第121話 [デート] 恋い慕う相手と会うこと。その約束。 - 08 -


 朝から出かけていて、体はかなり疲れているはずなのに、全くきつくなかった。


「ヴィンセント、こっち」


 オリアナとヴィンセントは長い階段を上り終え、展望台に来ていた。夕焼けの展望台は、恋人で賑わっている。近い距離の男女を見て、先ほど抱き締められた事を思い出してしまったオリアナは、そっと頬を赤らめた。


「ここから学校がよく見えるの」

 オリアナが指さした先には、ラーゲン魔法学校があった。木々に囲まれているため中の様子までは見えないが、学校の敷地が広大であることはよくわかった。


「本当だな。――竜木も、よく見える」

「? ああ、そうだね」


 学校の奥にある森に目を向け、オリアナは頷いた。竜木はどこから見ても大きい。他の木の数倍はあるだろう。


 もの凄く真剣な顔をして、ヴィンセントが竜木を見始めた。


(あ、実験してる時の顔だ)


 ということは、何かを考え始めているのだろう。邪魔をしないように、展望台の手すりに体を乗せ、風景を見ている振りをした。


 しばらく体も動かさずにいると、階段を上った時にかいた汗が、夕方の冷たい風で冷えていくのを感じた。ぶるりと体が震えたオリアナに気付いたのか、ヴィンセントがこちらを見る。


「すまない。考え事をしていた」

「うん」

 知ってたよと頷くと、ヴィンセントはゆっくりと笑った。


「寒かっただろう。下に降りて、どこかでショールでも見繕おう」

「もう帰るだけだし、大丈夫」


 オリアナが手すりから手を離し、展望台から離れる。ヴィンセントは最後にもう一度、夕日が照らす学校の方を見た。


「そうだな。もう、帰らないとな」


 その声が少しだけ淋しそうに聞こえて。


(きっとそれは、私の願望だろうけど)




***




「楽しかったね」


 階段を降り終えると、一仕事終えた感がある。隣に並び、街道を歩きながらオリアナは言った。


「私、今日のこと、死んでも絶対に忘れない」


 言った後に、言い過ぎてしまったと気付く。

 普通、友達同士での買い出しに、そこまでの感慨は抱かない。


 訝しく思っただろうかと、不安になってヴィンセントを見ると、彼は酷く悲しい顔をしてオリアナを見ていた。


 思わず、足を止める。


 心臓をえぐり取られたように苦しい顔をしているヴィンセントの名前を、思わず呼んだ。


「ヴィンセント?」


 ヴィンセントは体を強張らせると、思わずと言ったように呟いた。


「……嘘つきだな」


「……え?」

 戸惑うオリアナに、ヴィンセントは笑顔を貼り付ける。


「なんでも無い。すまない。……行こう」


 全然何でも無くなさそうだ。心配になったオリアナは、ヴィンセントの隣に立ち、そっと盗み見る。


「私、何かやっちゃった?」

「いや、すまない。僕の問題だ。忘れて欲しい。友達だから、出来るだろう?」

「出来、出来る」


 ヴィンセントの期待に応えたくて拳を握りしめて言うと、ヴィンセントは薄く笑った。先ほどの笑顔とは違い、本心からの笑みにホッとする。


「なあオリアナ。今日が終わるな」


「え? うん」


 今日が終わると言うにはまだ早い時間だが、このまま学校に帰れば、確実にデートは終わる。


「どうだった? 敬語抜きの話し方は」

「……案外、悪くありませんでしたね」

「何故この流れで、敬語に戻るんだ」


 ヴィンセントが「くっくっくっ」と噛み殺したような笑い声を上げる。その顔を見たオリアナは、驚いて前に回り込んだ。


「……なんだ?」

「い、今、笑った」


(初めて見た)


 笑顔なら見せてもらったことがある。でもこんな風に、対等な立場で、笑った姿を見たのは初めてな気がした。


「心外だな。いつも笑っているだろう」


 少しムッとしたような言い方は、きっと照れている。こんなことも、いつの間にかわかるようになってしまった。


「待って、もう一回。もう一回笑ってほしい」

「何をそんな……」

「ね。お願い。お願いヴィンセント」


 しつこく食い下がると、ヴィンセントは諦めたように笑顔を浮かべた。違う。そうじゃない。


「どんなのがいいんだ」

「そういうことじゃなくって……」


 自分でも説明するのが難しい。オリアナはなんとかしてヴィンセントを笑わせたいと、自分の髪を掴むと、髪の端を鼻の下に垂らした。


「おひげ」


「……」


 オリアナの渾身のギャグを見たヴィンセントは、呆気にとられた顔をした。流石に恥ずかしくなり、オリアナは髭を解除した。


「ふっ……」


 小さく掠れた笑い声が聞こえる。


「くっ、ははっ……! 恥ずかしくなるぐらいなら、しなければいいのにっ……!」


(笑った)


 ヴィンセントが肩を震わせて笑っている。オリアナは顔をぱぁっと輝かせて、笑うヴィンセントを見た。


(すごい。普段笑わない人の笑った姿って、すごい)


「……可愛い」


「は?」


 目を輝かせて見ていたオリアナを、ヴィンセントが冷ややかな目で見下ろした。一瞬で氷点下だ。店先で売り物のチーズをかじっているネズミだって、こんな目で見られることは無いに違いない。


「……もう遅い。門が閉まる前に帰ろう」


 オリアナが失言をしたせいで、ヴィンセントの笑顔安売りキャンペーンは、瞬く間に終わってしまった。





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