第100話 冬に始まる恋のオペラ - 02 -

 アマネセル国の王都の夜は明るい。


 主要な道には等間隔に街灯が並ぶ。魔法学校が国に二つもあるおかげで、魔法使いに困らないアマネセル国ならではの、贅沢だ。この夜を見に、国外からの観光客も王都を多く訪れていた。


 そんな王都の一角に、一際賑やかなオペラ劇場があった。

 劇場のポーチには次々と馬車が入り、乗客を降ろして去って行く。劇場の前の通りは、道の際に待機中の馬車がずらりと連なっていた。


 闇夜の中でも煌々と輝く劇場のロビーは、様々な衣装に身を包んだ紳士淑女がひしめき合っていた。右を見ても左を見ても人で埋め尽くされたこの群衆の中で、知り合いを見つけるのは至難の業だ。


 誕生日の夜にオペラ劇場に訪れたオリアナも、早々に知り合いを探すのは諦めた。クラスメイトを誰か一人くらい見つけられるかと思ったが、無理そうである。


 縦に小柄で横に大柄な父の腕に軽く触れ、絨毯が敷かれた階段を一歩ずつ上る。

 階段の上には大きなシャンデリアが吊されている。魔法の光を反射したクリスタルが、オペラ劇場のロビーを照らした。


 十六歳になる特別な夜のため、高いヒールを履いてきたオリアナだったが、バランス一つ崩す事無く階段を登り切る。


「やぁ、エルシャ。素敵な恋人を連れているね。紹介してもらえるかい?」


 桟敷席へ向かおうとした父を呼び止めた人物を見て、オリアナは目が飛び出るかと思った。


「これはこれは、紫竜公」


 父の呼んだ名を聞いて、ごくりと生唾が喉を下った。


 金色の髪を一分の隙も無く撫でつけ、艶のある笑みを浮かべている。息子そっくりの紫色の瞳は、深い思慮と威厳を感じられた。近付いてくる男性――ヴィンセントの父親である現紫竜公爵が足を一歩踏み出しただけで、オリアナは足を半歩下げ、腰を折って礼をした。


「実は恋人では無く、家族でしてね」

「おや。再婚の知らせは届いていないが?」

「紹介させてください。自慢の娘です。オリアナ」

「はい」


 声が完全に上ずった。しずしずと顔を上げると、紫竜公爵が甘いマスクでこちらを見つめていた。ヴィンセントがそのまま年を取ったかのように、二人はそっくりだ。けれど、漏れ出る色気と貫禄が違う。


(やばい。イケオジ)


 友達の父親にドギマギしてどうする。オリアナは火照る頬を意識しないよう、にこりと微笑んだ。


「初めまして。オリアナと申します。お目にかかれて光栄です」

「今日は娘の誕生祝いに、一緒にオペラでもと思いまして」

「おや。おめでとうオリアナ。そんな特別な夜に出会えるなんて、運命だとは思わないか?」


 紫竜公爵が小さく顎を動かす。何を求めているのか悟ったオリアナは、今度こそ首まで赤くして、そっと右手を差し出した。


 手袋の上から、紫竜公爵が指先に口づける。こんな廃れきった古い挨拶を、これほど格好良く行う人間が他にいるだろうか。いやいない。


(ひ、ひええ……! 無理ぃ。格好いいぃ……!)


 まだ四十そこそこの紫竜公爵は、年若いオリアナが顔を真っ赤にしてのぼせ上がっているのを見て、にこにこと微笑んでいる。


(ヴィンセントと同じ声で、ヴィンセントと同じ瞳だ)


 目眩がしそうなほど顔を赤くしながら、オリアナは必死に声を紡いだ。


「ありがとうございます、閣下。今日一番のプレゼントです」


 もう張る意地さえ見当たらなかった。声はか細く、完全に震えている。指先を軽く握られたままのオリアナは、離してくださいと言うことすらままならず、じっと堪えることしか出来ない。


