第69話 白い空と赤い炎 - 04 -


 家の都合で帰りが遅くなることは事前に学校に知らせていたため、ヴィンセントが教師に咎められることは無かった。


 それよりも、帰りが思っていたよりも遅くなってしまったことが憂鬱だった。帰り際に雨に降られ、馬車の車輪が泥にはまってしまったのだ。御者と力を合わせ、なんとか馬車を持ち上げることに成功したが、その頃にはヴィンセントも御者もびしょ濡れだった。


 学校に戻り、すぐに予備の制服に着替え、ヴィンセントは東棟の談話室へ向かった。その最中、雷がピカリと空で光った。


(大丈夫だろうか)


 オリアナは一人でいるはずだ。雷の苦手な彼女が、また一人で震えているのかと思うとかわいそうで仕方が無かった。

 ヴィンセントは傘を差し、心が急くままに走った。


 遠くにいるウィルントン先生が、固まっているのが見えた。雨の中を走る生徒を注意しようとしたようだが、まさかヴィンセントだとは思わなかったのだろう。


 ヴィンセントは足を速めて、ウィルントン先生の視界から抜け出した。今は少しの時間も惜しい。


(すぐに行ってやらないと――そして、そして? なんて伝えよう。なんて伝えたらいいんだ)


 ヴィンセントは顔を顰めた。貴族として生まれた自分が、誰かに心から愛を告白する日が来るなんて思ってもいなかったために、考えたことさえ無かった。


(好きだ? ――軽いか? 愛してる? それでは、歯が浮きすぎる?)


 次々に、告白の言葉が浮かんでは消えていった。そして、何をどう言っても、ヴィンセントの頭の中のオリアナは、全てに喜んでくれた。


(もう、なんでもいい……。考えた言葉じゃなくて、彼女を見て、思ったままを伝えよう)


 雷が鳴る。空が一瞬、真っ白になるほどに強い光だった。


(急ごう。そして、抱きしめよう)


 以前は、雷に怯えていたオリアナの隣にいることしか出来なかった。探しに来いと伝えたが、あれ以来雷が鳴ることも無かったため、一度も機会は訪れなかった。


(もし雷が鳴っていたら、探しに来てくれただろうか)


 彼女が怖がると知っているのに、雷が鳴るのを心待ちにしている自分がいたことを、ヴィンセントは知っていた。




***




 ようやく談話室に辿り着いた頃には、息が弾んでいた。

 ドアを開けるとすぐに、オリアナの姿を見つけた。後頭部が、座ったソファからちょこんとはみ出している。


 足が震えだしそうなほどの安堵と緊張が、ヴィンセントを襲う。


「オリアナ。遅れてすまない。怖かったろう?」


 声が震えていないのが不思議なほどだった。ヴィンセントは、オリアナの待つソファにすぐに向かった。


 いつもヴィンセントが座っている一人がけのソファに、オリアナは座っていた。その瞼は閉じられている。


「なんだ、寝ていたのか」


(よかった。君が雷に、気付かなかったのなら)


 ヴィンセントはほっと息をついて、斜め向かいのソファに座った。


 ふと見ると、オリアナの手に杖が添えられていた。紫色の宝石がついた杖を見て、笑みがこぼれる。


「……インク型にすると、言っていたのに」


 いつの間に、そんなに大きなタンザナイトを付けていたのか。以前彼女がクラスメイトと話していたことを思い出す。自分を思って、杖に宝石をはめてくれたことは明白だ。


 紫色の宝石はオリアナの手の中でキラリと光っている。常に自分がオリアナの傍に寄り添っているようで、ヴィンセントは口元を緩めた。


(眠ってるオリアナを見るのは、久しぶりだ)


 以前見た時、眠る彼女は苦しそうに呻いていた。熱と過去の後悔にうなされ、苦痛の表情ばかりを浮かべていた。


 だが今のオリアナが浮かべているのは、穏やかな、笑顔とも言っていいような寝顔だった。何を思いながら、ヴィンセントを待ってくれていたのか伝わってくるような、安らかな寝顔。


