第5章 ⑥『幸介の願い、シャロの思い』


 二三時を過ぎれば、さすがに人の通りも少なくなり、俺が再び大きな木のある広場に来る時にはそこに人はおらず、道中も見かけることはなかった。ただ一人、銀髪の少女を除いて。


 子供はこの時間はもう眠っていてもおかしくはない。これからサンタさんがプレゼントを届けてくれるのだから、起きているわけにはいかない。だけど、カップルともなれば話は別だろう。イルミネーションだなんだを見るにはいい時間ではないだろうか。だというのにどうして全然いないのかと思ったが考えてるうちに答えが出た。せや、いあつら今頃ラブホや。


「来てくれたんだね、幸介くん」


 大きな木はクリスマス仕様でイルミネーションの装飾が施されている。夜にはライトアップされてそれは中々きれいなものであるのだけれど、俺はその木を見て驚きのあまり目を見開く。


 イルミネーションとは別に、ふわふわと光が木の周りに浮いている。そして、木自身も光を放っている。人工的ではない、何か特別な力が働いているように思える。光に集まるホタルのようだった。その光景はあまりにも現実離れしていて、幻想的なものだった。


 この光が、魔法の力だということは、シャロに聞くまでもなく分かった。


「ああ、約束だからな」


 そんな木の下で、木に手を添えながらシャロは俺の方をじっと見つめてきた。


 自ら光を放つ大きな木、その周りに浮かぶ光、そしてその下にいる銀髪の少女は何とも絵になる光景だった。思わず見惚れてしまったが、不意に聞こえたシャロの声で我に返る。


「……さすがに寒かったよ。この時間ってこんなにざぶいんだね」


 声を震わせながら、自分の体を抱く。ガタガタと震えるシャロを見ているだけで寒さが伝わってきた。俺は結構厚着してきたけど、シャロはさっきと変わらずサンタ服だけだ。夜になれば温度は下がるし、昼間に比べて寒くなるのは分かっているんだから、対策して来ればよかったのに。


「今日は聖もテンション高くてな、なかなか寝なかったんだ」


 聖は基本的に生活習慣が一定で、早寝早起きを体現してる。朝は七時には起きて準備を始めるし、夜は一一時には布団に入る。速い時は一〇時に練る時もあるほどだ。しかし、今日は調子の良い日だったようで、一一時を過ぎても寝付かなかったのだ。


 結局俺がここについたのは、三〇分を過ぎた頃だった。


「まあ、いいだけどね」


 とは言うも、えらく寒そうなので場所を変えようか提案しようとしたが、シャロはここで何かをするつもりなのだ。ならば、あんな薄着で来たのは自業自得に他ならない。


「聖ちゃんはどうだった? クリスマス、楽しんでくれてた?」


「ああ、それなりに。言いはしないけど、すぐ態度に出るからなあいつ。実は結構分かりやすいんだ」


 家に帰ってまず驚いたのは、聖がサンタの帽子を被っていたこと。それに関して一切何も言ってこずに、それが当たり前のように最後まで被っていた。クリスマスツリーはライトアップされてチカチカ光っていたし、料理もいつもよりいっそう気合いが入っていた。


 何だかんだで楽しみだったんだなということが、ひしひしと伝わってきた。


「それはよかった。うん、楽しんでくれたか」


 優しい表情を浮かべてシャロは顔を伏せた。シャロなりに、聖に対して罪悪感を抱いていたのかもしれない。聖側がどう思っているのかはともかくとして、それでも一方的にでもシャロはきっと持っていたんだろう。


 自分のせいで、大事な聖の思い出を奪ってしまったと。


 だから、少しでも楽しんでくれたことに、きっと安堵しているのだ。そんなこと、思わなくてもいいというのに。


「さて、それじゃあ時間もないし、始めようか。最後のお話」


「時間がないって?」


 クリスマスになってしまうとかそういう意味だろうか、それが何か問題なのかは分からないけれど、このタイミングで言うんだ、何もないということはないだろう。俺は素直に従うことにする。


