第80話 建前だらけの口説き文句 - 01 -


「やぁ。今日の授業は終わったのか?」


 廊下を歩いていた生徒達が、どよめいた。





 ヴィンセントにリスティドストーカーもどきを撃退してもらってから、五日が過ぎた。

 しつこいほどに届いていた手紙や面会の申請も、あれからピタリと鳴りを潜めている。まだ五日のため、正確な効果はわからないが――このまま興味を無くしてくれるのを、祈るばかりだ。


 それもこれも全て、ヴィンセント・タンザインのおかげである――のだが。


「オリアナ?」


 名前を呼ばれ、声をかけられたのが自分だと気付いたオリアナは、ぽかんと口を開け、ヴィンセント・タンザインを見る。肩からずるりと、ローブがずれ落ちた事も頓着出来なかった。


 彼の美貌は当然のごとく先日から衰えることも無く――いやそれどころか、何故か輝きが増しているかのように感じられた。


 初めて花を見つけた少年みたいに、微かにはにかんだ笑顔が眩しい。


 本日の授業を終え、教室を出たオリアナは、ヤナとアズラクと共に談話室へ向かうところだった。


 廊下を歩いていると、二つ隣の教室で授業を行っていたらしい特待クラスに所属するヴィンセントがドアを開け、丁度鉢合わせたのだ。


 教室の中に残っていた生徒も、廊下にいた第二クラスの生徒も、特待クラスの生徒も、なんと教室の中にいた対抗魔法学のリップス先生までもが――目を見開き、ぎょっとした表情でヴィンセントを見ている。


 ぎょぎょっとした顔を隠しもせずに、オリアナ達を見つめる複数の視線に耐えかねて、すかさずオリアナは視線を逸らした。


「……はい。今日はこれでおしまいです。先日はありがとうございました。あの、それでは……」


 必要な事柄だけを大慌てで告げると、そそくさとオリアナは立ち去った。


 あんな場所、あと一秒だって、いられる気はしなかった。




***




 オリアナが消えた場所を、ヴィンセントはぽかんと見ていた。何故か完全に、「逃げられた」と思った自分がいる。


(逃げる? オリアナが? ――僕から?)


 あまりにも慣れない感情だった。

 数秒、口を閉じることさえ出来ずにいた。


「あのタンザインさんが女生徒に声を……?」

「あの子って誰? どのクラスの子?」

「わからない。庶民だろ」

「ねえもしかして……名前で呼んでなかった?」


 廊下や教室から微かに漏れ聞こえる声で、注目されていることに気付いたヴィンセントは、周囲を見る。

 前を見ても、後ろを見ても、同級生らが愕然とした顔でこちらを見ている。


「ま、帰るか」


 隣にいたミゲルが、ヴィンセントの肩に腕を回して歩き始めた。ヴィンセントは半ば引きずられるようにして、教室を後にする。


 二巡目と、基本的にはオリアナ以外は誰も変わっていない。


 だが、ヴィンセントが変わってしまった。


 そのため、他者への接し方も、交流の取り方も、二巡目とは違う。勉強や竜木に関することで忙しい三巡目のヴィンセントは、二巡目のヴィンセントよりもずっと、周りの生徒と距離があった。


 そんな中、子どもの頃からの顔馴染みであるミゲルとは、唯一と言っていいほど、二巡目と変わらない関係を築けている。


 ミゲルは、ヴィンセントがある日突然大人びてしまっても、友人よりも勉強を優先しても、気にする素振りを見せることなく傍にいてくれ続けた。

 二巡目では、当然のように受け取ってきたミゲルからの親愛の情を、三巡目のヴィンセントは貴重な宝物のように感じる時がある。


(絶対に、言わないが)


 本校舎から出ると、ミゲルはヴィンセントの体を離した。そしてにやりと笑う。


「ようやく声かけたんだ?」


 したり顔のミゲルを見て、ヴィンセントは驚いた。


「ずっと気にしてただろ? オリアナ・エルシャ」

「気付いていたのか」

「そりゃあ」


(そりゃあ? それほどにわかりやすかったのか?)


