第17話 砂漠の夜の星 - 01 -
『私が嫌なら、もう近付いたりしないから』
咄嗟に口走った己の言葉を思い出し、オリアナは自室で一人、バクバクと暴走する心臓に手を当てていた。
東塔の談話室からヴィンセントと共に食堂に向かったが、一緒にいることに対して、嫌みは一つも言われなかった。
きっと、他の重大な真実によって、あの言葉をヴィンセントは忘れてしまったのだろう。
忘れてくれて良かったと、オリアナは天に感謝した。
そしてもう一つ、自分が忘れない内に、天に感謝を捧げた。
(信じてくれるとは、思わなかったなあ……)
ヴィンセントはあの後、体の精密検査をしてくれることをしっかりと約束してくれた。
ヴィンセントは、彼がずっと「法螺話」といっていたオリアナの話を、信じてくれたのだ。
オリアナだって、こんな経験をする前に「死んだ後に、もう一度同じ人生を送っている」なんて言われたら、信じなかったに違いない。
嬉しくてしょうが無くて、ヴィンセントに感謝を告げるために抱きつこうとしたが、断固として拒否された。
(最近は抱きついても諦めモードだったのに……)
オリアナはヴィンセントのぬくもりと匂いが恋しくて、しばらく泣いた。ヴィンセントの目の前で。ヴィンセントはしらけた目で、オリアナを見下ろしていた。悲しい。ケチだ。でも好き。
(でも、嬉しかったな……)
報われるわけが無い努力だった。
ヴィンスのために苦労をしている、なんて思ったことは無い。けれど、ヴィンセントにわかってもらえたことが、これほどまでに安心するとは、考えてもいなかった。
(頑張ってて、よかった)
オリアナはまた泣いた。
嬉し涙は、しばらくの間止まってくれなかった。
***
「ねぇ、オリアナ」
パチパチとヤナが瞬きをする。そのたびに、彼女のぱっちりとした瞳を縁取る大量の睫毛がファサファサと揺れる。
ヴィンセントとのことを思い出していたオリアナは、ハッとしてヤナを見た。ソファに座ったヤナは、膝の上に何かを持っている。
「どうしたの? それ」
「たった今、ここにいた方にいただいたのよ。オリアナ、気付いてなかったの?」
オリアナとヤナは、食堂の建物の中にある大きな談話室で、食後の休憩を取っていた。食後の眠気も手伝い、物思いに耽っていたオリアナは、ヤナが誰かに話しかけられているのにも気付かなかったようだ。
「ごめん。考え事してた……わぁ、蛍だ」
「蛍? これは素敵なものなの?」
ガラスで出来たドーム型の虫籠を持ったまま、ヤナは困惑気味にオリアナを見た。人から物を貢がれ慣れているヤナは、プレゼントを受け取ったものの、これを喜んでいいのか、嫌がらせと思えばいいのか悩んでいたようだ。
虫かごの中に入っていたのは、たくさんの蛍だった。
光っていても、明るい場所ではただの虫にしか見えない。
この様子では、ヤナの故郷には、蛍がいないのだろう。大量に虫を詰められた籠を渡されても、困惑してしまうのはしょうがないとも言える。
「素敵だと思う。私は好きだよ」
「そう。なら、今度お会いした時に、もう一度礼を言わなくてはね。アズラク、誰だか覚えているわね?」
隣に座るアズラクに当然のように尋ねたヤナに、彼もまた、当然のように頷いた。
「五年生のカシュパル・ハーポヤでした。今度見かけたら声をおかけます」
「ありがとう。頼んだわ」
ヤナは虫籠を持ち上げ、ガラス越しにしげしげと見ている。
「ほんのりと光っているのね。魔法陣を付けているの?」
「ううん、この虫は……あー、えっとぉ」
(蛍が光るのって確か、求愛のためだったよね……これはつまり、カシュパル某が、ヤナに求愛した、ってこと? 試練の門番、アズラクの目の前で?)
腕っ節に自信がないため、ロマンティックな方向で愛を伝えようとしたのかもしれないが、中々度胸のある男である。
言いよどんだオリアナに、アズラクが助け船を出す。
「確か成虫は交尾のために光り、互いを呼び合っているという話を聞いたことがあります」
オリアナは咳き込んだ。平民ではあるが、そこそこお上品に育てられた箱入りだ。「交尾」なんて言葉は、あまりにも聞き慣れていない。
そういえばこの間、最悪なことにオリアナの下着の一種が飛んでいってしまった時、誰を頼っていいかわからず、恥を忍んでアズラクに頼んだのだが、彼は眉一つ動かすこと無く取ってくれた。
顔を真っ赤にしたオリアナのために無表情でいてくれたのだと思っていたが、もしかしたらそういう話に強い耐性があるのかもしれない。
確かにアズラクは無表情だが純朴そうではなく、むしろどこか退廃的な色気を持つ。
二つ年上ってすごい。いや、オリアナなんて、前の人生をあわせればもっと年上なのだが。
「まぁ……そうなの。こんなに小さいのに、大変ね」
ヤナはぽかんとして、蛍を見た。なんだかいたたまれない。
「ヤ、ヤナ。せっかくだから、外に行かない? 暗いところの方が蛍が綺麗に見えるよ」
「そうなの? 是非見たいわ」
にこりと微笑むと、ヤナはすっと立ち上がった。立ち上がるだけの所作でも、それはそれは見事な美しさだ。ローブを払う手の、小指の先まで洗練されている。
オリアナとヤナが並んで歩くと、アズラクが続いた。基本的に、オリアナとヤナが女子寮以外で一緒にいる時は、このポジショニングだ。
最初の内は戸惑ったが、前の人生も含めて八年目にもなると、アズラクが後ろにいてくれる安心感を甘受するほどには、図太くなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます