第79話 死に戻りの魔法学校生活 - 10 -
学校生活の中では当然、オリアナとすれ違う瞬間もあった。
前方にオリアナがいることに気付いた時、ヴィンセントは、これまでの人生――二巡目も含めて――の中で、一番緊張した。
胃がひっくり返りそうなほどの緊張を抑え込み、何食わぬ顔で廊下を歩く。
一歩ずつ、オリアナが近付いてきた。
まるでゆっくりと時計の針が動き出したかのように、何もかもが遅く感じた。心臓が早鐘を打つ。
オリアナの傍にはヤナとアズラクが、ヴィンセントの隣にはミゲルがいた。五人とも、特別な接点は無い。何事も無く、通り過ぎるだけと知っていた。
「それで、その時ウィルントン先生が――」
「嘘でしょう? 前にクイーシー先生だって――」
オリアナとヤナは楽しそうに会話をしている。アズラクはいつも通り無表情で、ヤナとオリアナの後ろからついてきていた。
(どういうわけか、記憶を持ち越したのは僕だけだった)
ヴィンセントは無意識に息を止めていた。それほどに、気持ちが張り詰めていた。
(話しかけてくることは無い。わかっている。彼女は覚えていない。だから、期待なんて――)
目が合った。
すれ違う瞬間、オリアナがこちらを見た。衝撃で、ヴィンセントは足どころか、心臓まで止まるんじゃないかと思った。
(まさか、まさか……まさか)
思い出したのか。それとも、オリアナが巻き戻ったのが、入学後だったのかもしれない。そんな期待がヴィンセントの胸をよぎった。
息さえ継げない緊張状態の中、オリアナは会釈をすると視線を外し、すっと横を通り過ぎた。
「ヴィンセント?」
突然立ち止まった友人を心配したのか、隣を歩いていたミゲルが呼んだ。
凍り付きそうな表情を、なんとか動かす。
(笑え)
心の中で、自分を叱咤した。
これほど強く、自分に失望したことは無い。
(笑え)
「すまない。少し考え事をしていた」
ヴィンセントは、いつも通りの笑みを貼り付ける。
くだらない期待をした自分を、いっそ笑い飛ばしてやりたかった。
***
記憶を受け継いでいないオリアナは、いつも楽しそうに笑っていた。しかし二巡目と違い、その笑顔がヴィンセントに向くことは無い。
騒ぎを起こすこともなく、廊下を走って先生に怒られることもない。
友達は多く、その多くに好かれていた。
オリアナは秀才ではなかった。成績は中の下、よくて中の中だ。もちろん、特待クラスに入れるわけも無い。
勉強は、それほど好きでは無いようだった。試験前などは、明らかに嫌々自習室に通っている姿を見かけた。あれほど頻繁に自習室で一緒に勉強をしていたのにと、不思議に思った自分を恥じると共に、オリアナへの愛情がぐっと増した。
(僕と一緒にいるために、勉強してくれていたのか……)
今の彼女の成績を知れば知るほど、二巡目の彼女の苦労を知る。
クラスが違ってしまえば、ほぼ接点は無い。その上性別まで違う。彼女がどれほどの頑張って特待クラスで居続けてくれたいたのか、ヴィンセントはまざまざと思い知った。
彼女の努力に気付いてから何度か、自習室で頭を抱えるオリアナを、ヴィンセントはこっそりと見た。
そんな姿が、とても愛おしかった。
***
オリアナは人気者だった。
一巡目のヴィンスが何故我慢も出来ずに、学生のうちに彼女に思いを告げたのか、ヴィンセントにはありありとわかった。
何処で彼女を見かけても、彼女の周りには大勢の友人がいる。
明るく、気取らず、誰とでも親しくするオリアナは、いつでも会話の中心だった。誰もがオリアナを頼り、誰もがオリアナの助けになろうと声をかけている。
その中に、もちろんヴィンセントはいない。
(――下手な根回しは、必要無かったな)
この体がまだうんと小さな頃、夜に屋敷を抜け出して、エルシャ家に行ったことを思い出しては、苦しくなる。
父との約束を記した書状も、ヴィンセントの望むように使われる日は来ないだろう。マルセルには既に、あの書状を燃やすように言い渡してある。そもそもが、オリアナと思いが通じ合っていると思っていたからこそ、作ったものだ。
そうで無かった今、あの書状を思い出すだけでも、辛い。
恋に溺れた愚かな空回りを、まざまざと見せつけられるだけだ。
三年生までの間、ヴィンセントからオリアナに近付くことは無かった。
しなければならないことが山積みだったこともあるが、自分が近付くことで、無自覚な彼女に襲いかかる死の未来を確定させることも怖かった。
一巡目の記憶を持つオリアナと、二巡目の記憶を持つ自分が、この死に戻りの学校生活と無関係だとは思えない。
『ヴィンセントー! 大好き!』
ことさらに明るく振る舞う、オリアナを思い出す。
過去を知るばかりに、彼女は背負う必要のない重荷まで抱えていた。
そんな彼女に感じるのは、申し訳なさと、溢れんほどの愛しさ。
(こんな事情を知らない方が、オリアナは余程、生き生きと暮らしている)
勉強をほどほどに頑張り、友人と楽しそうに羽を伸ばす三巡目のオリアナは、二巡目では見られなかった姿だ。
そう――オリアナは、ヴィンセントに近付かずとも幸せそうだった。
オリアナは、あまりにも満たされていた。ヴィンセントが声をかけるのを躊躇われるほど、彼女はいつも友人らと楽しそうに笑い合っていた。
(オリアナは、僕を必要とはしていない)
これほど、ヴィンセントは切ないというのに。
(……無駄なのかも、しれないな)
何もかもを覚えていないオリアナに、責任を負わせなかった安堵を感じると同時に、手放さねばならない苦しみがヴィンセントを襲う。
(そもそも、オリアナや僕の記憶が何度も消えていただけで、これは
知らない間に、もう何度も繰り返された内の、ただの一度なのではと思う時がある。
(だとすれば、この終わらない日々に、終焉などあるのだろうか)
いや違う、とかぶりを振る。
(終わらせるんだ。この人生で、必ず僕が――もう二度と、オリアナにこんな責任を負わせたりしない)
挫けそうになる度に何度も何度も、ヴィンセントは自分の心に誓った。
***
――そして、三年生の夏。
中庭を一人歩いていたヴィンセントは、恋い焦がれた声に、呼び止められることになる。
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