第84話 建前だらけの口説き文句 - 05 -


「この間、声をかけたら逃げただろう?」


(あっ、気付いてたんだ。いやそうですよね。はい。ごめんなさい)


 オリアナの表情を見て焦っていることを察したのか、ヴィンセントが苦笑する。


「具体的に君が困っている点を言ってくれれば、改善する」


 それは、これからも話しかけてくるということだろうか。ヴィンセントが、自分とどういう関係性を望んでいるのかわからず、オリアナは戸惑う。


(具体的に困っていることがあれば、改善する?)


 ――あの、ヴィンセント・タンザインが?


 ヴィンセントは、完璧な人物だ。


 多くを知っているわけではないが、漏れ聞こえる噂からは、彼には欠けている部分も、また、改善しなければならないような部分も無いように思える。


(それを……わざわざ? 私のために、自分を変えるって、こと?)


 オリアナは頭の上にはてなマークを大量生産した。


(なんで????)


 単純で明快な気持ちだった。


 なんで??


 その一言に尽きる。


 ヴィンセントにそんな言葉を言わせるほど親しくなったとは、まるっきり思えなかったからだ。


「話しかけることは、嫌か?」


「えええ? いや、嫌ってわけじゃ……」


 わけじゃないなら何だと言うんだ。オリアナは自分に突っ込んだ。


「なら、話しかけてもいい?」


「う、うーん。う~~ん……」


 ほぼ初対面で、こんなに核心に触れたがるキャラだとは思わなかった。オリアナは困惑してうんうん唸る。


(なんでこんなにぐいぐい来られてるんだろう……? 私に興味があるとか? いや、まさかなぁ)


 オリアナは口をむぎゅっと噛みしめて目を瞑り、眉根を寄せた。


(なにか、裏がある? 私と……エルシャ家と親しくなって、彼が得られる物はなんだ?)


 オリアナは脳内で相談会を開くことにした。これまでオリアナは、思考の一パーセントでさえ、ヴィンセント・タンザインに割いたことが無かった。


(パパのお金目当ての人って近付いてきた時なんとなくわかるし、そういう人とも上手く付き合ってるつもりだけど、彼は多分そうじゃない。そもそも、公爵家が財政的にやばいなんて話も聞かないし――いや、私なんかに届くほど噂が広まってればもう末期か……)


 正直なことを言えば、オリアナは社交界にもヴィンセント自身に興味が無かった。


 ヴィンセントは格好いいし頭もいいし身分もある人であるが故に、あまりにも自分と違いすぎて、同じ世界で息をしようとは思えないのだ。


 リスティドの件で頼った分の礼は、向こうに提示された条件で返せたはずだ。

 名前を呼ぶなんていうあまりにも軽い条件にしたのは、オリアナに今後も干渉されたく無いからだろうとさえ思っていた。


 それほどに、平民で第二クラスのオリアナ・エルシャと、アマネセル国八大貴族の嫡男でいて首位をとり続けるヴィンセント・タンザインでは、住む世界が違う。


(タニシが熱帯魚と一緒に泳ごうとは思わないじゃん? いやタニシも水槽の掃除してくれるし、それはそれで可愛いけど)


 実家にある、大きな水槽を思い出していた。魔法で完璧に管理された水槽は、最近金持ちの道楽として人気になり始めている。

 水の中では、彩鮮やかな熱帯魚が自由に泳ぎ回っている。その片隅に、ぽつんと存在していたのが、タニシだ。


 物思いに耽っていたオリアナがヴィンセントを見ると、彼はじっとこちらを見ていた。急かすことなく、返事を待っているのだ。自分のことばかり考えていたことが、恥ずかしくなってくる。


「んんん……なんだか、申し訳無い」


 こんな風にしてもらう、義理も無いのに。

 とことん紳士だ。待たせているのなら待たせているだけ、早く返事をしなければと気が急く。

 けれども、ヴィンセントを疑ってばかりの自分に、正しい答えが出せるわけもない。


(わかった。これ、一人で考えてても無理なやつだ)


