第85話 ありふれた友情 - 01 -


 ラーゲン魔法学校は、ここ近年無いほどの驚きに包まれていた。一年生から五年生まで例外無く、誰もがとある一カ所に驚愕の視線を送る。


 日頃は閑散としている自習室に、溢れんばかりの生徒が集まっていた。


 確実に、生きてきてこれほど注目されたことは無い。

 信じられないくらい多くの視線に晒されながら、オリアナはペンをインク壺に浸す。


 ちらりと視線を上げると、まだまだ見慣れない人物が横に座っていた。輝くような金髪の奥にある、長い睫毛に縁取られた紫色の瞳は、一心にレポート用紙を見つめている。


 自習室全体から注がれる視線は気にならないようなのに、オリアナが見ていると、すぐに手を止めてヴィンセントはこちらを見た。


「どうした? わからないところでも?」

「ああ、はい、いえ」


(この状況全てがわからないとは、流石に言えない)


 オリアナの心境を慮ってくれたヴィンセントは、皆の前で接することを遠慮しようとしてくれたが、それでは”お友達”では無いだろう。

 彼と友達になると決意したオリアナは、お友達の距離感を全面的に受け入れた。


 つまり、ヴィンセント・タンザインと友人であると、全校生徒に知られる覚悟をしたのだ。


(でもまさか……ここまで影響が出るとは思っていなかった)


 オリアナの名は一気に全校を駆け巡った。今では一年生ですら、オリアナの名前を知っているだろう。

 難攻不落のヴィンセント・タンザインの初めての女友達として、雷よりも派手に名が轟きまくっている。


 どうやってあのヴィンセントの友人になったのか、誰もがオリアナの一挙一動を見逃さず、見極めようとしていた。

 プレッシャーから、オリアナのペンがブルブルと震え、インクがぽたりとレポートに落ちる。


「そんな怯えんくても、とって食いやしないって」

 オリアナの斜め前――ヴィンセントの正面に座っていたミゲル・フェルベイラが口の端を持ち上げて小声で言う。


 ミゲルと話をするのは、まだ二度目だ。


 一度目は夕食後の談話室で、顔合わせ。

 そして二度目の今日、オリアナはヴィンセントの友人として、ミゲルとの勉強の場に招待された。


 日頃勉学をできうる限り怠けているオリアナは、ヴィンセントとのお友達活動のためと、重い腰を上げた。


「大人しく食べられてやる気は無いんですけど……予想以上の反応で」


 生まれた時から貴族として育てられたヴィンセントやミゲルのように、注目されることには慣れていない。


「その内慣れるよ。オリアナも、ヴィンセントのために慣れてあげなきゃな。友達なんだし」


 挨拶の時はエルシャと呼ばれていたのに、いつの間にかオリアナと呼ばれるようになったので、オリアナも彼の事はミゲルと呼んでいる。


 オリアナは横目でちらりとヴィンセントを見る。ヴィンセントは真顔でオリアナを見つめていた。


「そうですね……ヴィンセントのために。友達ですから」

「そうそう。その意気」


 うん、と力強くオリアナが頷くと、またレポートにインクが散った。オリアナは先生に怒られることを覚悟しながら、インクの模様が様々についたレポート用紙に、ようやく文字を書き始めた。




***




「オーリーアーナー?!」


 教室に入った途端に、人が波のように押し寄せてくる。

 ひぃ。と悲鳴を上げてオリアナは倒れてしまいたかった。





 第二クラスは仲がいい。


 入学後、三年間ほぼクラス移動も無く、毎日顔をつきあわせているのだから当然かもしれない。平民、貴族が入り乱れてはいるが、クラスのほぼ全員が呼びタメる学級だ。


 当然、オリアナも例外では無い。性別も身分も階級も関係無く、親しくしてくれる彼らに友愛を抱いている。


「ちょっと! どういうこと!?」

「何故タンザインさんが?!」

「ねえ、オリアナ! フェルベイラさん紹介してほしいんだけど!」

「待って、今はそこじゃない」

「今も一緒に自習室にいたって聞いたぞ!? お前、言うまで麺禁止だからな?!」


「えええええ」


 一方的に突きつけられた麺禁止令に、オリアナが叫ぶ。


 オリアナを囲んでいるのは、クラスの中でも特に仲がいい五人だった。


 姦し三人娘――科学者の娘で小さな跳ねっ返りのエッダ・ ギレッセン。男爵家の娘で姉御肌のハイデマリー・ ランドハイム。騎士の娘で恋愛脳なコンスタンツェ・ベルツ。


 そして、斜に構えた貿易商の息子のカイ・フェラー。プロの童貞ともっぱらの噂の、地方領主の息子でルシアン・コルテスだ。


「ほら。教室に戻っても、どうせ騒がれるわよって言ったじゃない」


 廊下から一緒に歩いてきたヤナが、したり顔で笑う。試練に行っていたヤナとアズラクとは、先ほど廊下でばったりと鉢合わせたのだ。


 外にいたヤナ達にまで、ヴィンセントと自習室で勉強した噂が届いていたことを知った時、オリアナは頭を抱えた。


 自習室は仕様上騒ぐことは出来ないが、廊下に出れば別である。ヴィンセントとのことを尋ねたがる生徒らに捕まらないよう、細心の注意を払い教室に戻ってきたというのに――教室で会見の準備が整えられているとは。


