第81話 建前だらけの口説き文句 - 02 -


「オリアナ。貴方ってばいつの間に、アマネセル八竜の一頭を手懐けたの?」


 本校舎を出て中庭を歩いていると、ヤナが大仰な言い方をした。オリアナは見事に仰け反る。そう聞くと、ものすごいことになっている感が半端なかったからだ。


「いや……ちょっとこないだ、お世話になって……?」


 あの時こっきりの話だろうと思っていたオリアナは、何故ヴィンセントが当然のように――それもかなり親しげに――話しかけてきたのか、さっぱりわからなかった。


(やっぱり、もっとちゃんと貸しを返せ、ってこと……?)


 向こうから提示された「ヴィンセント」と呼ぶ条件は、一応呑んでいる。

 何しろこれまで全く接点が無かったため、呼ぶ機会が無いのだが、呼ばねばならない機会が来れば、人前であろうと死ぬ気で呼ぶつもりでいる。それが、オリアナの流儀だ。


 貸しだ借りだと言い募り、関係性を続けるほうが、公爵家の人間として生まれたヴィンセントには煩わしいに違いない。

 そう思っていたのだが、貸しを返して欲しくなったのだろうか?


 オリアナは商人の娘だ。


 助けを求める者には施しを与えることを当然とする貴族とは、違う教育を受けて育った。


 商人の育て方とはすなわち、借りたら返せ。

 貸したら倍にして返させろ。という、上流階級の方々からしてみれば、下品極まりない教育方針である。


「アズラク。同じ学年だし、男子だし……ヴィンセント、の、こと、何か知ってる?」


 普段、本心をほとんど表情に出さない二人が、明らかに目を見開いた。オリアナが、「ヴィンセント」と呼び捨てにしたことに、虚を突かれたのだろう。


(穴があったら……いや、無くても掘って入りたい)


「この間……少し、お世話になった程度で、名前を……それも呼び捨てて。――へえ?」


 ヤナの視線が痛い。オリアナはブックバンドで結んだ教科書で、ヤナからの視線を遮った。


「ちょっと色々、ごたごたがあって……!!」

 全く何の説明にもなっていない。オリアナが必死に言い訳する様を見たヤナは、微かに眉を下げると、口元に手をやり、しなを作った。


「……私には、聞かせてくれないの?」


「洗いざらい吐きます」


 うるうると光るヤナの瞳を見た瞬間、オリアナは胸に手を当て、腰を曲げていた。アズラクが口の端を持ち上げて笑う。仕方無いのだ。女とて、綺麗な女の子の涙には敵わない。


 オリアナはぶらぶらと足を動かした後、決まり悪く言った。


「実は……家の方の問題で、男の人に付きまとわれてたのを、偶然通りがかったヴィンセントに助けてもらったの。それで、名前を呼び合うことになった、みたいな?」


 名前を呼ぶ段階を、あまりにもはしょりすぎてしまった。だが、オリアナにも、ヴィンセントが何を持って名前で呼んでほしいと言ったのか計りかねていたし、上手く筋道を話せる自信が無かった。


 しかしヤナは名前のところは気にならなかったようで、美しい顔を顰めている。


「……男に付きまとわれていたなんて……知らなかったわ。いつ? 危害は加えられていない?」


「外部の人だったから。外出時とか、面会とかに来ててね……顔見知りだったし……。ヤナがいる時はアズラクがいてくれるから、近付いて来なかったみたい」


「男を避けるということは、本人にやましい自覚があると言うことだ。そういう時は、遠慮無く相談するといい」


 いつもは決してオリアナとヤナの会話に口を挟もうとしないアズラクが、真剣な顔つきで言う。


「その通りよ、オリアナ。顔見知りだから安心なんてことは、絶対に無いんだから」


 いつもオアシスの上を踊る妖精のように陽気でやんちゃなヤナも、珍しく厳しい顔をして言った。


 ヤナの国、エテ・カリマ国は、このアマネセル国よりもずっと男女の格差が激しい。絶対的な力を持つ男への恐怖は、ヤナの方がオリアナよりもずっと強く感じている。

 その点もあって、リスティドのことをヤナに伝えることが出来なかった。


「オリアナが怖がっていたのを、知らずにいただなんて……」

「ごめんね。心配させちゃうと思って」

「心配ぐらいしたかったわ」


 ヤナの心からの言葉を聞いて、オリアナは眉を下げた。


「そうだよね、ごめん……今度からはすぐ、すぐ言うから」

「そうして。何のために、アズラクを国から連れてきたと思っているの」

「それはヤナのためでしょ」


 オリアナがつっこめば、ヤナとアズラクがしたり顔で笑った。


 きっとヤナは、オリアナが危険だと思えばできる限りの融通を利かせてくれるだろう。エテ・カリマ国の王女の親切を受けるかどうかは別として、その気持ちが、友人としてオリアナは嬉しかった。


「怖い時に傍にいられなくて、ごめんなさいね」


 そう言って切なく笑ったヤナの手を、オリアナはきゅっと掴んだ。こんな友情を確かめるようなこと、幼い頃だってやった覚えは無い。


 けれど、すでに一つ隠し事を持ってしまった罪悪感から、気恥ずかしさを堪え、ヤナの柔らかく細い手をぶんぶんと振る。


「違うんだよ。むしろヤナとアズラクが隣にいてくれる時は、怖くなかったの。ちゃっかり助けてもらってたんだよ」

「ふふ」


 むちゃくちゃに振り回されている自分の手を見たヤナが、くすくすと笑う。ヤナの笑顔に、思っていたよりもずっとホッとした。


 振り回すのを止め、ヤナの手の甲をそっと撫でる。ちょっと強めに自分の方に繋いだままの手を引いて、ヤナの肩に顔を埋めた。


「これからは何でも相談する。させて」


 よほど、観念した子どものような声を出していたのか、またヤナがくすくすと笑った。


「おねしょの回数だけは、秘密にしててもいいわよ」


「じゃあ私も、ヤナが二段ベッドから落ちた回数を秘密にしててあげる」


「まあ」


 全く怖くない顔でヤナが睨み付ける。二人はくすくすと笑った。その様子を、アズラクが優しい目で見つめていた。




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