「父上、そろそろ――……」


「ヴィ、ンセント」


 天の助けを得たかと思った。つま先まで緊張に支配されていたオリアナは、人混みの中から紫竜公爵を連れ戻しに現れた学友を見て、ほっと息を吐き出した。ヴィンセントならオリアナの窮地を救ってくれると信じているからだ。


「なんだ。知り合いか?」

 公爵が眉を上げて息子を見る。


「魔法学校の同輩です。君も来ていたんだな」

「はい」


 なんとか返事をしたが、声が少し掠れてしまった。あれほど熱かった顔が、すっと冷めていく。


(同輩――? 友達、って言ってくれなかった。……公爵には内緒にしたいのかな……。あー、私の馬鹿。ヴィンセント、って呼んじゃった)


 学校と、学校の外は違う。わかっていたはずなのに、思わぬところで衝撃を受けてしまった。


 オリアナがまごついている間に、ヴィンセントがオリアナの父に挨拶を済ませる。そして、紫竜公爵が掴んだままのオリアナの手をちらりと見た。


「母上が呼んでいましたよ。シャロンも待っています」


「そうか。もう少し祝ってあげたかったが、すまないね。妻は怒らせたくないんだ。またね、オリアナ」


 ようやく指先を手放してもらえたオリアナは安堵し、心からの笑みを浮かべる。


「お気持ちだけ……お話しできて、とても嬉しかったです」

「健気なことだ。今度遊びに来なさい。今日の続きをしよう」


 また手を取られそうだったオリアナはあたふたとしたが、間にヴィンセントが入ってくれて事なきを得た。


「父上、時間が」

「怒らせると怖いのは、息子もなんだ。では、またな」

「はい」


 そそくさと立ち去る姿は、颯爽としていて、今まさに息子に叱られた人物と同一人物とは到底思えなかった。


 ヴィンセントは紫竜公爵が人混みの中に消えたのを確認すると、ゆっくりとこちらを向いた。


 ただし視線はオリアナでは無く、横にいる父へと注がれている。


「お久しぶりです。エルシャ殿」

「大きゅうなられましたな」

「はい。あの頃ほど、やんちゃでも無くなりました」

「それはどうでしょうな」


 父が人のいい笑みを浮かべ、オリアナを見た。オリアナは突然話の矛先を向けられた気がして、困惑する。紫竜公爵にも、ヴィンセントの登場にもついていけていない。

 ヴィンセントが苦笑した。


「確かに。まだやんちゃばかりのようです。――直に開演ですね。それでは、また」

「ええ、また」


 父に軽い会釈をしたヴィンセントは、オリアナを見た。


 何かを言いたそうな視線だった。何を意味するのかわからなかったが、オリアナもじっと見返した。


 オリアナの空色の瞳を見て、ヴィンセントはふっと息を吐くように笑う。


「オリアナ、おめでとう。今日がよい日になるように」

「? ――あっ……ありがとう」


(知っていたんだ。今日が誕生日だって)


 いや、先ほどの公爵の発言で気付いたのだろう。咄嗟に、何の話題かわからない程度に、ヴィンセントから祝われるとは思っていなかった。


 ヴィンセントは口角を上げ、手のひらを見せる。

 手を振られたのだとわかり、オリアナも小さく振り返した。


(学校とは距離感が違う。でも……さっきの視線はきっと”お友達”を求められてた)


 彼に拒絶されたわけでは無いことが、なんとなくわかった。オリアナとの会話を避けたのは、なにか理由があるんだろう。だから友人として、彼に友情を返してやりたかった。


 オリアナが微かに振る手を見て、ヴィンセントは満足げな顔をする。シャンデリアの明かりを受けた空色のネクタイピンが、キラリと輝いた。


「じゃあ」

 コートの裾を翻して、ヴィンセントは紫竜公爵の後を追った。


 がやがやと人の会話が途絶えぬオペラ座のロビーで、オリアナはヴィンセントの後ろ姿が見えなくなるまで見送った。



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