第83話 建前だらけの口説き文句 - 04 -


 植物温室には、生徒達に軽い講義を行うためのスペースがある。アルコーブのように半円状に窪んだ空間に、一クラスがギリギリ座れる程度の、ベンチが備えられていた。


 オリアナは日中に自分が座っていた場所まで行くと、ベンチの下や後ろを入念に観察した。そして、ベンチの後ろに置かれていた植木鉢の隙間に、捜し物の口紅のケースを見つける。


 ホッとしたオリアナは手を伸ばして、口紅が入った貝殻を取り、袖にしまう。


「なので、将来的なことも視野に入れれば、{回}であれば簡単な魔法陣ですし、生徒による量産も可能では無いかと……」

「その場合、{足}はどうする。{回}での動き方を補助装飾で指定するにしろ、相性は良くないだろ」

「いくつかの段階を設けて実験を――」


 講義スペースの近くにいたヴィンセント達の会話が、耳に入ってくる。二人は真剣な顔をして、ガーデンテーブルの上に広げられた、何かの図案を覗き込んでいた。

 盗み聞きするのも、邪魔をするのも良くないだろうと、オリアナは気配を消し、その場から立ち去ろうとする。


「見つかったのか?」


「ひゃいっ!」


 突然、かけられた声に飛び上がる。ヴィンセントを見ると、図案から顔を上げてもいない。


(なんで気付いた。足音も殺して、亀のように静かに動いてたのに……)


 オリアナの驚愕など知ったことでは無いとばかりに、ヴィンセントは顎に手をやったまま、オリアナを一瞥もせずに言う。


「もう随分と遅い。帰りは僕が送ろう。すぐに済ませるから、そこで待っていてくれないか?」


「あ、はい……」


 形式上、会話文は疑問形で終わったが、オリアナの耳には命令形で届いていた。イエスかウンかハイしか求めていない質問に、形ばかりの返事を送る。


(別に女子寮にぐらい、ささーっと帰れちゃうんだけどな……)


 生まれながらの価値観が違うヴィンセントに言っても、何の意味も無いだろう言葉を、オリアナは利口にも飲み込んだ。あと数分帰宅が遅れたところで、なんの問題も無い。


 ヴィンセントは言葉通りハインツ先生との対談を終わらせると、大きな図案を脇に抱えて、ベンチに座って待っていたオリアナのもとにやってきた。


「すまない、行こう」

「いえ、こちらこそ……ご面倒をおかけしまして」


 立ち上がってスカートを叩く。礼儀として下げた頭を上げると、ほんのりと上げられた口角が見える。


「面倒なものか」


 ヴィンセントの、心なしか弾んだ口調に驚く。


「世界で一番間抜けなこと言ってる気もするけど、送り狼になるなよ~」

「竜に誓って、無事に送り届けますよ」


 ハインツ先生が戸締まりを確認しながら、ヴィンセントとオリアナにひらひらと手を振る。オリアナは「遅くにお邪魔しました~!」と手を振り返して、ヴィンセントと共に植物温室を出た。







 温室を出ると、道沿いに備え付けられた街頭のおかげで、ラーゲン魔法学校の校庭は、夜でも随分と明るい。足下を魔法灯ランタンで照らせばなおさらだ。


 二人は「一、二度話したことがある学友」に相応しい距離を取りながら、夜道を歩く。歩を進める度に、魔法灯ランタンの明かりが地面で揺れる。


「その後、どうだ?」

「おかげさまで、つつがなく過ごしてます」


 何を聞かれたかはすぐにわかったのだが、意識しすぎたせいで、教師に対する返答のようになってしまった。オリアナは感謝を込めてもう一度言い直す。


「手紙も面会も、ぱったりと止みました。本当にありがとうございます」

「逆恨みなどは?」

「今のところは何も。とはいえ、家に帰れば顔を合わすでしょうし、気まずく感じる瞬間もあるかもしれませんが……」

「そうか。しばらくは無事というわけだな。よかった。何かあれば、僕にも責任がある。すぐに言ってほしい」

「ありがとうございます」


 社交辞令に笑顔を返せば、ヴィンセントはゆっくりと口を開いた。


「……温室で君に会えて、丁度良かった。聞きたいことがあったんだ」


 思いがけず、緊張しているようなヴィンセントの声に、オリアナはふと首を傾げた。


「なんでしょう?」


「どこまでならいい?」


「ふぁえ?」


 ヴィンセントの質問に、オリアナはつい足を止めた。場所と時間と聞きようによっては、かなり際どい質問ではなかろうか?


 そして、今は人気の無い夜道に二人きりだ。


「ええと、それはつまり……今からの、我々について……とか、いう?」


 はっきりと、「手を出すつもりですか?」と言うのは、流石に憚られた。先ほどハインツ先生の軽口に、「竜に誓って無事に送り届ける」と言っていたヴィンセントの言動とも、相容れない。


(きっと私の勘違いで、すぐに「は? そんなわけないだろ?」と言うはずだから、そしたら、私は次に――)


「そうだ」


 頭の中で、次に何というか考えていたオリアナは、愕然とした。


(……え? こんな穢れ一つ知らなそうな清廉潔白な顔してるこの人にも、そういうものがあるの?)


 驚いてぽかんと口を開けたオリアナに、ヴィンセントは向き直る。


「君のルールに従おう」


「へ?」


(いや私、ルールとかわかるほど玄人じゃないんですけど……普通に処女だし……。っていうか、え!? 私、警戒するべき?!)


 オリアナは辺りをバッと見渡した。もしすぐそこの茂みに引きずり込まれて、彼の言う「どこまで」をやられては敵わない。

 いくらヴィンセントの顔も家柄も成績もいいからといって、ホイホイついて行くほど、オリアナは自分の身を安く見積もっていない。


「今は普通に話をしてくれているということは、人前で話しかけられるのが嫌だったんだろう?」


「……え? ん? ああー! なるほど。なるほどそういう~。はいはい、オリアナちゃんわかってきましたよ」


 オリアナはローブの裾で、額にかいた汗を拭き取った。よかった。恐ろしく間抜けで自意識過剰な勘違いを口に出さないで、本当に良かった。


「……何を言っているんだ?」

「いえ、なんでもありません……」


 勝手に想像したあれやこれやが恥ずかしくて、オリアナは静かにかぶりを振った。





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