第5話 やり直しの四年生 - 03 -
視線を感じて、何気なく左を見ると、ヴィンセントが目を細め、じっとこちらを見ていた。
目が合うと、ヴィンセントはばつが悪そうな顔をする。
何故そんな顔をされたのかわからず、オリアナは訝しみながら彼の手元に視線をやると、強い夕日が窓から照らしている。
「――眩しいんですか?」
「……自意識過剰だな」
「え? あ、ごめんなさい?」
何に対して詰られたのかはわからないが、オリアナは咄嗟に謝ってしまった。
「あんまり眩しければ、席代わりますよ?」
夕日が目に差し込むからこちらを向いているのだと思ったオリアナは、席替えを提案した。あの光の差し込み方では、手元も随分と見にくいだろう。
親切心から尋ねたオリアナに、ヴィンセントは一瞬ぽかんとすると、頬を夕日のように赤く染めた。背景の、窓から見える景色と同じ色だ。
「ぐっ……ふっ……」
変な声が聞こえて、オリアナはミゲルを見た。ミゲルはオリアナに借りた辞書を立て、顔を隠して机に伏せている。
不審に思い、声をかけるために口を開いたオリアナを遮るかのように、ヴィンセントが「ミゲル」と名を呼んだ。
「ごめ……」
「ミゲル」
「悪かったって」
顔を上げたミゲルは、目の縁の涙を拭っていた。表情からして、笑いを堪えていたのだろう。今の会話でそれほど笑いどころがあっただろうかと、ぽかんとしてオリアナはミゲルを見た。
「沈黙は金なり」
「うるさい」
子どもっぽく悪態をつくと、ヴィンセントは顔を背けた。
(うるさいって言った……あのヴィンセントが……うるさいって……)
こんな彼を、オリアナは一度目の人生でも見たことが無かった。きっとミゲルにしか見せていない表情だったのだろう。
他の誰にも見せていなかった表情を見せてもらえた嬉しさから、オリアナは頬を緩ませた。
「えへへ……」
「何を笑って……」
「嬉しくて」
「だから、何に――いいかい。勘違いしないでほしい。別に僕は君を見ていたわけじゃ……」
「え?」
ぱちぱち、と瞬きするオリアナの横で、ヴィンセントは肘をついた両腕で頭を抱えた。何か大きな失敗をしたらしい。ミゲルは再び、辞書の向こうに顔を隠して、肩を震わせている。
オリアナはミゲルとヴィンセントを見比べて、重傷そうなヴィンセントに顔を寄せた。
「……ヴィンセント?」
小声で呼ぶと、むすっとした声が返ってくる。
「……なんだ」
その返事に、オリアナは息を呑んだ。名前を呼ぶのを、拒絶されなかったからだ。
むずむずとして、オリアナは手を差し伸べた。髪に触れると鋭いまなざしで睨まれる。
「そこまではまだ許していない」
「はい、閣下」
(そこまでは――ということは、「ヴィンセント」と呼ぶことまでは、許してくれたんだ)
緩む頬を抑えきれず、オリアナは両手で自分の頬を引っ張った。
それでもどうしても我慢ができずに、噛みしめた歯の隙間から、「ふへへ」とだらしない笑い声が漏れる。
「……君は、懲りないな」
ヴィンセントが、ふっと笑った。久しぶりに見た柔らかい笑みに、オリアナは息もできないほどに驚く。
浮き出そうになる涙を堪えるために、バッと勢いよくミゲルを見た。
「見た?! ミゲル?! 今の!? ようやっと、ヴィンセントが私にほだされようと!」
ミゲルはようやく辞書の中から這い出てきたかと思うと、八重歯を見せて笑った。
「見た見た」
「やだ嬉しい……あんな笑顔見せられちゃ、私、今晩眠れないかも。嬉しい。好き。ヴィンセント! 好き!」
真っ赤な頬を両手で包み、身をくねらせるオリアナに、ヴィンセントは顔をしかめる。
「笑ってなどいない。ほだされてもいない。君があんまり懲りないから……」
「そうですよね、わかっています。わかっていてもきゅんとする」
「何なんだ君は――」
ヴィンセントが呆れたように口を開いたが、すぐに口を閉じた。
どうしたのかと、彼の視線の方向を見て、オリアナは「あっ」と声を漏らした。
「元気いっぱいのようね。貴方たちは、自習室よりもお外で体を動かしてくるほうが、あっているんじゃないかしら?」
自習室の監督をしていたウィルントン先生が、オリアナの隣で腕を組んでいた。三人は、これ以上の叱責を食らう前に机の上の物を片付けると、大慌てで自習室を飛び出した。
***
自習室から逃げ出した三人は、中庭で息を整えた。
あたりは随分と暗くなり始めている。
オリアナはローブの裾から、ガサゴソと折りたたみ式の
魔法灯と共に持ち歩いている、魔法陣を描いた小さな紙に、杖をあてて魔力を少し注ぐ。ふんわりと光が滲み始めた魔法紙を、魔法灯の中に入れる。
魔法カーン文字で{光}と描かれていた魔法紙は、オリアナの魔力によって淡く光る。この{光}の魔法は、授業時間外に扱うことを許されている魔法の中で、一番日常的に使う魔法だった。
手持ちの魔法灯を掲げると、明かりが三人を照らした。ほのかな明かりで一息つく。
乱れた制服の裾をパタパタとはたき終えると、ヴィンセントは前髪をかきあげた。
「全く……今日は一日、何から何まで君のおかげで賑やかだ」
「本当にその通りですね。ごめんなさい。責任取ります。結婚しましょう」
「悪かった。すまなかった。頼むから頭を上げてほしい」
頭を深々と下げ、片手を突き出したオリアナから、ヴィンセントはじりじりと距離を取った。
「はいかうんかイエスって言ってくれるまで、上げません!」
「やめないか。端から見たら、僕が君を脅迫しているみたいじゃないか」
実際は真逆なのだが、離れている人たちには会話の内容まで聞こえないのだろう。ざわざわとざわめき始める。
ヴィンセントの隣で、ミゲルが口元に手をやり、声を殺して笑っている。
「大体、公爵夫人に興味は無かったんじゃ無いのか」
「この場合、結果として”公爵夫人”になっちゃうだけで、私が”ヴィンセントのお嫁さん”に興味が無いわけないじゃないですか」
「……だからっ君は――」
眉を顰め、怒りからか頬を少し赤く染めたヴィンセントを見て、オリアナは潮時を悟る。
「ごめんって、ヴィンセント」
「謝るようなことじゃない」
「ほんと? 嬉しい。好き! じゃあ、夕食前に一度寮に戻りたいから、帰るね。また
休みの日である
学生であるオリアナ達は概ねこの通りに動いている。種から葉までは授業があるが、花と実は授業は休みだ。
ただ、教室以外の施設は休日も開放されている場所もある。自主的に勉強をしたり、暇な先輩や先生に教えを請うたりする生徒もいる。
今生のオリアナにとっては、休みの日はヴィンセントに会えない可能性の方が高いため、授業がある日のほうがありがたかった。
「じゃーあーねー!」
女子寮に向かったオリアナが振り返り、ヴィンセントとミゲルに手を振った。持っていた魔法灯が、ゆらゆらと揺れる。
ミゲルは大きく手を振り替えしてくれ、ヴィンセントは「ああ」と言って、小さく手を上げてくれた。
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