第18話 砂漠の夜の星 - 02 -


 食堂の建物を出て、ベンチまで歩いた。適当なベンチに座ると、ヤナは手に持っていた虫籠を両手で抱えた。


「……まぁ……!」

「綺麗……」


 ヤナは感嘆のため息をついた。暗闇で見る、虫籠の中の蛍はあまりにも美しかった。緑とも黄色とも付かない光が、暗闇の中で濃く浮かび、飛び回っている。


 ヤナは虫籠を顔の前まで持ち上げる。彼女の黒々とした瞳に、蛍の光が映り込むほど近くで見ている。


「なんて美しいのかしら……まるで星を閉じ込めたよう」


 自分で言って、気付いたのだろう。男子生徒の不遜なメッセージに、ヤナはコロコロと笑った。


「私を閉じ込めておけると、思っている男は幸せね」

「ほんとね。国から飛び出しちゃうぐらいの、お転婆さんなのに」

「ふふ」


 ヤナは真珠のように美しい爪がついた指先で、ガラスをそっと撫でた。


「礼は、心を込めて伝えなくてはね。こんなに美しいものを見せて貰ったのだから」


 魔法学校の敷地内で、これだけの数を集めるのは大変だっただろう。オリアナは顔も知らない男子生徒を思い、そっと頷いてやった。


「オリアナ。この子達を放したいわ。ここでもいいの?」

「放しちゃうの?」

「ええ。小さい生き物は、命も短いのよ。こんなに必死に、次の命を守るために光っているのだもの。自由にしてあげたいわ」


 それに、とヤナは笑った。


「飛んでいる蛍が、私を閉じ込めておけると思った不遜な彼の目に留まったら、面白いでしょう?」


 飛ぶ大量の蛍を見た時、カシュパル某は自分の失恋を悟るだろう。かわいそうだが、縁がないものを期待させ続けるのも酷だ。


 オリアナ達は、食堂のすぐ脇にある小川に移動した。ヤナはそこでガラスの戸を開け、虫籠から蛍を出してやる。蛍は我先にと虫籠から飛び出した。

 それはまるで、空まで続く一本の星の川がかかったような、神秘的な光景だった。


「綺麗ねえ、オリアナ……」

「本当。ヤナのおかげで、いい物見せてもらっちゃった」

「ふふ。礼にキスぐらいしてあげるべきかしら」

「ええっ!?」


 ぎょっとしたオリアナの前に、スッと人が入り込んだ。誰かなんて、考えなくてもわかっている。アズラクだ。


「恐れながら、それほどの名誉とは……」

「まあ。ならどのぐらいなら許されると思う?」

「せいぜい名をお呼びになり、労う程度でしょう」

「なら、名を覚えてあげてもいいわね」

「お呼びになる、程度です」

 コロコロと、本当に楽しそうにヤナが笑う。


 夜空に溶けていった蛍が、最後の一匹まで見えなくなると、ヤナはオリアナの腕を取った。ヤナのほっそりとした指先も体も、どれだけ寄りかかられても重くない。


 勉強とヴィンセントに必死で、今回の人生は女友達と呼べる子があまりいない。

 そんな中、以前の人生と変わらず、ヤナがオリアナを気に入り、懐いてくれるのは、オリアナにとって嬉しい誤算だった。


「また見られるかしら」

「そうだねえ。また夏になれば」

「夏にしかいないの?」

「うん。暑くなりすぎると消えちゃうから、今の時期かなあ。竜木の近くとかのほうが、空気が綺麗だし多いかも」

「そうなのね。また見に行きたいわ」

「じゃあ、来年は竜木まで見に行ってみよっか」

「いいわね。じゃあ、タンザインさんも誘ってあげましょうね」


「わーい」と大きな声で喜ぶべきだったのに、あまりにも不意打ちに言われ、オリアナは固まってしまった。そんなオリアナを「ふふふ」と笑って、ヤナが頭を撫でてくる。


「オリアナ。舞台に立ったなら、ちゃんと幕が引くまで、役者でいなきゃだめよ」


 ヤナには、前の人生のことは、何も伝えていない。オリアナは、人目もはばからずヴィンセントに好意を向けるほど大好きだと、ヤナは思っているはずだ。


(いや、大好きなのは大好きなんだけど……ええい! なんだ! どこでどうばれた!?)


 ふふふ、と笑う美しいヤナに、何かをつっこめる気がしなくて、オリアナは「ふぇあい……」と張りの無い返事をした。




***




 女子寮まで戻ると、入り口でアズラクが別れの礼をとる。


「アズラク」

 いつもはアズラクを労うとすぐに別れるのに、ヤナは今日、珍しく彼を引き留めた。


「何でしょう」


「聞いておきたかったの。お前に、蛍の求愛の話を聞かせたのは、誰?」


 背後から照らす女子寮の光のせいで、ヤナの表情はオリアナからは見えない。


 それはアズラクもきっと同じだろう。彼は静かな声で、一人の女生徒の名前を告げた。オリアナも当然知っていた。かつてオリアナがいた第二クラス――今の、ヤナ達のクラスメイトの名前だったからだ。


「そう。話を聞かせただけ……では無いわね。受け取ったの?」


「はい」


「そう、悪い子」


 自分のことはラーゲン魔法学校の屋根よりも高く棚上げして、ヤナは笑った。だが、誰が反論できようか。相手はヤナ様なのだ。平伏するしかない。


 喧嘩が始まったりしないだろうかと、ドギマギしながらヤナとアズラクを見ていると、アズラクがふっと笑った。


「仕置きをいただきたく、申し上げました」

「まあ、驚いた。お前ってば、本当に悪い子だったのね」


 ヤナはわざと驚いた顔をして、アズラクのおでこをペシンと叩いた。たいした痛みもないだろうに、アズラクは額に手を当て、顔を伏せる。


「今日もご苦労だったわ。よく休んでちょうだいね」


「ヤナ様も……。エルシャ、また明日な」


「えっ!? あ、うん。ごめん、なんか! ごめんっ!」


 気を利かせて、ちょっと離れていればよかったとオリアナが気付いたのは、ヤナが触れた額を愛しそうにアズラクが撫でたのを見た後だったのだから――もう、もうしょうがないのだ。


 本当に、長いこと生きてたって何一つ理解してやしない。許してほしい。すまなかった。






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