第50話 星の守護者 - 06 -


 午後の授業に、ミゲルは来なかった。


 授業が終わるチャイムを聞くと、オリアナは先生への挨拶もそこそこに、ヴィンセントを引きずって教室を出た。東棟にある、小さな談話室に連れて行く。


 突然のオリアナの暴挙にも、ヴィンセントは文句も言うことも無く、驚くほどすんなりとついてきた。


 談話室に入ってドアを閉めると、ヴィンセントは訳を尋ねた。


「どうしたんだ。こんなところまで連れてきて」

「二人きりになりたかったの」

「ふたっ……」


 ヴィンセントの言葉が途切れる。

 オリアナがヴィンセントの手を繋いだからだ。


 過剰なスキンシップは嫌がられるとわかっていても、今は許して欲しかった。


 息を呑むヴィンセントの手を、ぎゅううと強く握りしめる。胸の中で荒れ狂う衝動をどうしていいのかわからない。


 驚きにか、硬直していたヴィンセントは、繋がれていない方の手をうろうろと宙をさ迷わせた後、繋がっている二人の手を遠慮がちに叩いた。


「……こういうことは、もうしばらく待つべきだ」


 ヴィンセントの語尾が、うわずったように少し掠れている。低く心地がいい声にオリアナは首を横に振った。


「待てない」


「……オリアナ」


 ヴィンセントが弱り切った声を出した。オリアナの腕を、慈しむようにそっと撫でる。オリアナが見上げると、ほんのりと頬が赤く染まっていた。


「ヴィンセント……」

「ん?」


 心を羽根でくすぐるような、柔らかい声に泣きそうになった。くしゃりと顔を歪めたオリアナを慰めるように、ヴィンセントの指先がオリアナの髪を梳く。


「あのね、ミゲルが――」


「はあ?」


 途端に、夢から覚めたような声をヴィンセントが出した。


 びっくりしたオリアナは、ヴィンセントを見つめたまま、ぱちぱちと瞬きをする。


「ど、どうしたの」

「……何故この流れでミゲルが出てくる」

「どの流れで? そもそも、ミゲルの話をしたかったのに」

「なっ……ここで、二人でか?」

「そうだけど」


 ヴィンセントは苦虫を百匹、口の中に突っ込まれたような顔をして、オリアナを見た。睨み付けていると言ってもいい。


「……ミゲルの、何の話だ」


 先ほどまでの優しい声とは真反対の、ギスギスとした厳しい口調だった。

 ドスンと、ヴィンセントが一人用のソファに腰掛ける。オットマンをずるずると引きずり、ヴィンセントの隣に持ってくると座った。


「だからミゲルが」

「ああ」

「アズラクに勝っちゃったって話っ!」


「――ミゲルが?」


 予想もしなかったのだろう。ヴィンセントはさすがに驚いた顔をしてオリアナを見た。


「何故、そんなことに……」

「お父様にお尻叩かれたんだって。それで、試合をしたら、勝っちゃったらしくって!」

「オリアナは試合を見ていたのか?」

「見てない。勝ったところに居合わせたの。アズラクが……」


 オリアナは言葉が続かずに、首を振った。ミゲルに膝をついていたアズラクを思い出し、胸が詰まったのだ。


「こんな結果、誰も望んでないのに……」


「……望む望まないは関係ないだろう。そうなるべくしてなった。元々は、マハティーンさんが校内に持ち込んだものだ。彼女が試練を受けていなければ、ミゲルも挑戦することは無かった」


 ヤナのことを思って、オリアナが動転していると気付いているのだろう。ヴィンセントの冷静な視点に、オリアナは口をへの字に曲げた。


「二人は納得していないのか?」


「……してるように、表向きは言ってる」


「なら、それが時を経て、真実になるのを待つだけだ。僕たちに出来ることは何も無い」


 昼休みからずっと我慢していた涙が、ぽろぽろとこぼれ始めた。ヴィンセントが言っていることが、途方も無い真実だと、心よりも先に頭が理解する。


「なんで、こんな事になっちゃったの……」

「そんなに悲しまないでくれ。きっとマハティーンさんはこれまでと同様に君と親しくするだろうし、ミゲルはいい夫になるだろう。夫捜しをしていたマハティーンさんにとって、ミゲルはそれほど悪い条件では無いはずだ」

「そうかもしれないけど……」


 納得がいかない声を出したオリアナに、ヴィンセントは硬い表情を向ける。


「ならなんだ。君が、個人的に気に食わないのか?」


 厳しくて、鋭い声だった。

 ヴィンセントのいうとおり、オリアナは自分が納得できないから、こうして全然関係の無いヴィンセントに当たり散らしているのだ。


「君のペアになったのは誰だ? ミゲルじゃない。僕だ」


「……そんな話、してない」

「君がしている」

「してない! ……ヤナの話をしてるの! アズラクが、国に帰っちゃうんだって!」


 ヴィンセントは予想した流れと違ったのか、不意を突かれたように押し黙った。


「――ザレナが? 何故? 彼は彼女の護衛だろう。主人の側を離れるとは思えない」


「だって、言ってたもん。別れるみたいに……国に帰るのかって。大義であったって……」


 オリアナがオットマンに足を載せ、膝を抱えた。涙がどんどんと流れてくる。


「ヤナ、傷ついちゃうよ。見せてもらえないの」

「そうか……」

「見せてもらえなきゃ、慰めることもできない」


「……そうだな。エテ・カリマの慣習については僕もまだ疎いから、よくはわからないが……それは、心細いだろうな」

「うん」

「いつも以上に、オリアナがそばにいてやるといい」

「うん」


 オリアナは、鼻をすすりながら頷いた。


『貴方に、今すぐ進むべき道を決めろと言っているのでは無いわ。ただ、貴方が迷っているその瞬間だって、私は傍にいるのよ、って言ってるの』


 以前、ヤナにもらった言葉を思い出す。


(ヤナも、こんな気持ちだったのかな……私たちは、お互いに詳しいことを何も知らない。話さないまま、ここまできてしまった。だから、本当の底にまでは、触れ合えない)


 ヤナは傍にいると言ってくれた。きっとそれは、ヤナがオリアナにできる最大のことだったのだ。


 一度目の人生を隠しているオリアナに、ヤナは傍にいることしか出来なかったのだ。


 そして、ヤナに恋心を隠されているオリアナは、やはり傍にいることしか出来ない。


「――ザレナとマハティーンさんは、もしかして」


 ヴィンセントの声に、オリアナがびくりと肩を揺らした。

 恐る恐るヴィンセントを見たオリアナに、彼は苦笑を見せた。そして何も言わずに、オリアナの頭を撫でる。


 オリアナは、また涙を浮かべた。


 きっともう、こんなに温かい手がヤナの頭を撫でることは無いのだと、気付いてしまったからだった。





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