第33話 最高の誕生日 - 04 -


「お嬢様。玄関にお客様がいらっしゃってます」


 夜も更けた頃、まだ庭で飲んでいたオリアナに、執事が話しかけてきた。


「お客様? こんな時間に、私に?」

「やんわりとお断りしたのですが……では客間にと勧めても、すぐに帰るからと固辞なさっていて……」

「わかった。すぐに行く」


 オリアナが立ち上がると、酔いで少しばかり体が揺れた。オリアナを心配したミゲルが咄嗟に手を伸ばす。


「大丈夫?」

「うん。じゃあごめん、ちょっと席外す。すぐ戻るね」


「ゆっくりしてきていいよ」

「ええ~? 私抜きで何のいいことする気なの?」


 手を振るミゲルに笑って言うと、オリアナは執事と共に室内へと戻った。




***




「わぁ〜〜〜!!??」


 庭から屋敷に戻り、正面玄関まで歩いている最中に、オリアナは悲鳴を上げた。


 執事は驚いて立ち止まり、オリアナを振り返ったが、その場にオリアナはもういなかった。

 ウサギが跳ねるよりも速く執事の横を通り過ぎ、玄関にいる人物に飛びかかっていたからだ。


「ヴィンセント〜!?」

「オリアナ、なんて格好でっ――!」

「なんで!? どうして!? わー! やったー! 嬉しい〜!」


 走ってきたオリアナを難なく受け止めたヴィンセントは、目を白黒させながらオリアナの背を叩くと肩を押し、体を引き剥がした。


 またしがみつこうとしたが、腕を突っ張られて止められる。友人となり、基本的に過剰な接触は禁止されていたが、たまにしがみつく許可をもらえることもある。しかし、今日は完全にNGのようだ。その表情は厳しく、突っ張った腕は頑固として曲がらない。


 舌打ちしてオリアナが引き下がる。ヴィンセントはあからさまにほっとした。自分の上着を脱ぎ、パジャマ姿を隠すように、オリアナの肩にかける。


 その様子で、オリアナは自分が着ていた服を思い出した。ヴィンセントのかけてくれたコートを開いて、パジャマを見せつける。


「見てこれ。可愛くない? おニューなの」

「ああ、可愛い可愛い」


 顔を逸らして目を閉じたまま言うヴィンセンスに、オリアナが詰め寄る。


「見てないよね?? ちゃんと見て??」

「もう見た。わかった。とても可愛い。頼むから前を閉じてくれ」


 薄目でちらりと見てまた目を瞑ったヴィンセントに、仕方無くオリアナは従った。パジャマと言っても露出が高いわけでもない、ただのルームウェアだ。


(せっかく、いつもは見てもらえない私を見てもらおうと思ったのに)


