第3章 ④『嬉しい報告』
「ああ、やっぱ家はいい。暖かいし、頼めば好きなものが出てくるし、動かずとも動いてくれる人がいるし」
「ちょっと、私を便利な奴みたいな言い方やめてくれない? そんなこと言うんだったら、もう何もしないよ」
コタツの中で丸くなる俺に、聖はジト目を向けてピシャっと言い切る。それは困るので俺もそれ以上は何も言わない。呆れたように肩を落として、聖はリビングを出て行く。自分の部屋にでも戻ったのか、それともトイレか何かか。何でもいいやとこたつの中でぐてーっとしてると、再びリビングの扉が開く。
「こーすけ、電話」
てててと駆け寄ってきた聖が俺に携帯を渡してきた。猫でなくてもこたつの中にこもりたくなるし、これは一種の引きこもりであるのかもしれない。この魔力、恐るべしである。
「どこにあった?」
「トイレ。忘れるくらいなら持って入らなければいいのに」
どこにいったのか行方不明だった俺の携帯電話はトイレにあったのか。これが一度や二度目のミスではないので、聖が呆れるのも頷ける。
「ああうん、考えとく」
「考えとかないときの返事だ……」
画面を見ると、相手は桐島だった。昼間あったというのにどうしたのだと思ったが、あの件についてか、とふと思う。操作して電話に出ると、向こうから油断したような声が聞こえた。
『あ、でた。もしもし? 忙しかった?』
「いや、こたつの中に引きこもってただけだ。携帯をトイレに忘れててな、着信に気づいた聖が持ってきてくれたんだ」
『なにそれ……聖ちゃんかわいそうに』
それで? と俺は早速ながら本題に入る。桐島と話したくないというわけではないが、単純に電話というものは好きではない。
『ああ、うん。さっきのことなんだけど』
要約すると時間とか云々決めたから伝えるねという連絡。わざわざ電話なんてしてこなくても学校に行けば会えるだろうに、そんなに楽しみなのか? た、楽しみなのだろうか……。なんか途端に緊張してきたな。
「菜々子さんから?」
「なんで知ってんだよ?」
トイレから戻ってきた聖が、タオルで手を拭きながら聞いてきた。俺が聞き返すと、くいっとトイレのある方向を親指で指して一言。
「トイレから持ってきたの私だよ? デカデカと画面に表示されるんだから、見えるって。それで、何の連絡だったの?」
聖も聖で俺に電話があったことを珍しく思っているらしく、よほど緊急を要する連絡だったのではないかと考えているようだ。しかし、実際はなんてことない雑談のようなものなのだが。
「大したことじゃない。ただあれだ、クリスマスは出かけることにした」
「え、デート!? 菜々子さんと!?」
「目をキラキラ輝かせながら近づいてくるな」
ウキウキした様子の聖が、俺の前のソファに腰掛ける。この位置からだと、パンツが丸見えである。無防備すぎるだろ、こいつ学校でもこんなんじゃないだろうな? それだとお兄ちゃんちょっと心配だしパンツ覗いた奴を記憶なくなるまで殴ってやりたくなる。
「なに、じろじろ見てきて」
「別に……パンツ見えてるぞ」
「……いいでしょ別に兄妹だし。実は義理の兄妹でしたなんてオチもないし」
恥ずかしがる様子すら見せずに、淡々と聖は答える。そりゃあその通りだけど、こっちだってわざわざ妹のパンツに欲情したりはしないけどお前の普段の生活を心配してだな……。いやそんなことより。
「お前、俺の漫画読んだろ」
「読んだけど、なにか?」
「別に何も……」
勝手に人の部屋に入って本棚を漁ることはよくあることだった。特にテスト前なんかの侵入率は異常。自分の部屋の漫画を読んで現実逃避は聞いたことあるけど、わざわざ兄の部屋に漫画取りに来てとか前代未聞。それでも点数高いから困るよね。
その時だ、ブーブーと携帯が震える音が聞こえる。俺のは着信音が鳴るので、これは聖のものであることが簡単に分かる。こたつの上に置かれている携帯は聖のものだ。
「携帯、鳴ってるぞ」
「分かってるよ」