「サンタクロースと魔法使い、それからこの魔法の力についてはさっき話したとおりだよ。後悔してもどうしようもないから前を向いて話を進めるね。今までの不幸も全部、これからふっ飛ばすんだから」


 言いながら、シャロは光を放つ木を見上げる。


 きっと、この光景とこれからシャロがしようとしていることには何か関係があるのだろう。あいつはこれから、それを教えてくれるのだ。


「わたし達の魔法の力は、みんなの思いの力を原動力としている話はしたことあったよね?」


 シャロはそう話し始めた。俺はそれに無言で頷く。


「だけど、その力は人を不幸にしてしまう。その認識は少し違ってね、正確にいうと足りない分を不幸の力で補っているんだ。誰かが不幸になった分、マイナスエネルギーが蓄積されてね」


 違うのだろうけれど、足りない魔力分を生命力で補うといったような、よくある漫画での設定で例えるならばそんな感じだろうか。自分なりの解釈で何とか理解して話についていかなければ。


「でも、この聖夜の夜だけは違う。ほんとうの、奇跡の魔法があるんだよ。ご先祖様には成し得なかった、誰もが幸せになる魔法を起こすことができるんだ」


 シャロのご先祖、サンタ・クロースは一番最初に魔法を使った人物とされている。


 自分の魔法の本当の怖さを知らずに、奇跡を起こす力だと信じて皆に振る舞った。しかしその結果、関わる人々を不幸にしてしまったのだ。サンタ・クロースは自分の無力さを悔やんだ。


 誰とも関わらないでいれば、知られないまま隠れた英雄となっていれば、もしかしたら不幸になる人はいなかったかもしれない。だけど彼は、感謝されることを覚えてしまったのだ、その喜びを。人々の温かさを、笑顔に囲まれる嬉しさを、感謝される喜びを、一人では味わえなかったそんな感情を知ってしまって……。


 それは間違いではない。


 サンタ・クロースは笑っていたはずだ。なのに、一瞬にして、その幸せを奪われてしまって、再び孤独に戻ってしまって。


 果たして彼は、幸せだったのだろうか?


 その答えは、誰にも分からない。


「どういう意味だ?」


 そしてもし仮に、魔法の力が進化していたとしたら。


 月日を重ね、何度も何度も失敗することで学び、そうすることで本当に奇跡を起こせるというのならば、サンタ・クロースもきっと報われるだろう。


「そのまんまだよ。この日に限って、世界には幸せなエネルギーが充満している。わたしが余計なことをしたせいでマイナスエネルギーを抱える人だっているだろうけれど、それを上回るだけの思いが、溢れているんだ。それを使うことで、わたしは奇跡を起こせる」


 クリスマスの日、人々の願いを叶えるサンタクロース。


 それはイメージからなるもので、本当はプレゼントを渡して笑顔にするというもの。願いを叶えれているのかは分からないし、そもそもプレゼントを渡すのも結局は親なわけだ。


 だけどもしほんとうに、人々の願いを叶えれるとするならば、誰かが不幸になることもなく皆が幸せになれるのだとするならば――。


 それはまさしく奇跡と呼べるのではないだろうか。


 サンタ・クロースが成し得なかった、みんなが笑顔になれる未来ではないだろうか?


「それを今からするってことか?」


「そう、ここで、この木を使ってね」


 言って、シャロはポンポンと木を叩きながら見上げる。自分の何倍もある大きさの木は、俺もシャロも、ここら一体を見渡しているようだった。


「この木は何か特別なものなのか?」


 奇跡を起こす魔法の木とでも言うのだろうか? 昔の記憶はそこまでないけど、俺が小さい頃にはこの木は既にあって、今もなお高く高くそびえ立っている。どれだけ昔からのものかは分からないけど、何か意味あるものなのだろうか?


