れ星に願い事をするんだ」


「子どもの内は、流れ星が流れると、皆外に出て祈っていたわ。残念ながら私は、一度も間に合ったことが無いけれど」


 王女の生活など想像だに出来ないが、市井の子のように、流れ星が流れたからといって、夜に反射的に外に出ることは出来なかっただろう。窓から姿を見せ続けることも、もしかしたら防犯上難しかったのかもしれない。


『――ここでなら、ヤナ様は欲しいものを欲しいと言える』


 子猫とヤナを見ながら言ったアズラクの言葉を思い出した。もしかしたら、ラーゲン魔法学校での自由な生活は、ヤナにとって本当に貴重なものなのかもしれない。


「お願いしたいことがあったの?」

「ええ。ずっと変わらない願いよ」

「じゃあ今日、絶対祈ろう」

「そのつもりよ。見逃さないでね。流れたら、すぐに祈るのよ」

「わかった」


 肩を寄せ合い、くすくすと笑いながらオリアナとヤナが空を見上げる。


「いいね。女子は仲良くて」

「なんだ。ひっつきたいのか?」


 アズラクが口端を上げながら、軽口を叩く。


「何、ザレナ。ひっついてもいいの?」

「好きにすればいい」


 え? ほんと? とミゲルが、アズラクに体を寄せた。二人とも同じくらい長身なため、大きな山がぼこりと出来たように見える。


 ヤナがオリアナに寄りかかった。背中の服をくいっくいと引っ張られる。


「どうしたの」

 耳元で、小声で尋ねると、ヤナが顔を隠しながらオリアナの耳元に唇を寄せた。


「アズラクが、男子と仲良さそうにしているわ」

「そうだね。迷惑そうなら、とめてあげるけど」

「いいの。私が見たいから、このままにしておきましょう」


 ヤナがにこにこと笑って顔を離した。

 オリアナとヤナが前を向くと、ミゲルがアズラクの耳元に手をかざし、小声で話しかけていた。


「ははっ。真似っこ」


 にんまり笑うミゲルの横で、アズラクはしっとりと笑う。


 突然ミゲルに距離を詰められても、アズラクは全く気分を害した様子は無い。それどころかアズラクは、自分が誰かと仲良くしていれば、ヤナが喜ぶことを知っているようだった。


 男二人で何をしているんだと、呆れた視線を向けるヴィンセントにミゲルが気付く。


「あ、ごめんヴィンセント。淋しかった?」


「は?」


「ほらおいで」


 女生徒が聞けば、九割は簡単に手招かれただろう甘い声をミゲルが出す。ヴィンセントは顔を青ざめて、首を横に振った。


「止めてくれ。そんな趣味は無い」

「別に変なことじゃないって。ヤナとオリアナもやってんじゃん。なあ?」

「女子と一緒にするな」

「差別だ」

「黙れ」


「……いいなあ」


 ついぽつりと零してしまったオリアナの本音に、ヴィンセントがぎょっとした。


「……な、何がだ? オリアナ」


 遠慮無く物を言い合うヴィンセントとミゲルに、つい羨望の視線を送ってしまう。


(本当の友達になれた気はしてるけど――私はまだ、「仲良くして貰ってる」感が、拭えないもんな)


 シャロン・ビーゼルと一緒にいるヴィンセントのことも、芋づる式に思い出していた。


(ビーゼルさんにも、ヴィンセントはこんな感じの態度を取ってた。私は、こんな風に接して貰ったこと無いのに)


 思い出せば出すほど、羨ましさが膨らんでいって、オリアナは鼻の上に皺を寄せた。


「私も蔑まれたい」


「――オリアナ??」


 ヴィンセントがあまりにも素っ頓狂な声を出したので、ちょっと楽しくなって笑った。




***




 流星群はまだのようだった。

 ずっとシートの上に座っているのも飽きたため、各々屋上で好きに過ごしていた。時折微かな話し声が風に乗ってやってくる。他の場所でも、観測している生徒がいるようだった。


 森の土が湿気を含んで、夏の匂いを発してくる。むんとした熱気のせいで、肌にシャツがへばりついた。

 首にじっとりとかいた不快な汗に、風が当たるのを感じながら、夏の夜の匂いを嗅ぐ。


 オリアナがカップに新しい紅茶を注ぐためシートに戻ると、傍に立っていたヤナとアズラクの会話が耳に入ってきた。


「アズラク。お前から国も友も奪ったことを、忘れた日は無いわ」


 ドキリとして、オリアナの指先が震える。

 聞いていいのか迷ったが、突然立ち去っても不自然だ。ポットの中の紅茶は既にぬるくなっていたが、音が立たないよう、カップにゆっくりと注ぐ。


「それでも、手は放さないわ。私のために勝ちなさい」


 ヤナの顔は見えなかったが、神妙な声だった。それに対しアズラクは、「紅茶にお砂糖はいくつ?」と問われた時のような、なんてことのない軽やかさで答えた。


「これ以上無い喜びです」


 アズラクの返答に、ヤナがふふふと笑った。


 ふと視線を感じ、オリアナはそちらを見る。屋上の手すりに寄りかかったヴィンセントがこちらをじっと見つめていた。

 オリアナは、ヤナとアズラクの空気を壊してはならないと、小さく首を横に振る。ヴィンセントは、まるで心得たとでも言うかのように薄く笑って頷くと、ヤナ達から視線を外して空を見上げた。


「シンラ兄様も、お前を手放さねばならなかったこと、さぞ悔やんでることでしょうね」

「シンラ様はヤナ様を深く愛しておられますから」

「いいのよ。そういうのは」

「お気の毒に」

「――流れ星に、お前に勝つ男が現れるよう願わなければね」

「負けませんので、ルフの不名誉に繋がるかと」


 カップを触る。カップは全く熱くなかった。

 ぬるい紅茶を持って、オリアナはシートから立ち上がる。


 ヴィンセントの方に行こうかと思ったが、真剣な顔で教科書と空を見比べていたため、方向転換する。

 カップを両手に持ち、ミゲルの横に行った。


「ミーゲル。お願い事決めた?」

「んー」


 珍しく歯切れの悪い返事に、オリアナは一口紅茶を飲むと、カップから口を離した。


「決められないの?」


 首を傾げて尋ねるオリアナに、ミゲルはいつもの顔で笑った。


「願いなんて、叶わないから、願いなんだよ」


 それもそうか、と謎に納得してしまいそうな説得力が、ミゲルにはある。


「いいじゃん。せっかくなんだし。私も何かお願いしたいんだけど、欲張りすぎて決まんないんだよね。ミゲルの願いを教えてよ。私がそれ、お願いするから」


 ミゲルはじっとオリアナを見下ろすと、ふっと息を吐くように笑った。


「――じゃあ、来年の夏も、また皆でピクニックにいけますようにって祈って」


「もーはぐらかされた」


 カップに残っていた紅茶を飲み干すと、オリアナは「でも」と笑う。


「それ気に入ったから、それにする。絶対また来てよ」

「もち」

「来年はハイデマリー達も誘おうか」

「いいね――おっ。流れた」

「えっ、何処?! ヤナ! ヴィンセント! 流れたって!」


 途端に、ばたばたと慌て出す。


 皆一様に、空を見上げていた。




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