「皆、なんで今日に限って教室にいるの……?」


 皆は基本的に昼休みは遊びに出かける。なんといっても、第二クラスだ。昼休みにまで自習室で勉強するような生徒はいない。最近は中庭でマホキューとかいう球技をするのが流行っていた。


 数人、お喋りをするために教室に残っていることもあるが、談話室や食堂といった”ちょっと集まってお話しする施設”が充実しているラーゲン魔法学校で、わざわざ何も無い教室で暇を潰す生徒は少ない。


 自習室から教室への移動時間も考え、早めに切り上げた昼休みが、まさかこんな風にマイナス方向に働こうとは、オリアナも考えていなかった。


「観念することね、オリアナ」

「ヤナ、何か知ってるの?!」


 エッダがオリアナに飛びついてくると、エッダごとハイデマリーもオリアナを抱きしめる。


「なんで急に、タンザインさんとオリアナが自習室で乳繰り合ってるなんて話になってんのよ!? 全部ゲロりなさいよ」

「口、きったな」

 仮にも男爵家の娘であるハイデマリーの口の悪さに、カイがドン引きして言う。


「ま、まさか求婚された、とかですのっ……!?」

「コンスタンツェは、すぐ飛躍するんだから……え。え? ほんとに??」

「ははっ! こんな色気の欠片もねえ女がそんなわけ……え、まじで? まさか、もうやっちまったとか……?!」


 話がどんどん大きくなっていく。エッダとハイデマリーに抱きつかれていたオリアナは、なんとか手を動かしてルシアンの頭を叩き、ギロリと睨み付ける。


「お友達になっただけだよ」


「……へぁ?!」

「それだけ?! そんなので納得すると思ってんの?!」

「ちょ、こら、オリアナ、面貸しなさいよ!」

「わわっ……」


 抱きついていたエッダが、オリアナの襟元のローブを掴んでガクガクと揺らす。オリアナのミルクティー色の髪がふわふわと揺れる。


「だってホントに、そのぐらいしか……なんでかヴィンセントが――」

「ヴィンセント!?」

「あの、ヴィンセント・タンザインを、ヴィンセント!」

「んんんんっ……!」


 ガクガクと揺さぶられながら横目で見ると、さっきまで隣にいたヤナは涼しい顔でアズラクと共に席に着いている。

 先ほど、質問の矛先が自分に向かってきたから、逃げたのだろう。ヤナは明らかに、面倒は避けるタイプだ。こういうところは、本当にちゃっかりしている。


 もう何を言っても火に油を注ぐ結果にしかならないのだと、オリアナは悟った。目を瞑り、眉を寄せ、口をむぐぐっと噛みしめ、皆の興奮が冷めるのを待つしか無い。


(ヴィンセントが友達を欲しがってた、って言うのは多分……貴族のプライドを傷つけるよね)


 きっと、オリアナがリスティドという弱みを見せたから、見せてくれた弱みだろう。いくら仲のいいクラスメイト達でも、新しく出来た友人の個人的な悩みを打ち明けるつもりは無かった。


「そのくらいにしときなよ。授業始まるし」

「カ、カイ~!」


 オリアナを揺さぶり続けるエッダを、カイが諫める。オリアナは、天からの助け船のように感じた。


「はあー? じゃあカイちゃんは全く気にならないって言うんですかー? お利口ちゃんでちゅねー? 私は気になる。だってオリアナの友達だから」


 ドヤッ! と、エッダが無い胸を張った。

 カイは中性的な顔立ちに似合った、ハスキーな女性のような声だ。見た目もガツンと男性らしくないため、エッダは完全にカイを舐めきっている。


 カイは呆れた目を向けるが、エッダの手がオリアナの襟元から離れたことを確認すると「あほくさ」と言って自分の席に戻る。

 カイがヤナやアズラクの傍に座ったのを確認すると、オリアナは皆に聞こえる位の声の大きさで言った。


「あのね……本当にそれだけで、ヴィンセントと友達になっただけなの。エッダ達みたいな、仲の良い友達になれればいいなって思ってる」


 一般的な”お友達”であれば、いつまでお付き合いが続くのかは本人同士の気持ち次第だろうが、ヴィンセントとの交友関係に限っては、オリアナの努力次第な気がした。


 彼は友人を求めているし、オリアナは助けてもらったお礼に友情を差し出すつもりである。

 ならば今後、二人が一緒にいる時間は増えていくばかりだろう。


 ある意味、契約みたいなものだ。

 とはいえ、”お友達”になったのだから、こちらも本腰を入れて仲良くなる心積もりはしている。


「だから、自習室でたった三十分一緒に勉強したことを、紳士クラブの賭け帳で勝ったみたいに大喜びしないでほしい。これからも、よくあることに、なるから」


 みんなの望む説明とは違ったかもしれない。だが、静かになったと言うことは、ある程度オリアナの意思を汲んでくれたのだろう。


 そう思い、友人らを見ると――皆一様に震え、もだえながら床に伏していた。


「……え、それは何?」


「ず、ずるぃい……」

「オリアナだけ、オリアナだけずるいよぅ……! 私だってあわよくばお付き合いしたいっ……!」

「私だってヴィンセント・タンザインと結婚したいですわっ……!」


「いやだから、友達だって言ってるよね??」


 丁度良く、チャイムが鳴る。

 ひとまず大きな騒ぎは収束したと判断し、オリアナはヤナの隣の席に座り、教科書を開いた。




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