「ううん、普通の木だよ。ただ、その魔法を発動するためには、これくらいの大きな木が必要なんだ。エネルギーを周りに放出するだけの、高くて大きな立派な木が。それに関して言えば、この子ほど頼りになる木はないね」


 それは銃弾を飛ばすための鉄砲であったり、マグマが火山から溢れ出るような、そんな感じなのだろうか。要はエネルギーの発射台ということか。


「……」


 それからそんな素晴らしいことをするというのに、シャロはどうしてそんなに悲しい横顔を見せるというのだ。木を見上げるシャロの横顔はどこか儚げで、何かを失ってしまうと理解しているような悲しげな表情だ。いつものような子供っぽさはない、大人のシャロだ。


「どうして、それを俺に?」


 それを俺に言う必要はどこにある?


 そんなすごい力がある。どうだ魔法使いって凄いだろう、なんて為だけに教えたとは思えない。魔法の力はもう信じている。サンタクロースと魔法使いの関係も知った。その魔法の力が人々を不幸にしてしまうことも分かった。


 最後まで話してくれたのは嬉しいことだ。でも、何かが引っかかる。それだけではない、何か大事なことがまだどこかに隠れているような、そんな感覚。


「それは、幸介くんはわたしにとって特別だからだよ」


 シャロはまっすぐ俺の目を見る。決して逸らさずに、自分の気持ちを伝えるために、ただまっすぐに、じっと。


「幸介くんには不幸なことがなかった。それは幸介くんが特別な存在なんじゃないかって話をさっきしたね?」


 聖から電話がかかってくる直前のことだった。その時、シャロは何かを言おうとして止められたのだ。あの時の続きが、この今だということか。


「そのとおりだったよ。幸介くんは、わたしにとって特別な人。だから、きっと特別な存在であることに違いないんだ。それが不幸を避けた理由になるかはともかく、この話をしたのはきみが特別だったから」


「なんで、俺だけが」


 俺が一体何をした? シャロに対して、何か特別なことをしたか? 特別なにかをした覚えなんてない。俺はただ。


「幸介くんは、わたしにたくさんの笑顔をくれたよね。初めて会った時、わたしをバカにしたように笑って、二度目は確か野良犬に囲まれている時だったかな? まるでヒーローだった。それからだね、関わりを持ったのは。三度目はそのすぐ後、わたしはそのとき自分の力を明かした。誰にも知られてはいけない秘密だったけれど、きみになら言ってもいいと思った。思い返せば、その時には既にきみのことを特別に感じていた」


「そんなこと、別に他のやつだって……」


 何も俺だけの話ではないだろう。こいつは外見はいいし、寄ってくる男子はたくさんいるだろうし、そいつらは俺以上に優しくしてくれるだろう。助けたのも気まぐれだし、そんな信頼されることなんて、何もない。


「きみは、誰かの幸せを心の底から願える人だよ。それは裏を返せば誰かが困っているのを見逃せないということ。人は誰かを助ける時、何か行動する時、その裏には下心が伴っているけれど、きみは純粋に人を助けようとした。温かい人だよ」


 俺は一歩下がる。


 シャロが放つ言葉一つ一つが自分に刺さってくるようで、心が痛む。嫌なわけではない、そんなことを話してくることに不安感が増幅してしまう。なんで突然、そんなことを言ってくるんだよ……。


「こんなことを思ってはいけないんだろうけれど、それでも正直に言うと、この世界の誰よりも、幸せになってほしいのはきみなんだよ、幸介くん……わたしにたくさんのものをくれた幸介くんに、何か返してあげたいと思った」


 だから、とシャロはさらに言葉を続ける。話すシャロは俯いており、表情を伺えない。お前は今、どんな顔をしているんだ?


「だからね、この話をするの。それだけ大切に思っている人に何も言わずに消えてしまうのは、たぶん失礼だと思うから」


 ……今、なんて言った?


 俺は思わず伏せていた顔を上げる。さっきまで俯いていたシャロはこちらをまっすぐと見つめている。その瞳は揺れていて、今にも涙が流れそうなほどに潤んでいる。彼女なりの決意が、そこにはあったのだ。


「消えるって、どういうことだよ? まさか、漫画みたいにほんとに消えるわけじゃないんだろ?」


「言い方が少し違ったかな。わたしの存在が消えるとか、そういう意味じゃないの」


「だったら……」


 どういう意味なんだよ。


 そういう意味ではないのに、消えるなんて言葉使わないだろ?