「……好きだよ」


 気付けば声が漏れていた。


「僕との未来を、考えて欲しい」


 ヴィンセントは太ももに肘を立て、合わせた両手に顔を埋めた。


「……起きたらもう一度、言うから」


 もう一度、言えるだろうか。そう自分を疑いたくなるほどに、ヴィンセントの顔は真っ赤だった。


「暑いな――。少し薪を減らそう」


 誰が聞いている訳でもないのにそう言い訳しながら、ヴィンセントは立ち上がった。勢いよく燃えている暖炉に、灰かき棒をつっこむ。


「――ん?」


 見慣れない物を見つけて、ヴィンセントは灰かき棒を動かした。なんとかたぐり寄せ、灰取りのためのチリトリの上に掻き出す。


「なんだ……これは」


 暖炉の中で薪と一緒に燃えていたのは、赤く燃える枝だった。

 暖炉から取り出した瞬間、ぶわりと独特な、この世の花全てを煮詰めたような、竜でさえ涎を垂らしそうなほどの甘い匂いが広まる。


 甘い匂いに眉をしかめ、ヴィンセントは枝を凝視した。


 魔法使いなら、普通の枝と竜木の違いは、一目見てわかる。


 これは、竜木の枝だった。

 燃える竜木の枝は、まるでマグマのように不気味に赤い。


 ラーゲン魔法学校の暖炉は、薪を使用する。定期的に用務員が各暖炉を点検し、その箇所に必要なだけの薪を置いて行く。たまに生徒が書き損じた紙や、点数の悪かったテスト用紙を捨てることはあっても、竜木の枝を一緒に燃やすなんてこと、ヴィンセントは聞いたことが無かった。


(……頭がくらくらとする)


 枝を見ていると、ぐらりと体が傾いた。枝から漂う、ひどく甘い匂いに胸焼けがする。酩酊したように、体から力が抜ける感覚を覚えた。

 ひとまず枝から離れようと、ヴィンセントは後ろを向く。


 その瞬間、談話室が真っ白に光った。


 数秒後、大きな雷の音がする。

 雷が地を這う衝撃が地響きとなり、ヴィンセントの足下を小刻みに揺らした。



『大切な人が死んだ日に、雷が――』



 オリアナが、雷に震えていた日に打ち明けてくれた言葉を、なぜか鮮明に思い出した。



(なんだ……? すごく、嫌な予感がする)



 ヴィンセントは大股で、眠るオリアナの元に向かった。雷が鳴っているのにかわいそうだが、ここから出ようと伝えるつもりだった。



「オリアナ、オリア……ナ?」


 頬を撫でて起こそうとしたヴィンセントは固まった。


 オリアナの体が、ひどく冷たかった。


 慌てて、オリアナの口元に手を添える。

 ヴィンセントは腰を抜かした。オリアナの座るソファの横に、座り込む。




「……オリアナ?」


 オリアナは息をしていなかった。




 体は石のように冷たくて、もうこの体から、命が離れて長いことを物語っていた。


 ヴィンセントの血の気が引き、体が震える。




「なん、でだ」


(死ぬのは僕じゃ、無かったのか)




 心臓が凄い速さで脈打っていた。オリアナの胸に耳を当てても、そこはじっと黙ったまま。


 信じられなかった。何もかもが。


 ヴィンセントはオリアナをかき抱いた。オリアナの手に添えられていた杖が、音を立てて床に落ちる。


 オリアナの体にしがみつく。自分の熱が少しでも彼女に移れば、まるで彼女がまた目を開けてくれるとでも、思っているかのように。


「オリアナ……オリアナ!」


 ソファから体を引きずり下ろし、自分の足の上に座らせた。彼女の体重を、他の何とも共有したくなかった。支える全ての物になりたかった。


 オリアナの顔は、いい夢を見ているように幸せそうだった。首や服を調べても、何も無い。口の中も指で探ったが、何も異変は見つからなかった。



 ――ピカッ


 また、世界が白く光る。



『雷を、竜神って呼ぶこともあるんだって。まさに――』



 オリアナが言っていた言葉を思い出す。


 ヴィンセントは目を見開いた。暖炉の中に入っていた、赤い竜木の枝を見る。この空間で、あの枝だけが異質だった。


「……まさか」


 マグマのように燃え続ける竜木の枝は、怒れる竜そのもののようだった。ヴィンセントは背筋を震わせる。



 雷が鳴る。竜の咆哮のように。



「本当に――竜神の、祟りだとでも?」



 ヴィンセントはオリアナを見下ろした。酩酊するようなむせかえる甘ったるい匂いが鼻腔を満たし、視界に靄が掛かっていく。


 どんどんと視界は薄れ、オリアナの顔さえ見えなくなっていった。

 少しでも彼女を見ていたくて、感じていたくて、ヴィンセントはオリアナの頬を手で包む。

 その時には、彼女の頬の冷たさを感じなくなるほど、ヴィンセントの手も冷たくなっていた。



 ――ギィ


 地獄の扉が開くような音がする。




 そしてヴィンセントは、意識を失った。




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