そう言って、携帯を持って廊下の方に出て行く。うちの妹は、寒いとか面倒くさいの言い訳で廊下に出ることを止めないタイプか。純粋に、会話を聞かれたくないのだろうけれど、俺の場合はそれでもこたつから出たくはない。男子と女子の差か、それとも単純に性格の問題か。どうでもいいか。
「暇だ……」
俺は言いながら、テレビの横に置かれたクリスマスツリーに目をやる。以前シャロに言われて、その数日後の時間が空いた時に、きちんと飾ったものだ。俺も少しは手伝った。
今年のクリスマスは親父たちが帰ってこない。だからツリーは飾らないと言っていた聖であったが、実際に飾っているところを見るとやはり楽しそうであった。本当は飾りたかったけど、意地になっていたのかもしれないな。
そんなことを考えていると、ぱたぱたと慌ただしい足音が廊下から戻ってくる。
「……なに、どうしたの? そんな慌てて。彼氏から連絡でもあった? 今からご飯でも食べに行くの?」
「そんなんじゃないよ、カレシとかいないし」
そう言いながら、早足でさっきまで座っていたソファまで戻る。そうかまだ彼氏はいないのか。いたらどうしようかと考えながらの発言だったので、お兄ちゃん安心しました。親父の代わりに彼氏を追い返すのは俺の役目だもんな。そんなことを考える俺の横に腰掛けた聖はにんまり笑って、俺に顔を近づける。
「お母さん達、帰ってこれるって!」
そんな報告を受けたらしい聖はその後ずいぶんとごきげんなまま晩飯の準備を進めた。ていうか、今回もまたどうして俺に連絡はないんですかね?
「ふぅん、じゃあクリスマスは家族で過ごせるんだねー」
「そうなんですよ」
あの電話から、えらく機嫌がいい聖はハンバーグを口に運びながら、弾む声で答える。そんあ様子を見て、シャロは俺の方に寄ってきてぽしょりと小声で言ってくる。
「……何だか嬉しそうだね、聖ちゃん」
聖には聞こえないようにしている為だろうが、顔が近く耳がこそばい。思わずぶるっと身震いしてしまった俺は誤魔化すように応えた。
「まあ、表には出してなかったけど、結構落ち込んでたしな。あいつ母さん大好きだし……ていうか、何でお前がいる?」
当たり前のように食卓に参加するシャロに、俺は心の底からの疑問をぶつける。
バイトが終わってあいつを自宅だという場所の付近で下ろして別れたのだが、さっき晩ご飯が始まるちょっと前くらいにインターホンを鳴らしてやってきたのだ。この時間の訪問なので目的は聞かずとも分かったが。
「えー、だって聖ちゃんのご飯美味しいんだもん」
ハンバーグを口に入れ、幸せそうな顔をする。落ちそうなほっぺたを支えるように頬を両手で覆ったシャロを見て、俺は小さく溜め息をつく。
「あっそ」
聖もシャロのことをずいぶんと気に入っているようで、喜んで招き入れているので俺は何も言わないけど。ただまあ最近遠慮とかそういうのなくなってきてませんかねえ。
「あ、でもあれだよこーすけ」
シャロにも負けないくらいの幸せ顔でハンバーグを食べる聖がふと思い出したように口を開く。
「なに?」
「こーすけは菜々子さんと約束したんだから、ちゃんとそっちに行かないとだめだよ?」
ビシっと指を差して言う聖から、視線を逸らしながら俺はレタスを咀嚼する。約束は約束だし俺ももう遊園地行く気でいるから、それはもちろんそうするつもりだ。聖がそれでいいのなら誰も文句は言わんだろうし。親父は俺のことどうでもいいと思ってるしな。
「分かってるって」
「え、幸介くんクリスマスデートするの?」
「別にデートじゃねえよ。ただちょっと遊びに行くだけだ」
「でもさっき聖ちゃん菜々子さんって……女の子でしょ?」
「まあ、そうだけど」
グイッと、身を乗り出して聞いてくるシャロの迫力に、俺は圧されてしまい少し距離をとる。なんでこいつはこう顔を近づけてくるんだよ。中身残念少女でも容姿は綺麗だから照れてしまうじゃないか。
「男女が一緒に出かけるのは、もうそれはデートだよ! ましてやクリスマスだよ? そんな特別な日に男女が出掛けて、それがデートじゃないわけがないよ!」