「みんなの記憶から、わたしの存在が消えるだけ」


 淡々と。


 冷たく重く。


 それがまるで何でもない日常会話の一環のような調子で。


 何の躊躇いもなく。


 シャーロット・クロースはその言葉を口にした。


「この魔法を発動させる最後のピースは、みんなの中にあるわたしの記憶なんだ。わたしがこの一年でいろんな人と関わって、優しくされて、怒られて、笑って、喜んで、遊んで、感謝して。そんなわたしの中の幸せな気持ちが、ピースなの」


「分かんねえよ……そんなの」


 シャロの言っていることが分からずに、頭の中がぐしゃぐしゃになる。シャロの中にある人との記憶、それが大事なのは分かったけど、それで記憶が消えてしまうのは、意味分かんねえ。


「魔法使いだからね。みんなとはちょっと体の作りが違うんだ。ごめんね、わたしバカだから、うまく説明できなくて……」


 ほんとうに申し訳なさそうに、シャロは俺に頭を下げる。


 違うんだ、俺は別に謝ってほしいわけじゃないんだ。俺はただ、何か別の方法を教えてほしいだけなんだ。


「黙っていたのは悪かったって思ってるよ。毎日が楽しくて、言い出せなくて……このままでもいいかなって思った。会わないまま今日を迎えて、魔法を発動して、明日にはみんなからわたしの記憶がなくなっている。その方が幸介くんにとっても幸せかなって思った。でもね、いやだったんだ。今日、幸介くんに見つかって追いかけられて、お話して、やっぱりちゃんと言うべきだって思った」


 そうだ。


 もしシャロの言っていることが本当だとするならば、魔法を使った明日には、みん

なの記憶からシャロの存在は消えている。


 聖も、桐島も、白木屋も、奈々絵さんも、商店街の人達も、みんなシャロのことを忘れているんだ。だけど、その中で唯一、俺だけはこの場に立ち会うことを許され

た。この話を聞かされた。


 それは、幸せなことなのか?


「……そうだよ、魔法を使わなければいいんだ。そうすれば、お前の記憶が消えることはない! そうだろ?」


 俺にしては名案じゃないか。そうすればいいんだ、シャロの言っていることから考えれば、そういう解決策もある。俺の提案に、シャロは目を伏せた。


「確かに、幸介くんのいうとおりだよ。そうすれば、わたしの記憶は消えない」


「だったら……」


 でも、と。


 シャロは俺の言葉を遮る。


「それはできないよ。わたしはサンタクロースなんだ。みんなの幸せを願う魔法使い。その役目として、今日この仕事をやり遂げないといけない。わたしだけの問題じゃないんだよ、この腕には何千何万、もっとそれ以上の人の幸せが懸かっている。そりゃ忘れないって結果があるんなら、わたしだってそうしたいよ。でもね、わたし一人の感情を優先していいことじゃないの。わたしは、サンタクロースだから」


 それが、シャロのサンタクロースとしての選択だった。


 俺が何を言っても、きっとその答えは揺るがない。頑固なやつだからな、覚悟を灯した瞳を見せた時、それはもう何を言っても揺るがない時だ。


「お前は、それで……幸せなのかよ? 誰よりも、みんなの幸せを願ったお前は、それでほんとうに幸せなのかよ!?」


 吐き出した言葉は、そんなくだらないものだった。


 答えなんて決まっているのに、幸せなはずなんてないのに……。それを言って、もしかするとシャロの心が変わるかもしれない、そんなくだらないことさえ考えてしまう。


 俺の分かりきった疑問に、シャロは口元を綻ばせる。


 なんで、そんな顔が出来るんだよ?


