第21話 掛け違った想いの在処 - 03 -



 ――たったの数日で、オリアナはヴィンセントに完全に近付けなくなってしまった。


 恋人だった頃のヴィンスは、オリアナに近付いてきた時から、好意を隠そうとしなかった。素敵な人に惚れられ恐縮し、最初の内は近寄りがたいと思っていたが、すぐにその意識は無くなった。

 きっと意図的に、ヴィンスがそういう風にオリアナを扱ってくれていた。


『やっぱ別世界っていうか、近寄りがたいよね』


 かつて、同級生達とした世間話を思い出す。


 あの時オリアナは「ヴィンセントも私達とかわんない、ただの十七歳の男の子だよ」と答えた。二度の人生を通して、あの時は本当にそう感じていた。


 でも、何故みんながヴィンセントに気軽に近付かないのか、彼から離れてみて初めてわかる気がした。


 近付きたい、と思う者にとって、ヴィンセントはとても遠く感じる。


 ヴィンセントは孤高なのだ。


 外から見るヴィンセントは、余裕が有り、上品で、完璧だ。何も欲していない。何も足りないところがいない。安易に近付いて許される理由が、見つけられない。


(一度目の人生の時は、近付きたいなんて思っていなかった……月を眺めるように、そっと見ていた。近付いてきた月は柔らかくて、温かくて、遠かったことなんてすぐに忘れた……)


 だが、いざ離れてみると、手を伸ばすことさえ馬鹿馬鹿しく思えるほどに、月は遠い。


 つい数日前までオリアナがいた場所は、変わらずシャロンが埋めている。なだれ込むように他の生徒も行くかと思ったが、そうはならなかった。


 オリアナが自習室で勉強していると、ヴィンセントとミゲル、そしてシャロンが入ってきた。離れた席に座ったが、同じ空間にいるのを気まずく思い、彼らにばれないようにそっと退出した。


(これからも、こんな惨めな時間を過ごすのかな)


 出てきた中庭のベンチに座り、足を伸ばしながら、オリアナはぼうっと空を眺めた。


(ヴィンセントの傍にいられないなら、無理して勉強を頑張る必要も無いのかも)


 ふと、そんなことを思う。


 元々、オリアナは勉強が好きじゃなかった。


 頭のいい人たちが当然に持つ、勉強に対する好奇心や執念、向上心と言ったものが皆無だった。ただただ、要領の悪い頭を何度も働かせて、微かに覚えている前回の人生の残骸を頼りに、必死に食らいついていただけだった。


(勉強を止めて、友達を作って……お化粧して。一緒に街に出かけたり、部活に入ったり……前の人生みたいに、そうして……)


 無意識に、膝を抱えていた。

 前の人生で培った全てのものを置き去りにして、後回しにして、がむしゃらに進んできたこの道が、何もかも間違いだったのではないかと不安になったからだ。


(辛いなんて、思っちゃいけない。その全てを合わせたものと比べても、ヴィンセントに生きててほしかったんだから……)


 そのことについて、オリアナは既に何度も自問自答している。それでもやはり、ヴィンセントを優先したのだ。覚悟は出来ている。


(これまでの努力を無駄にしたくない。……それに、ヴィンセントが本当に生き続けられるかも、まだわからない)


 もし勉強を止め、ランクが落ち、クラスが分かれてしまえば、まだ微かに残っているヴィンセントとの繋がりさえ、完璧に潰える。


 そうなってしまえば、彼が春の日まで無事に生き延びられるように、ただ遠くから祈ることしか出来なくなる。


(嫌だ……。たとえヴィンセントに避けられても、クラスメイトと馴染めなくても、同じクラスにだけはいないと……)


「オーリアナ」


 深く考え込んでいると、少し離れたところから声がした。驚いて、ぐるんと振り返る。


「ミゲル……!?」


 たった今、孤独に泣きべそをかいていたオリアナは、立ち上がってミゲルの方に向かった。両手を広げるミゲルの胸に、つい駆け込みそうになる。


 オリアナは無邪気だが、無垢では無い。

 好きな男以外の腕に飛び込むのが、世間的にも、精神的にも、居心地のいいものじゃ無いことを知っている。


 赤い三つ編みを揺らしながら、ミゲルが校舎から歩いてきた。ミゲルは柔らかな印象でつい忘れがちになるが、アズラクと同じほどの長身だ。

 オリアナの目の前にミゲルが立つと、咥えたスティックキャンディの棒を揺らしながら、不機嫌な顔を作る。


「はくじょーもん」

「ええ?」

「ヴィンセントと友達やめても、俺まで切ること無くない?」

「ミッ、ミゲルゥ!」


 人に飢えていたオリアナは、つい「好きぃ」と言いそうになってしまった。だが、言わないだけの分別はあった。ミゲルが女なら二百八十パーセントの確率で言っていた。


 ミゲルの友情に感謝したオリアナは、先ほど座っていたベンチにミゲルを誘った。


「私が淋しそうだったから、来てくれたの?」

「俺が淋しくなったから来たんだよ」

「これがっ……百戦錬磨のミゲルっ……!」

「何その、小説のタイトルみたいなあだ名」


 ミゲルがくしゃりと笑った。笑う拍子に、口に咥えたキャンディが揺れる。キャンディは、綺麗な夕日の色だった。


「お、飴いる? 俺が舐めてるのと、新しいのどっちがい?」

「新しいの」


 ローブの裾から出した色とりどりのキャンディの中から、オリアナは遠慮無く選んだ。平べったくて、濃い葡萄色の、甘そうなスティックキャンディだ。


「食いなよ」

「え、今?」

「甘いもん食った方が、不安にならんで済むよ」


(……ミゲルが言うと説得力あるなあ)


 ヴィンセントもだが、ミゲルも自分の精神をコントロールするのが上手い。オリアナは、ミゲルが声を荒げたり、怒ったりしている姿を見たことが無かった。


 封を解いて口に入れる。


 甘さがじんわりと口に広がって、そのまま目から溶け出した。


 舌を動かして唾液を出すのと連動するように、目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。


 眉を顰め、むっすりとした顔で真正面を睨み付け、オリアナは飴をゆっくりと舐めた。


 ミゲルはスティックキャンディを渡した後、何も言わずに隣に座っていた。ただ静かに隣にいて、オリアナが泣き止むのを待ってくれている。オリアナが泣くのが、当たり前のことのように、驚いてもいない。


「やばいミゲル……」

「どったの」

「私、今……猛烈にミゲルをパジャマパーティーに招待したい……」


 じゅるじゅると流れる鼻水を、ローブから取り出したハンカチで拭く。ハンカチはくしゃくしゃだったが、鼻水さえ拭ければなんだっていい。


 飴を咥え、涙を流し、鼻を真っ赤にして鼻水を拭いているオリアナを見て、ミゲルはへらりと笑う。


「えーやるー? 超行きたい。可愛いパジャマ買いに行かんと」


「ミゲルの髪の毛編み込みして、ヤナと一緒に可愛いパジャマ着て、アズラクが買ってきてくれる大っきなアイスクリームのど真ん中に、スプーン入れちゃおう……?」


「いいな、それ」


 本当に楽しみにしている、という風にミゲルが笑う。



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