第117話 [デート] 恋い慕う相手と会うこと。その約束。 - 04 -


 一方、男子寮。


 ――時は少し遡る。





 朝早く、髪をブラシで梳く。

 いつもより丹念に髪を撫でつけながら、ヴィンセントは窓に映る自分を見た。


(……デートだ)


 厳密にはデートでは無いが、デートである。細部は異なるが、街に出かけようと誘って、OKをもらえた。そして二人きりで出かける。


 完全に、デートである。


「出かけんの?」


 ベッドから寝ぼけ眼のミゲルの声が聞こえた。いつも寝起きは最悪に悪いミゲルが人語を話せていると言うことは、少し前には目覚めていたのだろう。前髪を掻き上げたミゲルは眠気を覚ますため、猫のように顔をふりふりと振っている。


「ああ」


 それ以上に返事のしようが無かった。誰と何処に出かける、なんて言えば、ミゲルはついてこようとするだろう。いつもならそれに何の問題も無いが、今日ばかりは部屋で大人しく顔をふりふりしていてほしい。


「……」

「……」


 意図的な沈黙がヴィンセントの背に刺さる。


「少し遅くなるかもしれないから、食事は好きに取っててくれ」

「……なにその熟年夫婦みたいな会話」


 夫婦という単語を不満に思い振り返ると、いつの間にかベッドから降りてきていたミゲルがヴィンセントの髪に手を突っ込んだ。


「あっ」


「ふーーん」


 ぐしゃぐしゃとヴィンセントの髪を掻き回す。せっかく整えていた髪が、いつもよりも乱雑になった。


「ミゲル、何を」

「その服、何? どこの劇場にでも行こうとしてんの? 昼の演目にしたって、お堅すぎだろ」


 じとっとした目で見られ、ヴィンセントは自分の体を見下ろした。

 堅すぎと言われても、舞踏会シーズンでも無い魔法学校に夜会服を持ってきているわけでは無いので、もちろんヴィンセントにとってはカジュアルな格好だった。


「せめてタイは取ってけよ。ポケットチーフも抜け。ズボンも、素材はいいけど、もうちょい明るい色無いの? 春の中月しがつだぞ」


「ミゲル、せっかくの助言だが――」

「じゃあついてく」

「……わかった」


 苦渋の決断だ。ヴィンセントは渋い顔で、ミゲルの提案を受け入れた。


 あれもこれもとやられている内にすっかり時が経ち、待ち合わせの時間まであと三十分となった。


「ミゲル、もういいな?」

「んーまだー」

「さっきから何度、同じ服を着替えさせるつもりだ」

「ちぇ」


 完全に遊び出していたミゲルを一括すると、ヴィンセントは部屋履きから靴をはき直した。髪が頬にさらりと流れる。結局直す時間が無くなり、いつも以上にボサボサの髪のまま行かねばならなくなった。


(最悪だ)


 せめてもと手ぐしを入れつつドアに向かうと「ヴィンセント」と呼び止められた。


「なんだ?」


 ずぼっ、と、口の中に飴を突っ込まれた。噛み砕いてやろうかと、ミゲルに胡乱な目を向ける。


「んじゃ、俺も飯食いに行こ」


 ヴィンセントより一足先に出たミゲルが、飄々と前を歩く。食堂ならば、オリアナと待ち合わせをしている正門の手前にある。ミゲルがわざわざオリアナを探しにでも行かない限り、オリアナとミゲルが鉢合わせることは無いだろう。


 髪はまとまっても無く、タイは取られ、襟元のフックは外され、ポケットチーフも無く、ズボンはミゲルのもの。初めてのデートだというのに、散々な気持ちだ。


 いつもの武装が無いためか、頼りない気持ちになりながら、ヴィンセントは部屋を出た。




***




 待ち合わせ場所に着くと、オリアナはまだいなかった。正門は街に出かける多くの生徒がウロウロとしている。


(別に、隠れる必要は無いんだが……)


 人目につくと面倒かもしれないと、ヴィンセントは木にもたれかかった。ここなら人の流れはなんとなく追えるし、人の目からは少しだけ隠れることが出来る。


 木陰でのんびりとオリアナを待つ時間が、ひどく贅沢に感じた。

 この瞬間だけは、オリアナを待つことを許されているのは自分だけかと思うと、ヴィンセントの胸がいっぱいになる。


(……甘い)


 口の中にある甘ったるい飴を、捨てる余裕も無かった。人より少し長く生きたところで、オリアナに対してはいつも余裕を無くす。


 不甲斐なさを感じながら、ヴィンセントが人の波を眺めていると、横から突然、にゅっと顔が現れた。


「あ。やっぱりヴィンセントでしたか」


 ミルクティーのような甘い髪色をしたオリアナが、木の裏からヴィンセントを覗き込んでいたのだ。


 覚悟も無く声をかけられ、ヴィンセントは心臓が飛び出そうだった。その上、今日のオリアナは酷く可愛かった。私服な上、髪の毛もいつもよりくるくるとしている。何をどう褒めればいいのかわからないが、とにかく可愛いと思った。


「あそこに格好いい人がいるってみんながざわついてたんですけど、いつもと雰囲気が違うから、ヴィンセントだってわからなかっ――」


 オリアナの可愛さに呆気にとられたままだったヴィンセントに早口で話しかけていたオリアナが、ふと言葉を止めた。彼女の視線が自分の口元に注がれていることに気づき、ヴィンセントはハッとした。


 オリアナも、揃いの飴を舐めている。


「……」

「……」


(――これは、二人で出かけることに気付いていたな)


 食堂に行くと言っていたミゲルは、今日ヴィンセントが出かける相手がオリアナと悟り、わざわざ女子寮の方へ向かったのだろう。


(……なんだこれは。もの凄く、恥ずかしい)


 揃いの飴を舐めながら、ヴィンセントとオリアナは、少しの間木陰で俯いていた。

 



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