 幸せなはずないのに……だけど、シャロの答えは、俺が思っていたものとは真逆のものだった。


「幸せだよ」


 驚きのあまり、言葉に詰まる。


「っ……なん、で?」


「んー、幸せって言い方は違うかもしれないね。確かに、みんなの記憶から消えてしまうのは辛いことだよ。でも、そんな中でただひとつの救いは、わたしがみんなのことを覚えているってこと」


 それが、なんだって言うんだよ。例えお前が覚えていても、みんなが覚えていないと何の意味もないじゃないか……。


「例えみんながわたしのことを忘れても、わたしはみんなの幸せな顔を、その笑顔を見守ることができる。それを感じることが出来る。それが唯一の救いだよ。だから、わたしはこの役割を果たすことが出来る」


 シャロの瞳に、涙はなかった。


 だから、俺も決して流さない。


「俺らの気持ちは無視すんのかよ……お前のことを忘れたくない、みんなそう思ってるはずだ! 俺だって……っ」


 それが、お前の幸せなのかよ……。


 誰かが幸せであることを、眺めていられることが、こいつにとっての幸せなのか?


 そんな疑問を口にしようとしたけど、言葉にならなかった。


 だって、そう聞いても、こいつはきっと笑うだろうから。


 そういう奴なのだ。誰かの幸せを第一に願う、バカなやつなんだ。


「まあ、それは謝るしかないんだけどね」


 あはは、とシャロは作った笑いを見せた。


 なんで、そんな顔が出来るんだ……。俺は溢れ出てくるものを必死にこらえて、何とか耐えてるというのに。こんなことになるなんて、聞いてねえよ。


 シャロは申し訳無さなど微塵も感じさせない笑みを浮かべていたが、不意に俺の方を見つめる。じっと、あの優しい笑顔で。俺のことをまっすぐに。


「なんだよ?」


 俺が言葉を絞り出す。何とか出した言葉も、そんなものだった。もう、なんと言っていいのかも分からない。どうすることも出来ない。


「だいじょうぶ。例え忘れてしまっても、またきっと出会えるよ。だってわたしが幸介くんを覚えてるんだもん。だからね、わたしが声をかけたら、幸介くんはきっと同じように接してくれる。面倒くさそうに返事をして、わたしのことを子供扱いして、でもちゃんと話を聞いてくれて、信じてくれる。ね? だからわたしは怖くないの」


「そんなの分かんねえだろ。お前が思ってるほど、俺はいい人じゃねえぞ」


 何を根拠に、そんなことを言えるんだよ。何の保証もないじゃないか。なのに、何をそこまで信じ切ることが出来るんだ。


「だいじょうぶ。きみは、このわたしが惚れ込んだ男なんだから。自信持ちなよ」


 頬を朱色に染めて、まっすぐと俺を見つめるその顔は、今までにないくらいに美しくて、俺は言葉を失った。何も言えなかった。チカチカと光る球のようなものが、シャロを照らす。


 その時だ。


 大きな木が放つ光が、より一層強くなる。周りにあった光の玉が、木に吸収されていく。


「そろそろ、時間だね」


 シャロの言葉を聞いて、俺は慌てて時間を確認する。日付が変わるまで、もう五分もなかった。


「待ってくれ、俺はまだ……」


「そんな不安そうな顔をしないで。だいじょうぶ、またきっと出会えるよ」


「そんなの、分かんねえだろ! また会えるとか、そうじゃないんだ! 俺は今のお前のことを忘れたくないんだよ! 同じように接するとか、そんなんじゃない……今の俺はお前のこと忘れちまうじゃないか! それじゃ何の意味もないんだよッ! それに、本当に会える保証なんてどこにも……」


 その瞬間が迫ってきてる。


 そのことは、分かっていた。伝わってくる。シャロの覚悟が。あいつはもう決めているんだ。だから、何を言っても無駄なのも分かってる。でも、ここでそうですかと納得して笑って別れられるほど、俺も大人じゃない。