 ヴィンセントは呻きたくなった。自分の気持ちが周囲にばればれだったとは、思いたくない。

 どれだけの人間にばれていたのかも気になるが、それよりもずっとヴィンセントの心を占めていることがある。


「……逃げられた」


「うん、見てた」


「何故だ? 知り合えたんだぞ?」


「いや、こうなるのが嫌だったから、声かけらんなかったんだろ?」


 ヴィンセントは愕然とした。

 そんな可能性は、微塵も考えていなかった。


 入学してからずっと、ヴィンセントはオリアナを見守っていた。彼女を意識しない日は無かったが、行動に起こす気など毛頭無かった。


(君にもう、愛されなくてもいいから、生きていて)


 そう思い込もうとした。

 いや、思い込めていた――三年間は。


(けれど、声をかけられたら、笑みを向けられたら、駄目だった)


 ヴィンセントは簡単に引きずり込まれた。


 彼女の瞳に映りたいと、彼女に話しかけて貰いたいと、彼女の世界に自分も入りたいと思ってしまった。


『ええ、はい。もちろん、その通りです。ヴィンセント』


 自らの意志の弱さを補うだけの努力をする覚悟は、彼女に名前を呼ばれた瞬間に決めた。

 オリアナの傍にいても、彼女と自分の死は必ず回避させると、あれほど逃げ腰だったのが嘘のようにすんなりと誓えた。


 もう、手放せるわけが無い。


(なのに――現実は、避けられている)


 ヴィンセントはずるずるとその場にしゃがみ込んで、顔を片手で覆った。


(本当に、近付くつもりは無かった。――だがきっと心の底では、知り合えさえすればどうにかなると思っていたんだな……)


 二巡目の入学式で声をかけられてからずっと、ヴィンセントはオリアナを忘れることが出来なかった。


 声をかけられただけで舞い上がって、強く彼女を意識した自分とは違うのだ。

 現実が、ヴィンセントを容赦なくぶん殴る。


「距離感がわからない……」


「距離感も何も。まともに話すの二度目とかなんだろ? なら、他人じゃん。まだ」


 ヴィンセントは目を見開いて、ミゲルを仰ぎ見た。ヴィンセントの背には「ガーン」という文字が浮いている。


(自分とオリアナは三度も人生を共にした。なにか、見えないけれど、絆のような力があるのではないかと……)


 虫のいい話に自嘲を浮かべる。


(違う。絆を作ってくれていたのは――いつでも向かってきてくれたのは、彼女だった)


 オリアナはいつも笑顔でいてくれた。ヴィンセントがどれほど邪険にしても、ずっと傍に居続けてくれた。


 オリアナに無関心な――それどころか、拒絶してさえいたヴィンセントに微笑むことが、どれほど難しかっただろう。


(惨いことを)


 もう一度二巡目に戻れたら、ヴィンセントは決して―― 一度だって、オリアナを拒絶することは無い。抱え続ける後悔に、胸が痛む。


(オリアナは、自分の力で近付いてきてくれたのに……)


 彼女がとった方法は非常に有効だった。


 ヴィンセントとの時間を増やすために勉学に励む。

 ヴィンセントの隣にいるために、自らの恋心が周囲にばれるのも厭わずに、傍に居続ける。


 そのどちらも、彼女にとって最善の方法だったのだろう。


 だが、ヴィンセントには、同じ方法はとれない。

 公爵家の長男として生まれたヴィンセントは、義務と伝統を重んじ、秩序だった人生を送らなければならない。


 ヴィンセントにはオリアナ以外にも背負い、守らなければならない存在がある。将来公爵位を継ぐことが決まっている身の上で、いくら好きな子のためとはいえ、意図的に努力を惜しむことは出来なかった。


 また、全く面識の無い男子が女子に付きまとうのは、明らかにマナー違反だ。

 面識があったとしても、彼女に歓迎されなければ、リスティドのように恐怖を与えるだけ。


 二巡目のオリアナはヴィンセントにいつもへばりついていたが、それをヴィンセントが恐ろしく思ったことはなかった。


 もし万が一、オリアナがヴィンセントの逆鱗に触れたとしても、リスティドの時同様、制すだけの力があると自負していたからだ。


 腕力でも、頭脳でも、魔法の成績でも、階級でも、全てを今のオリアナよりも上回るヴィンセントは、慎重に慎重を重ねるくらいで丁度いい。


 公爵家嫡男のヴィンセントは、生まれながらにして、他の人よりも多くの特権に恵まれた。


 ヴィンセント自ら、生まれ持った権利や立場をひけらかすことは無かったが、必要な場面で行使することを迷う腑抜けでも無かった。ヴィンセントは、リスティドをヴィンセントの生まれた世界に引きずり込むと、笑顔一つで追い払った。