 オリアナは覚悟を決めると、ヴィンセントを見つめた。


「ごめんなさい。あんまり整理出来てないんですけど、こちらからも質問してもいいですか?」

「もちろん、大歓迎だ」

「ヴィ、ンセントは……私とどうなりたいと思ってるんですか? 何故、これからも私に話しかける必要が?」


 率直すぎたのか、ヴィンセントは虚を突かれたような顔をして、一呼吸する。


「――せっかく知り合えたのだから、親しくなれれば、と思っている」

「ウザがらみして申し訳無いんですけど、もう少し付き合ってください。何故、私と? 見合う何かを差し出せる気がしません」


 断じてメンヘラじゃない。かまってちゃんでも無いと思いたい。否定を否定してもらいたいわけじゃないのだ。


(彼の思惑がわからなくて――漠然と、怖い)


 オリアナは、この品行方正が服を歩いているような、ヴィンセント・タンザインが、何故か怖くて仕方が無い。そばにいると、体がぞわぞわとして、少し落ち着かない。


 ヴィンセントはしばらく口を閉ざした。随分と真剣に、何かを考えていたヴィンセントは、ゆっくりと、静かな口調で言った。


「損得の開示が必要なら、少し待っていて欲しい。熟考の上、一覧にして渡そう」


「……へ?」


 ヴィンセントは質問をはぐらかすことも、オリアナの言葉を否定することもなく、実直に答えた。


 きっと、オリアナの質問に対して、オリアナが納得できる最高点の答えだ。

 けれど、まさかそんな率直に、損得を勘定すると言い出す人間がいると思っていなかったオリアナは、驚きに固まる。


 人付き合いにおいて、損得は隠しておきたいと考えるのが当然だ。それを、一覧にして、つぶさに相手に開示するという発想に、心底驚いた。


「僕にも君にも得があることを証明できれば、友人になってもらえるだろうか?」


 ヴィンセントの言葉を何度か脳内で再生し、なんとか意味を理解したオリアナは、ぱちぱちと瞬きをした。


「……友達が、欲しかったって、ことですか?」


「――まあ、そうだな。君と親しくなりたかった。君には友人が多いだろう? 僕はあまり、友達付き合いが上手くない。胸を張って友人と言えるのは、ミゲルぐらいなものだ。もし君が友人になってくれたら嬉し――」


「な、なんだぁ……」


 ほっとしすぎて、オリアナは体の力が抜けてしまった。よろめくオリアナに手を伸ばし、慌ててヴィンセントが腰を支えた。


「ごめんなさい。びっくりしちゃって。そうだったんですね。私ったら……ありがとう」


 支えてくれた礼を言って体を離した。オリアナの心は信じられないほど晴れ晴れとしていた。


(そっか。確かに、彼の友達って言われても……フェルベイラさんぐらいしか思い浮かばないかも。なんだそっか。完璧に見えるヴィンセント・タンザインも、友達が欲しかったのか……)


 難しく考えすぎていた自分が恥ずかしかった。貴族だから、秀才だから、人気者だから、自分と親しくなろうと思うなんて、裏があるんじゃ無いだろうかと思っていた。


(そっか、この人も、私と一緒で……ただの十五歳の男の子なんだ。あ、いや、十六歳か?)


 気負いを無くしたオリアナは、リラックスした表情でヴィンセントに尋ねた。


「誕生日っていつですか?」

「……は? 春の終月ごがつだが」

「じゃあ十五歳ですね」

「……誕生日が、友人になるのに必要なのか?」

「いいえ。ただ、貴方も私と一緒で――ただの十五歳の男の子なんだなって思って」


 笑って言ったオリアナを見て、ヴィンセントは一瞬、顔に浮かべていた表情を消した。しかしオリアナはそのことに気付かず、深々と頭を下げる。


「ごめんなさい。ごちゃごちゃと、変なこと考えすぎてました。私なんかで良ければ……是非、お友達になりましょう」


「君と――」


 ヴィンセントは一旦言葉を止めると、真剣な表情で、何かを誓うかのように、強い言葉で言った。


「君のような友人を持てることを、誇りに思う。君に恥じない自分になろうと、一層強く思ったよ。ありがとう」


 差し出された手を、オリアナは半ば唖然としながら握った。そして、硬い表情をするヴィンセントを和ませるために、へにゃっと笑う。


「これから友達になるのに、ちょっと仰々しすぎませんか? よろしく、だけでもいいと思いますけど」


「そうか、すまない。……よろしく」


「よろしくお願いしますね。ヴィンセント」


 繋いだ手が一瞬ピクリと揺れた後、ぎゅっと強く握りしめられた。オリアナも、友情を返すために、一度ぎゅっと強く握り返した。




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