第82話 建前だらけの口説き文句 - 03 -


 ヴィンセントとオリアナは、クラスも違えば性別も違う。どちらも部活には入っておらず、選択授業も同じ教科は無かった。


 自習室や図書室にばかり通うヴィンセントと、それらとは全く疎遠のオリアナ。


 人の多い大きな談話室を好むオリアナと、談話室には寄りつかないヴィンセント。


 全く接点の無い二人ではあったが、同じ学校に通っていて、全く会わない――ということは、まず無かった。


 それも、これほど互いに意識している時であれば。




***




「うっおはぁ……」


 オリアナからつい漏れ出た声は、言葉になっていなかった。


 今日の授業で植物温室に忘れ物をしたことに、オリアナは夜になってようやく気付いた。午後の授業が始まる前に、慌てて塗り直したために、口紅を落としてきたらしい。


 この時間ならまだ、植物温室は開いているかもしれない。レポートをするために、ヤナと寮の談話室へ行くはずだったのだが、オリアナは一人、植物温室へと向かった。


 幸いに、植物温室にはまだ、学科担当のハインツ先生がいるようだった。温室は大きいため、遠目で見ても、中に灯りがついているのがわかりやすい。キラキラと輝く星のような魔法灯が、ガラス張りでできた植物温室を煌々と照らしている。


 そんな植物温室に、滑り込みセーフよろしく駆け込んだのはオリアナだ。ハインツ先生なら、オリアナの無作法を呆れはしても、怒ることは無いだろう。そう見込んでのことだった。


 だから、自分の喉から「うっおはぁ……」なんて音が出る羽目になるなんて、思っても無かったのだ。


「こ、こんばんは。お二人とも。星が綺麗な夜ですね」


 咳払いをした後、何事もなかったかのように淑女らしく振る舞ったオリアナを見て、ハインツ先生は突然、風邪に見舞われたらしい。大きな咳がゴッホゴッフェ、フェッフゴッフォと出ている。


 背中を向け、白衣を着た肩が小刻みに震えているのは、咳が苦しいのだろう。そうに違いない。


 少々呆気にとられた顔をしていたヴィンセントは、オリアナの気まずそうな顔を見るとすぐに微笑を浮かべた。


 ヴィンセントと会うのは、少し気まずかった。先日、あんな風に逃げてしまったからだ。

 だが、ヴィンセントはオリアナが逃げたことに気付いていないのか、気にしていないのか、その話題には触れず、普通に話しかけてきた。


「そうだな。どうしたんだ? こんな遅くに」

「忘れ物をしてしまって……」


 先生よりも先生らしいことを尋ねてくるヴィンセントに、オリアナは生徒の顔をして言う。


「そうか。ここに忘れたのか?」

「多分」

「見つかるといいな」

「はい」


 はい、と何故かもう一度呟いたオリアナは、ススス……と移動した。


(なんでか、めちゃくちゃ緊張する)


 ヴィンセントと対面すると、ラーゲン魔法学校一怖いと評判の魔法カーン文字学のフェリッツ先生を前にした時よりも、オリアナは緊張した。


 植物温室はその名の通り、植物が無数に生い茂っている。少し体を動かせば、ヴィンセントとハインツ先生の視界から、隠れることが出来た。


 何を忘れたのか聞かれたらどうしようと内心焦っていたが、取り越し苦労だったことに安堵した。


 オリアナは温室に植えられている茂みを利用しながら、こそこそと自分が今日歩いた場所を歩き回る。


「いつまで笑ってるんですか、先生」


 温室は遮るものが少ないため、このくらいの距離なら耳を澄まさなくとも、会話が聞こえる。


「いやだってさっきエルシャの、犬が尻尾踏まれたみたいな顔……ふぐっ、いや、ゴホン。相手させてすまんかったな、優等生」


(くそう。やっぱり笑っていたんだ。教師の風上にも置けない。誰が犬って? ちょっと驚いただけじゃん。間抜けな声だったけどさっ)


 オリアナはくさくさしながら、どこかに落ちていないか、草を掻き分ける。

 落としたのは、貝殻の表面に紅を塗ったものだ。紅の中には染料だけでなく、保湿成分もたっぷりと入っているので気に入っている。小さな貝殻の入れ物は持ち運びに重宝していたが、無くなってしまうと、見つけるのが大変だ。


「ともあれ、話を進めましょう。ここの補助装飾と条件の設定についてですが……」

「何度も言うが、俺は陣には詳しくないぞ。陣のこた、クイーシー先生に聞いて欲しいんだがなぁ……」


 どうやらヴィンセントは、ハインツ先生に質問に来ていたようだ。


(なんだー。こんな時間にこんな場所にいるから、てっきり私と一緒で忘れ物かと……いや、無いか)


 ヴィンセント・タンザインは完璧超人である。というのは、ラーゲン魔法学校で当たり前に囁かれている事実だ。


 家柄も顔も成績も完璧な上、入学以来、体調も崩したことが無いという。まるで神が作りたもうた完成品である。


 これまで、オリアナと同じ学年で、首位を取ったことのある生徒は二人もいない。これまでの三年間、全ての試験でヴィンセント・タンザインが一位を取り続けているからだ。


 そんなヴィンセントも、こんな時間まで教師に質問に来ているんだな――と親近感を覚えそうになり、はたと思い当たった。


(いや……こんな時間まで勉学に打ち込んでいるからこその、結果か……)


 しみじみと、違う世界にいる人だなとオリアナは思った。

 同じクラスの生徒で、それほど勉強を励んでいる者はいない。皆、そこそこの成績で、そこそこに楽しく学校生活を過ごせば万々歳だと思っている。オリアナとてそうだ。


(勝手に同類にしようとして、ほんとごめんなさい……)


 心の中で謝罪したオリアナは、腰を落とし、本格的に捜し物に没頭した。




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