(――オリアナが僕を頼ってくれて、本当に良かった)


 三巡目のオリアナに結婚候補者がいるということは、二巡目のオリアナにもいたということだ。その点を全く知らされていなかったのは腑に落ちないが、二巡目のオリアナはストーカーの被害にまでは遭っていなかったはずだ。

 だとすれば、三巡目のヴィンセントが起こしたアクションによって、未来が変わってしまったのだろう。


 彼女の父が貴族と繋がりを持てたのは、幼い頃にヴィンセントがエルシャ殿に頼んだことが、月日をかけてようやく実を結んだに違いない。


 エルシャ家が無事に紫竜家とパイプを持てた事に喜ぶと同時に、彼女に恐怖を味わわせる原因を作ってしまったことを苦く感じる。 


 手遅れになる前に、事実を知れ、助けられた事が嬉しかった。


(せっかく、また名前を呼んで貰えたのに――こんな、他人よりも遠い距離に居続けなければならないのか) 


 再び手の中に顔を埋めた。酷く苦いものを飲み込んでいるかのごとく、ヴィンセントの顔は苦渋に満ちている。


「何故オリアナは、僕の事が好きじゃないんだ……」


「うわ、ドン引いた……次期紫竜公爵の考えることは心底恐ろしいな……」


「なんでだ」


 ムッとしてミゲルを見る。

 このままでは、リスティドの二の舞だ。父の弟子の代わりに、多少話したことがある程度の同級生がストーカーになることだけは、絶対にしてはいけない。


「普通はそうなんだよ。まずは友達になって、好意を――っていうか、意識して貰うところから始めるもんなの」


 ヴィンセントは目を見開いた。最初から――ヴィンスとヴィンセントの違いはあれど――オリアナに好感度マックスで迫られていたヴィンセントには無い着眼点だった。


 今のオリアナの、ヴィンセントに対する好感度はゼロだ。


「……そうか、そうなんだな」


 ヴィンセントは項垂れた。

 二巡目に最初から優位な条件でスタート出来ていたのは、他ならない、一巡目のヴィンスがオリアナに意識してもらえるよう、頑張っていた結果である。


(やっぱり、いつまで経ってもヴィンス・・・・には敵わない)


 項垂れていた頭を上げた。


「――つまり、次は僕が頑張る番と言うわけか」


 これまで、彼女を死なせないための竜木の調査や勉強に全力を注いでいた。そこに並行して、オリアナと友達になる努力と、自分を好きになってもらうためのプレゼンも必要になるという。


(完全に、不得意分野だ)


 ヴィンセントはミゲルを見上げた。

 ここに、そういった類いが得意分野の男がいる。


 非常に癪だったが、ヴィンセントはミゲルに助言を求めた。


「……どうすればいいと思う」


 ローブの裾からスティックキャンディを取り出したミゲルは、封を解きながら「んー」とうそぶく。


「あっちにあわせるなら、最初のうちは人前での接触は避けて、少しずつ距離縮めれば? エルシャ、あんま他人のせいで目立つの好きじゃ無さそうだし」


 なんて頼りになる男だろう。

 ミゲルをこれほど頼もしく思ったことは無かった。


 もしかしたら一巡目のヴィンスも、ミゲルを師と仰いでいたのかもしれない。

 なにしろ、ヴィンスも確実に、この分野は不得意だからだ。断言できる。


「わかった。そうしよう……」


 ヴィンセントは素直に頷く。ミゲルが無言で差し出したオレンジ色のスティックキャンディを、そっと受け取った。





 余談だが、しゃがみ込んでへこむヴィンセントが、ずっと本校舎の出入り口にいたせいで、他の生徒は出るに出られずに、廊下をうろうろとするしか無かった。





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