第98話 君と僕と―― - 09 -
木登りお見舞い作戦は、当然のごとく決行されなかった。
過労で熱を出してしまったヴィンセントは、医務室預かりとなったからだ。
日頃、万全の体調管理をしていたヴィンセントの不調に学校中がざわめいた。それほどに、ヴィンセント・タンザインはラーゲン魔法学校で完璧な人間だと、誰からも思われている。
ヴィンセントが授業に出たという噂をオリアナが聞いたのは、彼が倒れた翌々日のことだった。噂を耳に入れたのは、午後の授業が始まった後だ。おかげさまで午後の授業中、オリアナはずっと気もそぞろだった。
ヴィンセントが心配だったオリアナは、授業が終わると大急ぎで廊下を歩き、こっそりと特待クラスの教室を覗いた。
授業が終わった後の教室で、ヴィンセントは帰り支度をしている。隣にはミゲルと、オリアナが見たことのない女生徒がいた。
(あっ……ちゃんと私以外の女の子とも、話すんだ)
ほんのりとショックを受けた自分の思想に、オリアナは愕然とする。気が済むまでこの頬をビンタしてやりたかった。
(だからっ! あれほど、ヴィンセントを見下さないって決めてたのにっ――!)
完全に、ヴィンセントをぼっち扱いしてしまった己を心の中で叱咤する。
(いやでも、最初にヴィンセントが、友達はミゲルしかいないって言ってたから……そう、だからいると思っていなかっただけで……じゃあ私、別にビンタほどでは無くない?)
ヴィンセントの隣にいる、眩いほどの金髪の女生徒を見た。美しい子だった。目鼻立ちが整っていて、凜とした空気がある。所作も美しく、一つ一つの動きに気品を感じた。きっと、貴族だろう。
(わー。似合うー)
伯爵家嫡男と、公爵家嫡男、そして麗しの貴族令嬢。三人の姿は非常に絵になった。長年培ったような、自然な雰囲気も流れている。
なんとなく見ていられずに、オリアナはドアの向こうに隠れた。
(……あれ。もしかして、全部、社交辞令だった?)
ヴィンセントが「友達になりたい」と言ったのは、変に疑い深いオリアナを納得させるためで、ミゲルが「三人でいるのが好き」と言ったのも、たいした意味など無かったのかもしれない。
オリアナは一瞬そんな不安を感じたが、「いやいやいや」と自分の極論を蹴り飛ばした。
(そんなわけない。四ヶ月、私なりに接してきて……彼らは本当に、友人になろうとしてくれたのを、感じてる)
「三人でいるのが好き」だとオリアナも伝えた後に見せた、ミゲルの笑顔を思い出す度に、密かに罪悪感が募るほどだ。
きっと、あの笑顔に見合うほどの「好き」は、返せていなかったと、申し訳なさを感じていた。
それにヴィンセントは、好きな人の話まで教えてくれた。
(あの彼らとの時間を、全て嘘だなんて、軽んじたくない)
うん、よし。と後ろを向き始めていた自分に気合いを入れていると、開いていた扉から生徒が出て来た。
「オリアナ?」
頭上から声が聞こえ、驚いて顔を上げる。今まさに扉から出てこようとしていたヴィンセントと目が合った。
「おお、どったん? 珍しいなこっちまで」
ヴィンセントの横から、ミゲルがひょいと顔を出す。
あの女生徒は、一緒に出てくる気配はない。ホッとしてしまった自分が情けなくなる。
彼らに他の女友達がいたからと、勝手に裏切られた気持ちになってるなんて、とんだ悲劇のヒロインだ。
「元気になってよかったですね。ちょっと心配だったので、見に来てしまいました」
「そんなことで、わざわざ顔を出してくれたのか? ありがとう」
――そんなこと。わざわざ。
迷惑だったろうか。やりすぎたろうか。
これまでだったら気にもならなかった単語が、次々と気になる。
意識しすぎだ。なんの非難も含まれていないはずなのに、なんだか自分が急に恥ずかしいことをしている気分になって落ち着かない。
「友達ですから。普通ですよ」
第二クラスでは普通なことだと、ことさら強調して言った。オリアナが特別にヴィンセントを心配して、いてもたってもいられなかったのだと知られるのは、なんだか凄く恥ずかしかった。
「すまないオリアナ、少しいいか?」
ヴィンセントに頷くと、ミゲルがオリアナらに軽く手をあげた。ヴィンセントがオリアナを廊下の端に呼び寄せる。
人の流れから離れた場所で二人きりになると、ヴィンセントが声を落として話しかける。
「この間はすまなかった。君に、その……抱きついたと聞いて――」
「ああ、そんなこと」
病気だったのだから何も気にすることは無いと、オリアナは首を横に振る。
「そんなことって……」
「大丈夫ですよ。それよりも、支えられなくてすみません」
その前の口内観察のことは覚えているのだろうか。あれは心底恥ずかしかったため、忘れてくれているのなら、それが一番いい。
「君が謝ることは何一つ無い。変な意図があったわけではないことを、伝えておきたくて」
「あ、はい」
「他意は無かった。気にしないでもらいたい」
「はい」
(そんなこと、わかってる)
気を失うほどだったのだ。色々と限界だったのだろう。そんなこと、オリアナが一番近くで見ていたのだから、誰よりもわかっている。
(そんなに、念押ししなきゃいけない? そんな牽制しなくっても、ちょっと口の中見られて、抱きつかれたぐらいで、好きになんてならないよ)
それに、とオリアナは、この間ヴィンセントの好きな人の話を聞いた時のことを思い出していた。
『彼女に出会って、きっと始めて、自分から行動した。定められていない、無意味なことも沢山した。僕は、そういう僕が、嫌いじゃなかった。足りないところだらけだったのだと、埋められて、気付く。彼女だけが、僕を埋める』
こんなに好きな相手がいる男を、好きになるほど馬鹿じゃない。
――けれど。
『本当に、お好きなんですね』
『ああ』
ああ、と言う声が優しくて、ヴィンセントの笑顔が見たことが無いほど甘くて、ヴィンセントをこんな風にさせる人を、羨ましいと思ってしまった。
(そんな風に求められるのってどんな気持ちなんだろう、って……それが私ならいいのにな、って)
こんなに特別な人を作らなそうなヴィンセントが言ったから、きっと気になっただけだ。そうに違いない。それ以外に、何がある。
ふと顔を教室の方に向けると、先ほどヴィンセントの隣にいた女生徒が、こちらを見ていた。オリアナが見たことに気付くと、にこりと微笑み、そのまま立ち去る。
心臓がぎゅっとなった気がして、オリアナは咄嗟に笑顔を浮かべた。
「友達ですもん! そんなこともありますよ」
「そうか。友達だから」
「はい。友達ですから!」
(だから、熱が出たら支えるし、魔法道具の発明のお手伝いだってする)
――友達だから。
オリアナはもう一度心の中で呟いた。
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