 オリアナが渋々従ったのが表情から伝わったのだろう。前をしっかりと留めたオリアナに、ヴィンセントが苦笑を向ける。


「先触れもなく、夜分にすまない。ミゲルがまだお邪魔していると聞いて……」

「ヴィンセントならいつでも大歓迎だよ。ミゲルに用事? 呼んでこようか?」

「あいつ、本当にまだ……すまなかった。すぐに連れて帰る」


 ミゲルに用事があったのか。オリアナは後ろで待機していた執事に目線を配る。執事は心得たように礼をし、庭に向かった。


「ミゲルが来るまで、客間で待とうよ。温かいのと冷たいの、どっちがいい?」

 飲み物を用意させようとするオリアナに、ヴィンセントはかぶりを振った。


「いや、すぐに暇する」

「急いでるの?」

「もう夜も遅い」

「気にしないのに」

「気にしてくれ」


 どうやら折れなさそうだ。オリアナは玄関にある長椅子に座り、隣の席を叩く。ヴィンセントはやむを得ず、オリアナの隣に座った。


「ねえ、レモンのマフィンはいつ食べたの?」


 ミゲルが来るまで、二人きりだ。オリアナは足をぶらぶらさせながら聞いた。ヴィンセントが目を見開いてオリアナを見る。


 椅子は短く、二人の距離はかなり近い。ヴィンセントが顔をこちらに向けた際に、肩と肩が触れあった。


「もう読んだのか」

「もちろん。とっても嬉しかったよ。お返事ありがとう」


 もう読んでいるとは思っていなかったのか、ヴィンセントはまごまごとした。


「……食べたのは、昨日だ」

「え? じゃあ本当に急に、王都に帰って来たんだね」

「……まあな」


 ヴィンセントは渋い顔をして唸った。

 昨日書いたという手紙には、まだあと二週間ほどは領地にいる予定だったはずだ。


「ミゲルが必要な用事だったの?」

「そうとも言える」

「またそうやって、ふわふわした返事なんだから」


 小さく息をついて唇を突き出すと、ヴィンセントが狼狽える。


 その時、執事がミゲルを連れてきた。


「よっ、ヴィンセント」

「ミゲル……。君まで、なんて格好を……!」


 ヴィンセントが立ち上がり、のんびりやってきたパジャマ姿のミゲルに頭を抱えた。


「思ってたより早かったな。今日は間に合わないと思ってた」

魔船路ませんろの最終便に無理矢理ねじ込んだ」

「そんな慌てて来なくても良かったのにー」

「君がエルシャの家に泊まるだなんだと、手紙を送ってきたんだろうっ……! 迷惑をかけているのかと思って――」


 どうやらミゲルが迷惑をかけていると思って、慌てて来たようだ。


(そんなことのために、わざわざ領地から??)


 ぽかんとしてオリアナはミゲルとヴィンセントを見た。


 確かに今日、ミゲルは泊めるつもりで引き留めていた。


 晩餐会や舞踏会が頻繁に行われる社交界で、屋敷に客人が宿泊することは珍しいことでは無い。


「ミゲル、帰るぞ」

 聞いたことも無いほど低い声で、ヴィンセントが言う。


「え、やだよ。俺、お泊まりの許可もらってるし」

「帰るぞ」

「えー」

「……」

「ちぇっ」


 ミゲルは不服そうな顔をすると、体をぐるんとオリアナの方に向けた。


「じゃあなオリアナ。また学校で。ヤナとアズラクにもよろしく言っといて」


「あ、うん。たいしたおもてなしも出来なくて……?」


 突然の流れについていけていないオリアナを、ミゲルは喉で笑った。そしてオリアナの耳に顔を近づける。少しお酒くさい吐息とともに、小さな声が届いた。


「オリアナ、ハッピーバースデー」


 オリアナは目をぱちぱちとさせた。


 そしてミゲルの言葉の意味がわかると、体中に鳥肌が立つほどの喜びが駆け巡る。


「ミゲルッ……!! 貴方って、本当に最高っ……!!」


「知ってる」


 オリアナは親愛の意味を込め、できる限りの笑顔を返す。


(最高の、誕生日プレゼントを貰ってしまった)


 ミゲルは今日、誕生日のオリアナのために、ヴィンセントを呼んでくれたのだ。なんて幸せな誕生日だろう。


 ヴィンセントを領地から連れ出すために、どんな内容を手紙に書いたのかオリアナには検討もつかないが、ミゲルの巧妙な作戦が成功したことだけは確かだ。


 上機嫌に口笛を鳴らしながら、ミゲルが屋敷から出て行った。正面のポーチに停めてある、ヴィンセントの馬車のもとまで行ったのだろう。


「では僕も」


 二人の意味深な会話を不機嫌そうに聞いていたヴィンセントが、オリアナに形ばかりの別れの礼を取る。


「待ってヴィンセント。馬車まで見送る」


(このまま別れたくない)


 数歩の距離しかないが、そんな短い時間でも、二人で一緒にいたかった。


 つい勢いで言ってしまったが、断られるだろうと思っていた。だが意外にもヴィンセントは小さく頷く。


「……では、頼もうか」


「……うん!」


(喧嘩って凄い。仲直りってすごい。友達って凄い)


 これまでいかに自分が無理矢理彼の隣にいたのかを、まざまざと思い知らされた。今までの彼なら決して、同行を許しはしなかっただろう。


 執事が持ってきたカーディガンを受け取る。借りていたコートを脱いで、ヴィンセントに返したオリアナは、カーディガンを素早く羽織って外に出た。


 後ろをヴィンセントがついてくる。


 木枯らしが吹き、冬の風が頬を撫でる。


 泣きたいほどの幸福感が、オリアナの胸に広がった。





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