第112話 それはいわゆる、両片思い - 08 -
「ヴィンセントは夏休み、何をしていましたか?」
「君も知っているだろう? 君に会うために、あちこちのオペラ劇場に通っていた」
「それで、目論見通り会えたというわけですね」
「ああ、三秒だけな」
オリアナが笑えば、ヴィンセントも笑った。
「お目にかかれるとは思っていませんでした」
「王都中の劇場を回った甲斐があったよ」
「まだ言うんですか」
「真実だからな」
「ご足労おかけしました。誕生日まで祝っていただいて、嬉しかったです」
思いがけず出会えたオペラ劇場での、ヴィンセントを思い出す。あんなに格好いい正装を、恋を自覚した今見てしまったら、オリアナは思わず叫んでしまうかもしれない。
「人の目さえ無ければ、もう少し話したかったんだが」
「そういえば、父とも知り合いだったんですね」
親しげな会話を、どこか人目を避けるようにひっそりと行っていたヴィンセントと父を思い出す。
「ああ――幼い頃、世話になったことがあって。情けない昔話だったから、誰にも言ってなかったんだ」
「なら情けない話を思い出さなくていいように、ヴィンセントと父が知り合いということは、内緒にしておきますね」
「そうしてくれると助かる」
優しく微笑まれ、オリアナは五秒数える間に、ゆっくりと俯いた。こんな顔、直視できるはずもない。
「公爵も気さくな方で」
「今後、もし父がちょっかいをかけてきたらすぐに母を呼ぶといい。あの人は、母の前では何も出来ない」
「私に公爵夫人を呼びつけろと? 無理です」
「頑張るんだ。友達だろう?」
(友達なら、ヴィンセントが助けに来てよ)
冗談交じりに言おうとして、止めた。
ヴィンセントの隣にいた女子を思い出したからだ。
(……ああいう場ではきっと、ヴィンセントはシャロン・ビーゼルをエスコートしてるから、私なんかにかまけてられない)
美しい人だった。それに、身分も釣り合う。
これまで、出自も、父の身分も全く気にしたことが無かったのに、今初めて、オリアナはシャロンの生まれを羨ましいと思った。
オペラでのことも、先日の親しげな様子についても、シャロンに関することは何も尋ねることが出来なかった。
聞きたい衝動を必死に堪える。どこまでが世間話で、どこからが嫉妬と捉えられるのかがわからない。それに、ヴィンセントから彼女の情報を何も聞きたく無かった。
(上手く、”お友達”が出来ない)
望まれている立場でいたいのに。立場にしがみつけばしがみつくほど、ぼろが出る気がする。
窓に額を当てる。自分の顔が映った。化粧もばっちり直してきたのに、冴えない表情をしている。好きな男の隣にいる顔じゃない。
(だって、仕方無いじゃん。――好きになっちゃ、駄目なんだから)
このぐらいで、丁度いい。そう思って吐いたため息は、窓を曇らせた。曇った部分に、オリアナが指を当てる。
ずい、と顔を寄せられた。
オリアナの顔の横にやってきた顔は、ヴィンセントだった。オリアナが何を書くのか気になったのかもしれない。
(……え? 近くない? いや近い。絶対近い)
これまでも、こんな距離を自分は許していたのだろうか。許していたかもしれない。貴族はエスコートに慣れているため、距離感が近いんだろうなぐらいで、流していた気がする。
(……無理。今までどうやって接してたか、わからんなくなった)
混乱が極まり、オリアナは眉根を寄せて、唇をむぐぐと噛んだ。
窓に当てたままの指が一向に動かないことを不思議に思ったのか、ヴィンセントがオリアナを見る。
「……オリアナ?」
「オリアナ」
ヴィンセントと、ヤナの声が被った。
竜神の助けとばかりに、オリアナはばっと後ろを向いた。談話室から、ヤナとアズラクが出てくるところだった。
「今日はもう帰ろうと思って」
「わかった。私も帰る」
ヴィンセントに触れないよう、細心の注意を払いながら窓際から離れると、オリアナは袋を抱いてぺこりと頭を下げた。
「それじゃあ。お菓子、ありがとうございました」
「――ああ」
ヴィンセントの顔も見ずに、オリアナはヤナのもとに駆けつける。
ヤナの隣に行くと、ヤナは自然に歩き出した。ヤナとオリアナの後ろに、アズラクが続く。
アズラクの大きな背中が、ヴィンセントの視線を遮ってくれているかのようで、オリアナはほっと体の力を抜いた。
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