第20話 掛け違った想いの在処 - 02 -


 ヴィンセントと喧嘩をした。


 前の人生を合わせても、初めてのことだった。





「意味わかんない……三秒前までは、マイスウィートダーリンは天使だ! って思ってたのに」


 しくしくしく、しくしくしくしく。

 ベッドにごろんと横になり、丸めた毛布に抱きつきながら、オリアナは真っ赤な目で泣き濡れていた。


「あら。追い払ってもらわないとね。泣き女バンシーが住み憑いてるわ」


 二段ベッドの下に敷いた、異国情緒たっぷりの絨毯の上で柔軟をしていたヤナがおどけて言う。


「貴方達の不仲は、第二クラスまで届いてるわよ」


 まだ喧嘩して一日も経っていないというのに、ヴィンセントとオリアナが仲違いしているという噂は、瞬く間に広まった。


 それもそうだ。これまで学校の授業時間内は片時も離れずにヴィンセントの傍にいたオリアナが、彼から離れて行動している。誰もが驚き、二人に注目していた。


「一体全体、あの紫竜大好きオリアナ・エルシャに何があったんだって、他のクラスの子達にまで聞かれる始末」

「お世話になってます……」

「いいのよ。聞きたければアズラクに勝ちなさいと言ったら、誰一人聞いてこなくなったから」


 そんなことに試練の勝負を使っていいのだろうか。罰当たりにも感じたが、オリアナは利口だったので、口を閉ざしていた。


 めそめそ泣き続けるオリアナの上に、ヤナの背が乗る。そのままぐいーっと柔軟を続けている。器用なものである。


「でもまあ私にも、彼らに言えることは無いものね。私も貴方から、何も聞けてないんだから」


 非難を帯びている声に、オリアナはびくりと体を揺らした。密着しているヤナは気付いているだろう。長い藤色の髪がオリアナのベッドに広がる。


「口を割る気にならないの?」

「悪役の台詞だよ、それ」

 ヤナが体を動かし、全体重を背中の一点にかけてきた。


「痛い痛い痛い!」

「生意気な村娘にはこうよ」


 ヤナが王女の笑みを浮かべる。オリアナはベッドの上で、ぐでーっと伸びた。


 ヤナは、ヴィンセントが来年の春に死ぬ可能性があることも、オリアナが二度目の人生を生きていることも知らない。そのため、「ヴィンセントからもう好きって言うな、と言われた」としか伝えていない。


「洗いざらいなんて言わなくていいわ。聞きたくも無い。ただ、貴方がどう思っているのかだけ、聞きたいのよ」

「どう思ってる、っていうのは?」

「女としての自分を否定されて、これからどうするのかをもう決めたのか、って話よ」


 女としての自分を否定された――言葉にされるとダメージがでかくて、オリアナは「う゛っ」っと呻いた。


「まだ恋人になろうと努力するのか、友達でいつづけるつもりなのか、距離を置くのか」


「……傍にもいてほしくなさそうだった」


「それは、タンザインさんの事情ではないの?」


 オリアナは困った。


 ヴィンセントに「勝手にする」と啖呵を切ったくせに、実のところオリアナは、二度目の人生を始めて以来――ヴィンセントのために生きてきたと言っても過言では無いほど、彼を中心に生きていたために、自分がどう動きたいのかも、よくわからなくなっていたのだ。


「でも、ヴィンセントの嫌がることはしたくない……これは、私の意思」

「そうね」


 背中合わせだった体をくるりと回して、ヤナはオリアナの背に寝そべった。オリアナの髪を手慰みのように弄びながら、立てた足をぶらぶらとしている。


「……私はね、オリアナ」

「うん」

「貴方に、今すぐ進むべき道を決めろと言っているのでは無いわ。ただ、貴方が迷っているその瞬間だって、私は傍にいるのよ、って言ってるの」


 言っていて恥ずかしくなったのか、ヤナはオリアナの髪からパッと指を離すと、手をクロスしてオリアナの肩に顔を伏せた。首をいくら捻っても、もうヤナの表情は見えない。


「……ヤナ」

「なあに」

「今度パジャマパーティーしよう」

「いいわね。今度と言わず、今夜にしましょ」


 腕で抱えるほどの大きなアイスをアズラクに用意させるわ、そう言ってヤナは、オリアナのベッドから降りた。




***




 次の日もその次の日も、ヴィンセントの機嫌は悪かった。

 ただし、オリアナに対してのみ、不機嫌さは発露された。


 他の生徒とは和やかに話しているのに、オリアナに対してだけ、全ての感情を忘れ去ったような、儀礼的な対応しかしないのだ。


 一度、勇気を出していつもの席に座ってみたが、ヴィンセントは全くこちらを見ようとしなかった。反対隣のミゲルか、前ばかりを見ている。声をかけても無視。ミゲルが仲裁してくれようとしても無視。大人げないぐらいに、無視。


 下手に出ようと思っていたオリアナも、これにはへそを曲げた。


 ヴィンセントが怒った理由なら、わかっている。


 オリアナがヴィンセントの言い分を呑まずに、「好きにする」と意地を張ったからだ。


 けれどオリアナだって、ヴィンセントの命令を聞いてばかりはいられないのだ。好きな人の傍にいるのは、オリアナの自由だ。


 それでも良心がチクチクしてしまうのは、ヴィンセントが「嫌だ」ということをし続けている、という点だった。


(ヴィンセントは、もう私はいらないって言ってた……。「好き」って、言われたくないとも)


