第34話 最高の誕生日 - 05 -
焦れるほどゆっくりと歩いていても、ヴィンセントは急き立てることはなかった。同じ歩幅でオリアナの隣を歩いてくれている。
ヴィンセントがオリアナを見下ろした。そして理解しがたい、という顔をして尋ねる。
「……あんな格好で、何をしていたんだ」
「酒池肉林」
「しゅ……しゅち……?!」
「冗談だよ。ヤナの国の伝統に倣って、庭で宴を開いていたの。パジャマパーティーだから、参加者はパジャマだっただけだよ」
ヴィンセントは典型的な貴族だ。もちろん悪いことでは無いが、慣習を蔑ろにすることを嫌う。きっと気に食わないだろう。
案の定ヴィンセントは渋面を作った。何か言おうと口を開き、閉じる。そして赤らんだオリアナの顔を見た。
「飲んでいるのか?」
「ほんの少し。女子はパパが許したものだけ」
「本当に?」
尋ねながらも、ヴィンセントは答えを知っているようだった。
十七にもなって、子どもが親の言うことを四角四面に聞くはずが無いことを、彼も経験則として知っているのだろう。
「――内緒にしててね。ほんとは、ほんの少し、ミゲル用のも舐めさせて貰ったの」
「僕は今、子どももいないのに、全国の父親の苦悩を知った気分だよ」
共犯者の笑みを浮かべた後に、ヴィンセントは苦笑した。
「制限するにはそれなりの理由がある」
「男の子はミゲルだけだったし、周りには使用人が沢山いたんだよ?」
「相手が僕じゃ無い限り、百パーセント安全とは言い切れない」
なんて言い草だ。本当に父親のようなことを言い出した。
「じゃあ今度は、ヴィンセントを誘うわ」
「そうしてくれ」
鼻で笑われると思っていたのに、ヴィンセントは頷いた。驚いて顔を見ると、やけっぱちな表情をしている。
年相応のヴィンセントの表情に、オリアナは言葉がつかえる。
「ほ、本気の本気の本気で誘っちゃうからね??」
「いいよ」
「そのいい、は、いいですよ、のいい? それとも、誘わなくてもいい、のいい??」
「しつこい。僕はもう帰る」
今までちんたら歩くのに付き合ってくれていたのに、突然ヴィンセントが大股になった。
「待って、待って待って。誘っていい、の、いい、なのね! ありがとう! ヴィンセント! 言質をとったから!」
ヴィンセントの腕を掴み、両足を地面で踏ん張って、引き留める。必死なオリアナを振り返り、ヴィンセントはくしゃっと笑った。
「ああ」
「――死ん゛じゃ゛う゛……!!」
(思わず好きっていうとこだった……めっちゃ好きかよ……いやめっちゃ好き……)
禁止されている「好き」を言うわけにもいかず、かといってこの感情を自分だけではどうすることも出来なかった。オリアナは手をわきわきさせながら、苦悩の表情で身を捩る。
瀕死のモンスターのようになっているオリアナを、ヴィンセントはどこか呆れた目で見た。
「君はそれが素だったんだな……」
「素? 素って?」
「僕のそばにいるために、無理して好意を伝えていたのだろうと思っていた」
「好き、って?? 無理して言うにはハードルが高すぎる言葉じゃない??」
「そうだな……」
無理していても無理しなくても、あまり嬉しいことでは無いと思っているらしい。ヴィンセントの表情から伝わってきた。
オリアナはヴィンスを愛していた。
だから、当然ヴィンセントも好きだった。
そして、ヴィンセントの与えてくれる言動一つ一つにも「好きだな」と強く感じる。出会ってからずっと「好き」は増える一方だ。
(なのに言えない。辛すぎる)
ヴィンセントの傍にいたければ、オリアナは友人として許された距離感を守るしかない。
先ほどまでの、身からはじけだしそうな喜びが、しゅんと萎む。
いつの間にか、ついに馬車まであと数歩というところまで来てしまっていた。
(もうたったの、これだけしか一緒にいられない)
今日別れれば、またしばらく会うことは出来ないだろう。始業式がこれほど待ち遠しいのは初めてだった。
御者が馬車の扉を開けるのを合図に、ヴィンセントはオリアナに告げる。
「ここまでありがとう。寒いから、もう屋敷に――」
「ヴィンセント!」
別れを切り出されそうなのが怖くて、焦って勢いだけで叫んでしまった。
既に馬車に意識を向けていたヴィンセントは、ゆっくりとオリアナの方に体を向けた。
「ん?」
優しい声だった。
こんなに優しいヴィンセントの声を聞いたのは、初めてかも知れない。
涙がにじみそうになる。
彼は、オリアナの言葉を待ってくれている。
こんな貴重で、尊くて、優しい時間を、オリアナは知らなかった。
必死に涙を堪え、オリアナは無理矢理笑った。
「あのね。私、今日誕生日なの」
「そうなのか」
ヴィンセントが心底驚いた顔をする。馬車に目を向け、先に座って待っていたミゲルが手を振るのを見て、苦々しい顔を浮かべる。
「なるほど……僕はミゲルに感謝しなければならないようだ。誕生日おめでとう、オリアナ」
「ありがとう。今日会えて嬉しかった」
「僕もだ」
「それでね、ええと……お誕生日プレゼント、ちょうだい?」
時間を引き延ばすために、苦し紛れに言った言葉だったが、ヴィンセントは心底申し訳なさそうに顔を歪めた。
「すまない。身一つで来てしまって、今は持ち合わせが……後日必ず用意しよう」
「駄目。いや。今日もらう」
「……何か、望むものがあるのか?」
貴重なヴィンセントの困り顔に、オリアナは胸をきゅんとときめかせた。これだけでも、引き延ばした甲斐があるというものだ。
だがオリアナはヴィンセントの困った顔を見て、ピンと閃いていた。
(ほしいものなら、見つかった)
「うん!」
「何だ?」
「今日だけ、好きって言わせてほしい!」
できる限り、真剣な声にならないよう、明るい酔っ払いを装ってオリアナは元気に言った。
オリアナはにこにこと笑う。ヴィンセントが、友情に厚い男だと知っている。勝利は確信していた。
案の定、困った顔を更に困らせたヴィンセントが、参ったように言う。
「……絶妙に断りにくいところを突いてくるな」
「えへへ」
「褒めていない」
「えへへ」
けれどやっぱり、ヴィンセントは断らなかった。
オリアナは表情を隠すように少し俯くと、ヴィンセントのコートをきゅっと掴んだ。もう少し首を傾ければ、ヴィンセントの胸にあたる。それはさすがに、友情範囲外だ。
「ヴィンセント」
「ああ」
「大好き!」
「……ああ」
できる限り、感情は込めなかった。
ヴィンセントが「好き」を受け取ってくれたことだけでも、涙が出そうなほど嬉しかった。
「……誕生日、おめでとう」
ヴィンセントは途方に暮れたような声で言うと、オリアナの頭を撫でた。慎重な手つきだ。どこまでが友情かを、計りかねているように感じた。
ヴィンセントが撫でやすいように、オリアナは更に下を向いた。ぶるりと体が震える。嬉しさが、つま先の先から、頭まで、一瞬で駆け抜けた。
「えへへ……」
この愛が滲み出さない内に、誤魔化すために笑った。
***
エルシャ邸のポーチから、馬車が走り出すのを、オリアナは手を振って見送った。
最高の誕生日だった。
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