「……なんでテンション上がってんの?」
喋っているうちにだんだんと声を荒げていくシャロに、俺はただただ純粋に疑問をぶつける。ラブコメ漫画みたいに、嫉妬してるなんてことはまずないだろうけど。
「わたしの、高級ディナーが無くなってしまったから怒っているんだよっ!」
「言っとくけど、遊びに行く予定がなくても高級ディナーは無かったぞ!?」
「やっぱダメかー」
ちぇー、と唇を尖らせながら元の位置に座り直すシャロを確認して、俺も自分の位置を正す。隙きあらば奢ってもらうことしか考えてないなこいつ。
さっきまでのことをもう忘れて気分を一新したシャロが、気を取り直して口を開く。簡単な奴だからありがたい。仮に本気で怒ってもすぐに機嫌とか直りそうだし。
「その子って、幸介くんの彼女?」
「違う、ただのクラスメイトだ」
「ふぅん、本当にぃ?」
「そうだよこーすけ、正直に言いなよ」
面倒くさいのが一人増えやがった。それぞれの事情で幸せ期に突入している二人が面白いおもちゃを見つけたように、楽しそうに笑ってくる。
「ただの友達だ。それ以上でも以下でもない」
「ただの友達が、クリスマスに遊びに行こうって誘ってくるかな?」
「普通は誘ってこないですよねー?」
「これは幸介くん、誘われてるんじゃ?」
もうダメだこいつら、無視しよ。
クリスマスに一緒に遊ぶことが、そんなにも珍しいことなのだろうか。クリスマスなんて、結局他と変わらない普通の一日でしかない。キリストの誕生日かなにか知らないけど、いつの間にクリスマスはカップルで過ごす日になったんだ? 自分の誕生日がそういう日になっていたら俺なら発狂する。キリストが非リア充だったら可愛そうでしかない。
「でも、本当に菜々子さんと出掛けなよ? ドタキャンとかしたら嫌われるよ」
「そんくらいで嫌ったりする奴じゃねえよ、あいつは」
初日の最悪の第一印象でさえ、俺と絡むことを諦めなかったのだ。あいつは人を嫌うということを知らない。
「そうじゃない、嫌われるっていうか何ていうか……あんたにとってはただの一日かもしれないけど、女の子にとってはやっぱり特別な一日なの。他の日とは違うの! 覚えといて」
「お、おう……」
なんで俺は、妹に女の子とは何たるかについて教えを受けているんだ?
『続いてのニュースです』
とりあえずつけていたテレビの音声が、ふと耳に入ってくる。どうやら交通事故で怪我人が出たらしい。死人が出なかったのが不幸中の幸いではあったものの、しかし一歩間違えれば大惨事であった。
「……最近多いね、こういうニュース」
俺の視線がテレビに向いていることに気づいた聖が、ぽつりと呟いた。そう、最近はやけに多いのだ。交通事故だけではないが、何というか不幸なニュース。報道はされていないが近くの商店街でも事件があった的な話も耳にする。
「最悪の事態にはなっていないけど、あんまり聞きたくはない話だな」
「もうすぐクリスマスなのに……ねえ、シャロさん」
聖の呼びかけにシャロは反応しなかった。どうしたのかと俺と聖は二人してシャロの方を見ると、ぼーっとテレビで流れているニュースを眺めていた。俺達の言葉が耳に入ってこないくらい集中して見るものでもないと思うけど。
「シャロさん?」
「……え? あ、なにどうしたの?」
ようやく気づいたシャロは、焦って聖の方を向き直る。何か妙な違和感を覚えたのは俺だけではなさそうだ。聖も心配そうにシャロを見る。
「どうかしました?」
「え、いや……こういうニュースって嫌だなーとか思ったりしてただけだよ? あはは」
誤魔化すように言ったシャロだったが、その言葉の、表情の裏側に何かがあることは何となく察することが出来た。だけど、誤魔化すということは教えるつもりがないということ。どれだけ聞いても、きっと求めている答えは返ってこない。
俺は上がってくる言葉を飲み込んで、それを押し返すようにご飯をかき込んだ。
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