 落ち込んだ顔を見せて同情を引くのは、嫌だった。


 その授業の間だけ隣に座り続けたが、次の授業からはヴィンセントの隣に座るのが辛くなって、避けた。


 その、次の授業では、もう違う子が座っていた。あろうことか、その生徒は女子だった。ヴィンセントの親戚筋の女の子、シャロン・ビーゼルだ。


 成績優秀なシャロンは、前回の人生でもヴィンセントと同じ特待クラスだった。

 シャロンは幼い頃からヴィンセントと家族ぐるみの付き合いがあり、一時期は婚約していたという話も、ヴィンスから聞いていた。


 隣が取られたのを見た時、座れないとわかりホッとした気持ちと、切ない気持ちが同時に沸いた。


(あの席は元々、私だけのものじゃない、って。わかっていたはずなのに)


 ヴィンセントが嫌がっているにもかかわらず、勝手に、図々しくも、居座り続けていただけだ。


「エルシャさん、こっち、こっち」


 何処に座るか決めるため、教室をうろうろしていると、上の方から声がかかった。奥の席で、手招きしている男子生徒だった。湾曲した机が並ぶ教室は、後ろへ行くにつれ、階段状に高くなっている。


「ターキーさん。ありがとう」


 ひとまず、席は決まった。オリアナはデリク・ターキーの隣に向かう。彼とは授業を通して何度か話をしたことがある。顔見知りと思っていいだろう。


 今回の人生は、あまりにもヴィンセントしか目に入れずに過ごしてきたため、クラスの他の人と深い付き合いをしていない。


 胸を張って友人と呼べる人間は、ヤナぐらいだ。ミゲルももしかしたら、顔見知りよりはちょっと友人寄りと言っても、怒られないかもしれない。アズラクも、きっと笑って聞き流してくれるだろう。


 デリクの傍に行くと、すぐに複数の生徒に囲まれた。驚くオリアナに、我先にと質問が飛び交う。


「なあ、なんでタンザインさんの隣に座らなかったんだい?」

「タンザインさん、怒ってらっしゃるの?」

「もしかして、振られちゃった?」

「喧嘩してるだけじゃないの?」

「もしかしてタンザインさんって、シャロンと付き合うことにしたの?」


 どの質問にも、オリアナは小さく肩をすくめるだけに留めた。どの質問も返事がしにくく、また説明したくも無かった。


 そして、最後の質問にかなり大きな衝撃を受けていた。

 シャロンと付き合うことになったという考えは、今の今まで考えても無かったからだ。


(そっか……私が傍にいることで、ヴィンセントの恋を潰していた可能性もあるのか)


 今までは、使命があったし、元恋人のヴィンセントの隣にいることは当たり前だからと、隣にいる意味をあまり深く考えていなかった。


(それもあって、私に好きだって言われたり、傍にいられたく無かったのかも……)


「まあまあ――ほら。先生来ちゃうよ」

「あ、ほんとだ」

「エルシャさん、また後で聞かせてね」


 曖昧に笑い続けるオリアナを不憫に思ったのか、デリクが助け船を出して、集まった生徒達を席に戻してくれた。


「一気に話しかけられると、びっくりしちゃうよね」

 デリクは人なつっこい笑顔で、オリアナが返事を出来なかった理由を作ってくれた。

 誰もが「ヴィンセントに振られた女」と見ているオリアナを不憫に思ってくれたのだろう。


「ありがとう」

「いや、先生が来そうなのは本当だったし……ほら来た」


「はぁい、始めるわよ。悪たれどもー」と言いながら、占星術学のジスレーヌ先生が入ってきた。


「教科書、広げようか」

「うん」


 穏やかな会話に、微かに頷く。


「今日はちょっと魔法史学の話から……あー……頭いった……」

「先生、大丈夫ですか?」

「だいじょばないー。二日酔いが……」


 頭を押さえたジスレーヌ先生の大きな胸が、教卓に載った。男子生徒達が姿勢を正す。隣のデリクも背筋を伸ばしたのを見て、オリアナは自分の胸を見下ろした。


 無いことはないが、載るほどではないだろう。


「そんで、そう。神話から入るわよ。――占星術学と神話はすごく結びつきが深いっていうのは、もう皆知ってるわよね。皆もよく知ってる、”竜の審判”も元々は星座からとった話よ」


 ”竜の審判”とは、アマネセル国に伝わる神話だ。


 ――その昔、竜は人間にひどく怒ったことがあるという。


 竜の加護に守られている立場である人間が、竜木を深く傷つけたからだ。


 竜にとって人間は、人間にとっての猫のようなもので、基本的には何をされても本気で怒るような対象では無い――が、竜木を傷つけることは、彼らの誇りを傷つける事に繋がる。


 そこで竜は、二人の恋人にいくつもの苦難を与えた。竜の繰り出す難題は非力な人間にとって困難を極めたが、恋人は手を取り合って”竜の審判”を乗り越えた。


 その”竜の審判”を物語にした一つ一つが、アマネセル国の星座として、空に広がっている。


「最後の苦難で女が飛び降りたとされる滝がタキ座、水の流れを表す星を、左から――」


 ジスレーヌ先生の話を聞く振りをしながら、オリアナは視線を下げた。

 前の席に座るヴィンセントの後頭部がよく見える。彼は微動だにせず、しっかりと前を見て、ジスレーヌ先生の話を聞いていた。


 後ろに座るオリアナを気にする素振りもない。

 気になっているのはいつも、オリアナだけだ。


(私の目的を知ったヴィンセントは、今なら……診査さえすれば、私を引き剥がせると思ったのかな)


 胸がズキリと痛んだ。ヴィンセントの隣に座る、長い金色の髪の後頭部も、否応なしに視界に入る。


(……やだな)


 ヴィンセントが、オリアナから離れたがっていた事実も、彼が誰か他の女の子の近くにいることも、どちらもどうしようも無いほど、嫌だった。



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