第51話 星の守護者 - 07 -


 夕食は、ヴィンセントとミゲルと取った。

 食堂へ行っても、ヤナもアズラクもいなかったからだ。


 ヤナとの試練のことで周囲に注目されていても、ミゲルは驚くほどにいつも通りだった。

 試練の話も、わざとらしく避けることもなく、普通に話題に上らせた。無理に気負っている様子も無く、ヤナとの今後を考えていることが窺える。


 オリアナはそれを頼もしく思い、そして悲しくも思った。


(ヤナもだけど――ミゲルはそれで、良かったのかな)


 いつも聞いて貰うばかりで、ミゲルのことを何も知らない事に気付く。


(ミゲルには、好きな人はいなかったのかな……お父様の望んだ通りに進んで、それで満足してるのかな……)


 けれどそんなことを尋ねれば、彼の決断を軽んじることになるだろう。


 結局何も言えず、たらこスパゲティと一緒に、オリアナは言葉を飲み込んだ。




 ついにオリアナが食堂を出るころになっても、ヤナは顔を出さなかった。


 もしかしたらヤナは食事を取れていないのかもしれないと思い、調理場にお願いして、サンドウィッチを持たせてもらうことにした。


 サンドウィッチが入った籠を持ち、女子寮が見えるところまでヴィンセント達に送ってもらったオリアナは、一人になるとローブの前をかき抱いた。


 マフラーをしてくれば良かったと考えていた時、ガサリと女子寮の横の茂みから人影が出てきた。


 悲鳴を飲み込んだ自分を、オリアナは褒めてあげたかった。しかし、つい放り投げてしまったサンドウィッチは、もしかしたら上下が逆さまになっているかもしれない。


「っ――! アズ、ラクッ……!」


 そこにいたのは、褐色の肌に黒色の髪を持つ、アズラクだった。

 昼に別れてからずっと見かけなかったが、ようやく女子寮に来てくれたのだ。


「ヤナね? 待ってて。すぐに呼んでく――」


「その必要はない。ヤナ様には会うつもりはない」


「アズラク……」


 喜び勇んで女子寮を駆け上ろうとしたオリアナは、ぐるんと振り返った。アズラクの表情から本気を読み取ったオリアナは、サンドウィッチの入った籠を拾って、アズラクと向き合った。


「退学手続きを済ませてきた。もう、すぐに出る」


(やっぱり、本気だったんだ……)


 オリアナは愕然とした。凪いだ海のような、落ち着いた表情を浮かべているアズラクに、追いすがるように近付く。


「護衛は、どうするつもりなの?」

「心配いらない。元々、自分一人では無かった。草を――他の護衛を忍ばせている」

「そうだったの……」

「ヤナ様もご承知の上だ。……だが、エルシャには悪いことをした。ヤナ様といる間、エルシャのことも見張っていたようなものだから」

 アズラクの物言いにオリアナは笑った。


「警護してくれてたんでしょ? むしろ助けられてたんだね。ありがとう」


 オリアナが笑顔を見せると、アズラクは眉根を寄せて、申し訳なさそうな表情になった。


「エルシャ。感謝を伝えに来た」


 声色の真摯さに、オリアナはびくりと体を揺らした。


「この五年間、ヤナ様のお心を慰めてくれ、心から感謝している」


 言葉の隅々に、ヤナへの愛が詰まっていた。

 オリアナは震える唇を一度ぎゅっと噛むと、気丈に顔を上げた。


「……まるで、ずっとのお別れみたいだよ」


 冗談めかして言ったのに、アズラクは顔を歪ませた。


「私は国を去る。ここに来ることも、もう無いだろう」

「……国を? それは、アマネセル国を、ってことよね?」

「エテ・カリマだ」


 オリアナは愕然とした。アズラクは魔法学校から去り、さらには国にも戻らないつもりなのだ。


「そ、そんな……名誉なんでしょ? 負けたからって、怒られたりしないんでしょ?!」


「いられるはずもない」


 きっぱりと言い切ったアズラクの声には、自嘲が滲んでいた。

 ハッと息を呑んだオリアナを見て、アズラクが苦笑する。


「すまない。忘れてくれ」


 オリアナは自分の前髪をくしゃりと握った。


 アズラクの気持ちは、知っているつもりだった。けれどきっと、オリアナが思っていたよりもずっとずっと、深かったのだろう。


 エテ・カリマ国にいつかミゲルと戻ってくるかもしれないヤナを、待つことが出来ないほどに。


「――エルシャ。どうか怒らないで聞いて貰いたい」

「うん?」


 泣くのを堪えているために、声がうわずっている。

 だがアズラクは聞かなかったふりをしてくれた。


「この五年間。自分はエルシャを、同志のように思っていた」

「怒らないでね。私もだよ、アズラク」


 アズラクはヤナの身を――そしてオリアナは、ヤナの心を守り、支えていた。いや、そのつもりだった。


「ごめんねアズラク。私は、傍仕え失格だ。ヤナに、泣いてもらえないの」

「ヤナ様が泣く必要など無い。俺が去る感傷など、直に消える」


(そんなわけ無いのに)


 言ってしまえれば、どれほど楽だっただろう。けれどヤナは、最後までアズラクに伝えなかった。それを、オリアナが伝えていいはずも無い。


「エルシャには、ずっとヤナ様の友人でいて欲しい。いついつまでも、支え合っていてほしい。もし、我儘が許されるなら――最後に、あの日の貸しを返してくれ」


『――頼れる人がアズラクしか思い浮かばなくってさあ』

『かまわないと言っている』

『ありがと~。恩に着るよ……この借りは必ず返すからっ……!』

『大げさだな』


 こんな未来を想像さえしていなかったあの頃に交わした約束が、オリアナの脳裏に駆け巡った。


(なんでこんなに、前回と違うことばかりが起きるんだろう)


 前回は、オリアナが死ぬまで試練の結果が出ることは無かった。

 彼らは二人で舞踏会に出席し、ヤナが言っていたとおりワルツを踊らず、壁際で料理を食べて楽しそうに過ごしていた。

 だからオリアナは漠然と、試練の結果が出るのはもっとずっと後のことだと、そう思っていたのだ。


(どうして、私はもっとちゃんと……二度目の人生を上手く立ち回ってあげられなかったんだろう)


 後悔ばかりが胸を襲う。オリアナは自分を叱咤して、懸命に笑った。


「私はヤナに嫌がられない限り、ずっと友達だよ――でも、パンツの色をバラされちゃ困るから、ヤナに嫌がられても、追いすがることにするね」


 下手くそな笑顔で言えば、アズラクも笑ってくれた。


 堅物に見える彼だが、思えばいつでも、ヤナとオリアナには笑顔を向けてくれていた。二つ上だからか、いつも姦しいヤナとオリアナを見守ってくれて、いつも助けてくれた。


 そんな彼が、別れの礼をとる。


「では、どうか――」


 続く言葉は、ヤナの事だったのだろう。何を言おうとしたのかはわからなくても、それだけはわかった。


 気持ちを受け取るつもりで、オリアナは首を縦に振った。


 涙が溢れる。


(やだな、やだよ……やだな!)


 去って行くアズラクの後ろ姿が、どんどんとぼやけていく。


「アズラク、またね……また、またね!!」


 心のままに叫ぶオリアナに、アズラクは一度振り返り、手を振ってくれた。


 そのまま、彼は夜の闇に消えていった。





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