第120話 [デート] 恋い慕う相手と会うこと。その約束。 - 07 -

 その後も、オリアナとヴィンセントは色々と買い食いをした。初めての街遊びを、ヴィンセントも楽しんでくれたようだった。


「そういえば、あの男はもう平気か?」


 一瞬、何を言われたのかわからないほどに、記憶の彼方に飛んでいってしまっていた。ヴィンセントの真剣な表情を見て、父の弟子、リスティドのことだと思い当たる。


「うん。街で待ち伏せされることも無くなったし、家に帰っても、むしろ避けられてる」

「なら良かった」


 ヴィンセントの言葉が、胸にすっと入ってきた。本心からだと、疑うまでもなくわかる。


 オリアナはずっと気になっていたことを尋ねた。


「……どうしてヴィンセントは助けてくれたの?」


「どうして?」


「あの頃、私、ヴィンセントと話したことも無かったのに」


 ヴィンセントなら困っている人みんなを救おうとするのかもしれない。けれど昨日のように、助けを求めてきた下級生を断ることも出来る人だ。

 ヴィンセントが、自分なりの線引きと、優先順位を持っていると知っている。


「オリアナが困っていたからだ」


 ヴィンセントの答えに、オリアナが納得していない表情を浮かべたのに気付いたのだろう。


「嘘じゃない」

「うん」


 嘘だとは思っていない。でも、それだけとも思えなかった。

 何処まで突っ込んで言いのかオリアナが迷っていると、ヴィンセントは気まずげな顔をして、空を見る。


「……ずっと、言わせたかったんだ。『助けて』と」


「え?」


「これも、本当の話」


 ヴィンセントは薄く笑って、話を打ち切った。これ以上は聞いても無駄だろう。


 真意はわからないが、心からの善意だったことはわかった。だからオリアナも、本心をぶつけた。


「ヴィンセント」

「うん?」

「助かったよ。本当に」

「ああ」


 良かった。ともう一度言ったヴィンセントに、オリアナは笑顔を向けた。




***




 当初の目的を思い出し、何件か回って買い物をしていると、見知った顔を人並みに見つけた。


「……あっ、ルシアン――!」


 向こうからクラスメイトが来ていることに気づき、オリアナは慌てた。ヴィンセントを見上げると、彼もルシアンを見つけたようだ。


「……声をかけるか?」

「えっ、いや、えーと……でも多分、騒ぐと思うし、うるさいし」


 騒ぐから何なのだ。うるさいから何なのだ。

 要領を得ない自分の説明は、言い訳にもなっていない。なのにしどろもどろと言うオリアナに、ヴィンセントは頷いた。


「なら隠れよう」

「う、うん」


(……本当に? 隠れてくれるの? やましいことなんて何も無いのに)


 普通、人はやましくなければ隠れない。堂々と挨拶に行けばいいだけだ。だがルシアンは根掘り葉掘り聞こうとするデリカシーの無い人間だし、きっと付いてこようとするだろう。


(ヴィンセントも、ちょっとは今の時間を惜しいって、思ってくれてる?)


 オリアナはヴィンセントの後を追い、路地に入った。路地は細いが開けていて、何も身を隠すような場所が無い。


「でさぁー、そん時こいつが――」

「お前ふざけんなよ」

 ルシアンと、その友達の騒がしい声が耳に届いた。こんな場所に堂々と二人で立っていたら、むしろ見つけてくれと言わんばかりである。


 焦ったオリアナの顔を見たヴィンセントが、険しい顔つきで身をかがめた。


「――オリアナ、ごめん」


 腕を引かれ、抱きしめられる。あまりに驚きすぎて、声をあげることも出来なかった。


 体格差があるせいで、包み込むように抱きしめられている。頭頂部に、ヴィンセントの鼻が当たる。


「ヴィッ――」

「しー」


 吐き出される息だけのような、小さな指示。吐き出したヴィンセントの吐息が髪を抜け、頭皮に染み入る。頭を片手で抱かれ、ヴィンセントの胸に押しつけられている。顔を隠されているのだとわかり、オリアナはすぐに口を閉じた。


 ヴィンセントが抱きしめた時に、ルシアン達のいる大通りには背を向けている。

 普段とは印象の違う服を着ているし、通り過ぎ様の一瞬では、ヴィンセントとは気付かなかったに違いない。ルシアン達の話す声が遠ざかっていく。


 きっと、もうルシアンはいない。見つかることもない。


 なのに、ヴィンセントはオリアナを離さなかった。かわりに、強く抱きしめることも無い。身じろぎ一つせず、オリアナをじっと抱いている。


(シダーウッドと汗のにおいが、する)


 こんなに近付いたのは初めてだった。

 賑やかな街の中で、互いの呼吸の音さえも聞こえるほどに意識している。


 ヴィンセントの胸が上下している。抱きしめられているといっても、拳二個分ほど、オリアナとヴィンセントの間には隙間がある。オリアナが見えるのは、ヴィンセントの胸元だけだった。


 唐突に、触れたいと思った。


 すぐそこにある首に手を回したかった。目の前の胸に飛びつきたかった。ヴィンセントの何もかもに触れたかった。


 大事な宝物のように抱きしめられ、もう何も考えたく無かった。


 オリアナが腕を動そうと、体に力を入れた気配を感じたのか、ヴィンセントがバッと体を引き剥がした。


「っ――もう、大丈夫だろう」

「あ、うん」


 唐突に現実に引き戻され、オリアナは何度も首を上下させた。

 路地からこっそりと大通りを見ると、もうルシアンの気配さえ感じない。


「大丈夫そう」

「良かったな」

「うん」

「本当に」

「その通り」

「ああ」


 会話は見事に上滑りしていたが、二人ともあえて指摘しなかった。




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