 今まで何かで蓋をされていたものが、一気に溢れ出てくる。


 気づけば声は震えており、瞳からは涙が流れていた。


「だいじょうぶ。わたしがそうするって言ったんだもん」


 なんでお前は……。


 悲しくないのかよ? 辛くないのかよ。全てを受け入れて笑っていられるなんて、そんなことあるのかよ……。


 シャロの軽口には、今まで散々悩まされてきた。俺を振り回して、俺だって迷惑だって思っていた。なのに、どうして、今はこんなにも温かいんだ。


 きっとそうなる、不思議とそう思えてくる。


 木に触れたシャロの体が、まるで光が移っていくように光を放ち始めた。ほのかに、少しずつだけど、それは徐々に強くなっていって。


 強くなっていくことで、終わりの瞬間を実感させられる。


 空から降ってくる雪は、光に当てられて輝いていて、なんとも幻想的な光景だった。


 魔法なんて、あってたまるかよ。そう思っていた。最後の最後まで信じられない気持ちもどこかにあった。


 皮肉なもので、この景色を見ることで、俺は魔法というものを心の底から信じることになったのかもしれない。


「ねえ幸介くん」


 光りに包まれたシャロが、俺の方を見る。


「今、幸せ?」


 その質問は、ずるいだろ。


 俺は即答することができなかった。答えは決まっているのに、だけどそれを口に出来なかった。幸せなはずがない。関わったのは短い期間でしかないかもしれないけれど、それでも大切だと心の底から思える奴を、失うんだ。


 幸せなはずない。


 そんなこと、お前も分かってんだろうが。


 でも。


「言わせんなよ。これから消えるってのに、何の迷いもなく幸せだって言う奴が目の前にいるんだぞ? そいつの前で、言えるわけねえだろ……」


「そう、だよね……ごめんね。最後にひとつだけ、いいかな?」


 最後なんて言葉、聞きたくはない。


 それを聞いて、答えてしまえば、ほんとうに終わってしまう。それは嫌で、俺はかぶりをふる。だけど、それで止まるシャロじゃない。


「覚えてるかな……初めて会ったときのこと。わたし言ったよね、きみの願い、なんでも叶えてあげるって。それが例え空を自由に飛びたいなんていうふざけた願いでも。分かるよね? 今なら、その言葉の意味が。そして、わたしはまだきみの願いを叶えていない」


「……それを叶えたら、終わっちまうんじゃ」


「言わなくても、この時間は終わっちゃうよ。永遠に続く時間なんてないんだよ。楽しい時間には終わりはある。だから楽しいって思えるんだよ」


 俺はあの時のシャロの言葉を思い出す。


 今でも鮮明に覚えている。浮かび上がる。


「だから、ね……」


 その時だ、シャロの瞳から涙が溢れてきたのは。


 我慢していたものが溢れ出て、自分でももうどうすることも出来ないのだろう。


 堪えれてなどいないのに、それでも我慢するように顔を強張らせて、シャロは言う。


「わたしのお願い、だよ。最後に叶えさせて? 幸介くんの願い……あの時の感謝をまだ、返せてないよ。ううんそれだけじゃない、今は、今までの、全部……ありがとうを、返したいの」


 ……俺の願い。


 思い返せばいつからだろうか、自分の要望を口にしなくなったのは。


 両親は妹を優先する。だから、いつしか家では俺の願いは叶わなくなっていたし、別にそれはそれでいいと思っていた。学校でも、俺は意見を通さなくなったな。


 いつからか、諦めていたのだろうか。


 叶わないならば、願っても意味がない。辛いだけだって。


「ねえ、幸介くん」


 だけど、この木は、この軌跡の魔法は、人々の願いを叶えてくれる。


 思いの力を原動力として、すべての人に平等に、幸せを与えるのだ。


「幸介くんの願いってなに?」


 たった一日だけの、聖夜の夜にだけ起こる奇跡の力。もしほんとうに、誰もが幸せで、笑顔になれる、そんなことがあるというのならば。


 今、俺が叶えたいことは。


 ――俺の、願いは。


「ばいばい、幸介くん。その答えは、きかないでおくね」


 光が大きく強く、広がっていく。


 あまりの眩しさに、俺は思わず目を瞑ってしまう。


 シャロは俺に、願いを意識させるために、さっきの質問を言ってきたのだ。俺が今、心の底から叶えたいと思えるものを。


 ほんとうの願い。


 それは――。

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