第99話 冬に始まる恋のオペラ - 01 -


 長期休暇がこれほど長く感じたのは、初めてのことだ。


 自宅のソファで、母と姉らに囲まれながら、ヴィンセントは悶々としていた。姉が淹れる紅茶は絶品のはずなのに、全く味がわからない。


(オリアナに会いたい)


 領地を巡っていても、屋敷にいても、舞踏会に招待されても、そればかりを考えていた。


 三年生も終わり、ヴィンセントらは長期休みに入った。

 毎年、長期休みの間はずっと領地で過ごす。領地の視察や、近隣貴族との交流も欠かすことは出来ない。


 しかし今年は、半分の期間で王都に帰るという父について、王都に帰ってきていた。

 領地にいては百パーセント会えないオリアナにも、王都にいれば一パーセントくらいの確率で、会えるかもしれない。


(我ながら、女々しい)


 長期休暇も残り三分の一に差し掛かったというのに、残念ながらヴィンセントの悪巧みは今のところ上手く行っていない。読んだ本の数だけが増えていった。


「ヴィンセント。あと二時間もしたら出ますからね。用意しておきなさい」


 お茶の時間の間中、気もそぞろだったヴィンセントに、母が午後の予定を伝える。

 家族で過ごすお茶の時間を何よりも大事にしている母の機嫌を損ねてしまっていた。慌てて手を差し出すと、母は澄ました表情でヴィンセントの手を取り、立ち上がる。


 気付けば、姉達はサロン部屋からいなくなっていた。今頃衣装部屋で、今日のオペラに着ていくドレスをあれやこれやと選んでいるのだろう。もうすぐ、姉達のそれぞれのパートナーが迎えに来る時刻だ。


「支度部屋までお連れしましょう」

「お前の準備の話をしていたのよ」

「僕は男ですから。すぐに済みますよ」


 母はヴィンセントをちらりと見たが、それ以上は何も言わなかった。母の望み通りに恭しく手を引き、いい息子の笑顔を浮かべ、支度部屋まで送り届ける。


 自室に戻ろうとするヴィンセントに、執事のマルセルが近付いてきた。


「花束を手配してきました」

「ああ、ありがとう」


 ヴィンセントは毎年、オリアナの誕生日に匿名で花束を贈っている。

 山のようにもらう誕生日プレゼントの片隅に、名無しの花束が届いても、誰も気にするはずも無い。


 最初は、自分にも記憶があるということを、こっそりとオリアナに伝えるためだった。


 毎年ヴィンセントは、家の周りをぐるりと散策し、手ずから花束を作っていた。その後はマルセルに頼み、足が着かないようにエルシャ邸に送り届けてもらう。


 森や道に咲く、自然の野の花を使った素朴な花束は、鮮やかな色合いも、派手な華美さも無い、落ち着いた――質素とも言える出来映えだ。


 誕生日の花束には、全く似つかわしく無い。


 だからこそ、誰が贈ったのか、オリアナはわかってくれると思っていた。


(まさか、記憶が無いとは思っていなかったからな)


 もし二巡目の記憶があったなら、オリアナはすぐに気付いてくれただろう。


 ――舞踏会に誘う時にヴィンセントが即席で作った花束と同じだと。


「それと、本日の催しについて、お耳に入れておきたいことが」

「なんだ? 劇場主催者の好きな花でも挿して行けと?」


 どこかでオリアナに会えるかもしれないと、催しには積極的に参加していたヴィンセントだったが、連日連夜の外出にいい加減に疲れ始めていた。

 嫌みな言い方をしたヴィンセントに、マルセルが慇懃な笑顔を向ける。


「桟敷席に、エルシャ家の名で予約が入っていると」


 ヴィンセントの足がピタリと止まる。


「お噂では、女性用の甘い飲み物も用意させたとか」


 オリアナに母はいない。エルシャ殿が愛人か後妻候補を連れてくる可能性もある。

 しかし、可愛い一人娘誕生日に、一緒にオペラを楽しもうとしていても、おかしくない。


 高鳴る胸のときめきを抑え、ヴィンセントはじっとりとした目をマルセルに向けた。


「……まだその名前を覚えていたのか」

「もちろん、書状も燃やしていませんよ。ヴィンセント様が、一位を取り続けていらっしゃるので」

「くそっ……」


 ヴィンセントが顔を歪めてマルセルを見るが、痛くもかゆくも無いようだった。むしろ、楽しんでいるような表情を浮かべているマルセルに、ヴィンセントは吐き捨てるように言った。


「……空色の、タイピンを出しておいてくれ」


「かしこまりました」




***




「わ~……今年も壮観」

「本当に、毎年のことですが凄いですねぇ」


 誕生日の朝。オリアナは、パジャマの上にカーディガンを羽織った姿で、年老いたメイド頭と共にそれを見上げていた。


 玄関フロアにうずたかく積まれているのは、新進気鋭の商人エルシャの一人娘、オリアナ・エルシャへの誕生日プレゼントだ。正直な話、このプレゼントの山の中に、オリアナが嬉しいものは一つも無い。


 父の知り合いによって、競うように大きく高価な品が贈られてくるが、誰も彼も、別にオリアナを喜ばそうと贈ってきているわけではない。


「じゃあご飯食べてくる~」

「今日は厨房も、朝から張り切っておりましたよ」

「わかった。お礼言っとく」


「あ、お嬢様。目録とカードにだけは、目を通しておいてくださいね」

「はあーい」


 生まれた頃から面倒を見てくれているメイド頭は、オリアナにとってもう一人の母のような存在だ。忠告を素直に聞いて、オリアナは手を上げた。


 何処で誰と出くわしても粗相が無いように、誕生日プレゼントの目録は毎年目を通していた。

 目録を見ると、想像も出来ないよくわからない品名と、父の知り合いの名前ばかりが連なっている。


 こっそりと、リスティドの名前も確認する。贈ってきた品は、父の弟子であれば妥当なものだろう。ほっとして胸を撫で下ろす。長期休暇になったら、毎日押しかけられるのではないかとビクビクしていたが、それも杞憂に済んでいる。彼とはあれから、一度も会っていない。


 なんとなく眺めていた一覧の、最後に書かれている品名を見た瞬間、オリアナはパッと顔を輝かせた。


「あ、花束! 今年も届いてる!」


 差出人不明の花束が届きだしたのは、十年ほど前からだ。


 毎年贈られてくる、素朴な野の花でまとめられた花束が、オリアナはいつからか楽しみになっていた。これだけ沢山のプレゼントの中で、ただ一つ、あの花束だけがオリアナのために贈られてきているのだと、感じることが出来たからだ。


「ええ。お嬢様が喜ぶと思って、もう水揚げをしていますよ」


「あとで私の部屋に運んで!」


「承知致しました。――けれど、誰なんでしょうねぇ。オリアナ様の謎の崇拝者は」


 カードをまとめた束の中から、花束に刺さっていたカードを抜き出したオリアナは、「お誕生日おめでとう」という定型文を見て頬を緩めた。


「誰だっていいよ。――けど誰かわかったら、十年分のお礼を言いたいな」




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